今日も僕は、物語に君の欠片を綴る。

utsuro

僕の始まりの物語

 その春。

 新卒で入社した僕は、そこで彼と出会った。


 整った目鼻立ちに、透き通るような白く滑らかな肌、柔らかな栗色の髪。

 目を伏せた時、頬に影を落とす長いまつげ。

 薄くつややかな形の良い唇。

 背丈は165センチほどといったところだろう。


 二コリと柔らかく可憐な笑みを見せる彼を、新入社員の僕たちは初め女子社員と見間違え、ドキリとした。

 これほどに鼓動が高鳴ったのは、幼い頃に夏休みを共に過ごした少女に対してだけだった。

 女性と見間違えたことをいつわることなく伝えると、彼は困ったように笑った。


 「気にしないで。よく言われる。」


 そう短く答え、彼は丁寧に社内を案内してくれた。


 あれから2年が過ぎた。

 配属先が彼と同じ部署となった僕は、今日も共に職場を後にした。

 寮に帰ると、すぐさまツナギに着替え、2人でガレージへと飛び出す。


 車好きが集まる僕の会社は、同じく車好きなら知る人ぞ知る、その業界では1、2位を争う人気のメーカーだ。

 かくいう僕も、車好きがこうじて今の会社に就職したうちの1人である。

 仕事後はそんな気の合う者同士集まって、社員寮のガレージで自分の愛車をいじり倒すのが日課だった。


 「頼む。ご機嫌なおしてくれよ。ボクのかわいこちゃん。」


 前回の走行会の後から調子を崩している愛車に、そんな軽口を叩きながら、いつも通り車の下から這い出してくると、彼が声をかけてきた。


 「なぁ。先週、会社のイベントに行った時、話したい事あるって言っただろ。あれ、覚えてるか?」

 「ん?ああ。当たり前じゃないですか。」


 もちろん嘘である。

 僕は記憶にはとどめているけど、一度しまったものを思い出すのが難しい質なんだ。

 ようは、忘れっぽいのである。


 イベントでは僕はずっと外のガレージにいた。

 彼は部長の補佐として観覧席に控えていたから、あまり接点はなかったし、そもそも僕は高いところが大の大の苦手だ。

 観覧席に行くなんてことはまずない。


 あの日彼と話せたのは、昼の休憩の後、ほんの1、2分くらいのものだった。

 その時の言葉を忘れ、走行中に機嫌を悪くした愛車の調整で頭がいっぱいのまま、今日に至ったわけだ。


 彼は、フッと苦笑して口を開いた。


 「俺、来月部署を異動するよ。君を置いていくのは心配・・・・だけどね。」


 そう言いながら僕の手から工具を持ち去ろうとした彼の手首を、僕はきつく握りしめた。


 「嫌だ!聞いてないです。」


 僕の剣幕に、彼は驚いたように目を見開き、下をむいて笑った。


 「ははっ。言うと思った。・・・・同じ部署の三井さんと小林さん、それから吉川さんの仲良し三人組いるだろ?」

 「ああ。あのうるさい人たち・・・・。」

 「俺のこと好きなんだってさ・・・彼女たち。それで、この間のイベントでケンカになっちゃったんだ。部長にもにらまれちゃって、結構大変だったんだぞ?」

 「まさか・・・・・。」

 「俺が異動すれば、とりあえず丸く収まる・・・・というか、仕事への支障は最小限に済む。だろ?」

 「だからって・・・・・。」

 「俺は、彼女たちの想いに応えるつもりはないんだ・・・・・。」


 僕ははらわたが煮えくり返るのを感じた。

 だからって、なんでこの人が尻ぬぐいする必要があるんだ。


 「離して・・・・・。手、痛いよ。わざわざ俺の手だけむしり取って行くつもりか?どうせ同じ部屋に帰るのに。」


 小さく息を吐き、おかしそうにそう言うと、彼はまた困ったような微笑みを見せた。


*************************


 彼が異動してから数カ月が過ぎた。

 彼の異動先の部署は、パーツの製造を担当している、一見して工場のような場所だ。

 仕事の内容も、今までのようなデスクワークではなく、そのほとんどが肉体労働だった。

 

 「小さい頃から剣道をずっとやってたんだ。馬鹿にするなよ。これでも試合の成績は悪くなかったんだから。」


 僕が心配すると、彼が口を尖らせそう言った。


 確かに彼は背筋がスッと伸びていて凛としているし、何かにつけ所作が綺麗だ。

 身体だって、細く見えるだけで、柔らかくしなやかな筋肉が腹部や腕に影を落としていて、そこらへんの男どもよりよほど引き締まってはいる。

 そうは思ったが、やはり男らしい力強さと彼とはあまり結びつかなかった。

 

 僕の心配をよそに、彼は新しい部署でも瞬く間に順応してみせた。

 ところが、そう思ったのもつかの間、急に彼の顔から笑顔が失われ始めたのだ。

 帰ってきてもいつものようにガレージに出てくることはなく、部屋にこもりがちになってきた。


***************************


 「髪・・・・伸びましたね。」


 ある夜。

 僕は、長くなった彼の髪をうなじの辺りで手に取って話しかけた。


 「ねえ。何かあったんでしょう?」


 彼はテレビを見ているふりをしていたけど、不意にピクリと身体を震わせた。

 まるで聞かれることを恐れていたかのように。


 「何もないよ。君と・・・離れているのが辛いだけ。」

 「嘘だ。・・・・何を隠してるんですか。」


 彼は冗談めかして誤魔化そうとしたけど、僕はそうはさせなかった。


 「誰かに、何かされてるんですか?」

 「違う。・・・・なんでもないんだ。」


 この強情な人は、恐らく何も答えてはくれない。

 僕は翌日、彼の部署へ様子を見に行くことを心に決めた。

 

****************************


 翌日、休憩時間を少し前倒しし、彼の所属する部署へと足を向けた。

 現場について俺が目にしたものは、キラキラと辺り一面に降り注ぐ光の欠片だった。

 薄暗い作業場の中が、まるで夢の中の景色のように、煌めいている。

 幻想的な景色をぼんやりと見つめながら、中へと足を踏み入れる。

 光の欠片は俺の上にも絶え間なく降り注いできた。

 指にとってよく見ると、それは細かい糸くずのようだった。


 「何してるんだ!!」

 

 ふいに肩を掴まれ外を向かされると、そのまますごい勢いで押しやられる。

 建物から外へ出て、日の光に目を細め振り返ると、そこには顔色を真っ白にした彼がいた。

 彼はつけていたマスクを外し、僕をにらみつける。


 「もう二度と、ここへ来るな!」


 呆然としている僕を置き去りにし、彼は中へと戻って行った。

 僕は何が起こったのかわからず、ただ傷つき立ち尽くしていた。

 何が彼をあれほど怒らせてしまったのかわからなかった。


 仕事が終わり、家に帰った僕は急いでシャワーを浴びると、夕飯も食べず電気を消してベッドの中へ逃げ込んだ。

 彼が帰ってきたのが分かったが、必死で寝たふりをする。


 「もう寝てしまった?」


 そう言いながら戸惑いがちに伸ばしてきた彼の手を、僕は布団をかぶって拒絶した。


**********************


 翌日の昼休み。

 いつものように社食を取りに列に並んでいた僕は、妙なことに気づいた。

 配膳を担当しているおばちゃんの数が減っている。


 いつもおばちゃんがいるはずの場所にはお局様と呼ばれている27歳彼氏無し、部長と妖しい噂有りの化粧の濃い女子社員が収まっていた。

 何か変な胸騒ぎを覚えた僕は、入社直後からしつこく僕に迫ってきているそのお局様に、声を潜めて話しかけた。


 「ねえ。おばちゃんがいなくなってるけど、何かあったの?」

 「なんだぁ、君から話しかけてきたから期待したのに、そんな話?・・・・・ま、いいけど。そのことなら後で内線かけるわ。聞かれちゃまずいやつだから。」


 お局様はそう言ってウインクしてきた。

 僕は彼のことで落ちている食欲が、さらに急降下するのを感じながら、トレーを手に取った。


 昼休みが終わって間もなくすると、お局様から内線がかかってきた。


 「はーい。今大丈夫?さっきの話なんだけど。絶対口外しないって約束できる?」


 僕はすぐにイエスと返事をした。


 「私も部長に聞いたんだけど、うちの会社の商品って石綿使ってるでしょ。それが原因らしいよ。」

 「石綿?」

 「そう。なんか、ほんのちょっとでも吸い込むと癌になりやすくなるだとかなんだとかで、超ヤバイみたい。うちに勤めて20年になるおばちゃんたちが、ちょっと前からそいつが原因の癌が見つかって次々退職してるってわけ。やめたおばちゃんが言うには、当時数カ月で辞めたパートの女の人まで、こないだ同じ病気で死んだんだって。・・・超怖いよー。」

 「・・・・・・。」

 「そういえば、君の同室の彼、おばちゃんたちの部署に異動になってたよね。あの子、かわいい顔してるのに、もったいなーい。」


 お局様の最後の方の言葉は、僕の頭の中には全く入ってこなかった。

 抑揚のない声でお礼を伝え、静かに受話器を置いた。


 彼は、この話を知っているんだ・・・・・・。


******************************


 この日、寮に帰ってきた彼を、僕は玄関で待ち構えていた。

 僕より20センチ背の低い彼の両腕を掴み、目線を合わせる。


 「嘘つき。」


 僕が低く言うと、彼は涙をあふれさせた。

 たまらない気持ちで、僕は彼の頭に手を伸ばした。

 

 「もう。何も言わないでください。あなたの優しさは僕には辛すぎる。」


 それから1月後。

 僕は以前から声を掛けられていた兄の会社へと転職をした。

 彼を連れて。

 明るく優しい上に、器用で、外見を裏切り以外にも芯の強い彼は、ここでもすぐに順応して見せた。

 毎日が笑顔であふれ、穏やかに、鮮やかに過ぎていく・・・・・・。


 だが、遅すぎたのだ。

 死神の鎌は、すでに彼の首筋にあの恐ろしい病の刃を当てていた。


 20年の時が流れ、彼は、僕を残して逝ってしまった。

 甘い温もりと切なさを僕の胸に置いて・・・・・。


 彼は自分の消えた世界で生きる僕へ、1通の手紙を残していた。


 淡い色の封筒を看護師から渡された時、僕は、優しく整った文字で書かれた僕の名を、指でなぞった。

 彼にはもうそんな力は残されていなかった。

 恐らく、だいぶ前に書いたものなのだろう。


 封を開くと、そこには思いがけないことがつづられていた。

 それは僕にあてた謝罪の言葉から始まった。


 『ごめん。

  君に伝えられなかったことがある。

  恐らく覚えてはいないだろうね。

  君は忘れっぽい。


  俺は、ずっと前に君に会ったことがある。

  俺も最初は思い出せなかった・・・・というより、君が変わり過ぎていて気づけなかったんだ。


  俺たちは、すでに出会っていた。

  幼い頃の夏休みに。


  俺の身体が小さかったから、君は俺を同じ年の子だと思っていたみたいだ。

  俺を女と勘違いしていたかもしれない。

  入社したてのあの時のようにね。


  あの夏。

  君に出会って、俺は・・・・・・』


 彼の文字が綴る幼い頃の想いに、僕の心の中で、あの夏の日の出来事が、流れ込むように鮮やかに蘇っていく。

 何度も手紙を読み返し、俺は決して返すことのできない返事を心の中で繰り返し告げた。


*****************************


 彼の身体が灰となる日。

 僕は彼を花で埋め尽くしながら、冷たい肌に触れた。


 魂の力を使い果たした彼の肌は潤いを失い、僕の名を呼ぶ艶やかな唇も渇いて色を失くしていた。


 それでも、僕の目に映る彼の姿は、何よりも綺麗だった。


 彼は白い煙と共に大気に溶け、どこまでも高く高く昇っていく。


 彼が、僕の大好きな、あの困ったような微笑みをむけてきたような気がして、高く澄んだ空へ向かい、僕は触れることのない手を伸ばした。

 


 彼を失ってから、今、3年の月日が流れた。

 僕は相変わらず高いところが大の大の苦手だ。

 記憶に留めたものを思い出すのも、変わらず苦手である。


 現在、僕はマンションの高層階に住んでいる。

 眠れない夜に、僕は物を書くことを始めた。


 僕は忘れっぽいけれど、一度記憶に留めたものは決してこぼさない。

 彼の姿は、僕の書く物語の中で鮮やかだ。

 僕は今日も丁寧に記憶をほどき、ゆっくりと彼の欠片をつづる。


 僕は「うつろ」だ。

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