3 成仏、できないみたいで……

 殺し屋三枝サエグサさんと二人きりになると、静けさも相まって一層、室温が下がった気がした。


 彼は畳の上で胡坐を掻いた足をぐーっと伸ばした。そのまま前屈。ストレッチを始めた。


「一、二、三、四。五、六、七、八」


 私は三枝さんの隣に、膝を抱えて座った。


「三枝さん、何でここまで付き合ってくれるんですか? 頼んでもないのに……。

 お暇なんですか?」


「お暇ですよ。お金アレルギーで家賃払えなくて、大家さんの取り立てから逃げて、こんなところまで観光に来たくらいにはお暇」


「フフ、あれ? どうしてだか三枝さん格好良く見えます。道連れに天国連れて行きたいくらい……。

 ……なんです? 鳥肌立ってるみたいですけど」


「いや、あの、一瞬、風水的によくない方向、向いちゃって、方角アレルギーが出ただけ……」


 それから一向に顔を見てくれなくなった。まあ、方角アレルギーなら仕方ない。


 彼が聞いていようがいまいが構わないと思いながら口を開く。


「――私、嬉しかったです。生徒一人ひとりと向き合えて、みんなの進路を決める手伝いができて。

 やっと教師らしいこと経験できました」


「そう……」


 彼は、窓の外に降り積もる玉雪を見るともなく見た。

 私はそんな彼を見つめ続ける。


「…………」


「…………」


「……あのさ」


 彼が気まずそうに、ストレッチしていた足を畳んで、また胡坐を掻いた。


 もぞもぞ、沈黙。もぞもぞ、沈黙……。


「……澪実レミさんさ、未練消えたんだよね。成仏しないの?」


「その、私も成仏、待ってるんですけど、できないみたいで……」


 三枝さんは軽く溜息を吐き、ぐるんと目玉を一回転させた。

 私が成仏できない理由を考えてくれているらしい。


 彼はからだを前後に揺らして、しばらくして「あ!」と叫んだ。


「澪実さん、自分の死因わかってるの?」


 私は二人きりの大広間にいながら人目を憚るように、首を小さく横に振った。


「やっぱりなあ。それが君の未練だろう?」


「あー……きっとそうですね……」


 胸中に疑問が渦巻いてはいた。が、周囲の生徒教員には悟らせぬよう、目を逸らしてきた。


 一年前に毒が盛られたのは、旅館の仲居さんが運んだ夕餉ゆうげの天ぷら。


 私はダイエット中で、あの晩は揚げ物系には一切口をつけなかった。毒に中るなんてありえない。


 それなのに死んでしまった。


 私の死因は何だろう?

 ……別の所で誰かの恨みを買ってしまっていたのだろうか。


 殺し屋は口をひん曲げていたが、やがて進退窮まったように、ばたんと仰向けに倒れた。


「澪実さんを殺したのは、澪実さん自身だ」


 私はあんぐり口を開けた。


 正確には、私は自分の守護霊に呪殺されたのだという。


 守護霊は、私が教師となって以来毎晩、遺書を隠れ書いていることを関知していた。

 それが百通にも上るのを見て、私をどうすべきか思い悩んだ。

 挙句、乱雑に記された「辞めたい」「辛い」「死にたい」という私の願いを叶えることにした。


 私は「あちゃー」と額に手を当てた。


 殺し屋は居心地悪さを振り払うように、後頭部をガシガシ掻いた。


 私の守護霊と三枝さんは、奇遇にも友人だった。

 教員生徒の一斉毒殺決行前夜、私の守護霊は思い詰めた様子で彼に相談したという。


「君の守護霊――スグルが『自分がどんなに幸運を引き寄せようと努力しても彼女は死にたいと言うんだ』って、君の遺書を持ってきた」


 私は叱られた子供のように、首を竦めた。


「実は、その……、それは私の日課と言いますか、紙に一日の嫌なこと全部書いて忘れるっていうストレス発散法なだけだったんです。本気で死ぬ気ではなくて」


 三枝さんが「うそぉ」と目を丸くした。


 気まずい沈黙が降りた。


 人の死は取り返せないから、守護霊さんの誤解は文字通り致命的だ。

 しかし、もうとっくに取り返せないからこそなのだろうか、爽快な気分に満ちてもいた。


「私、成仏しようと思います。一人で地縛霊続けるのもアレなんで」


「うん。……アレってどれ?」


「今って、私の守護霊さんは……?」


「澪実さんが死んだ時点で別の人の守護霊に転職したけど」


「じゃあ誤解を解いて、『あの頃悩ませてしまってごめんなさい』と『死んじゃったものは仕方ないので気にしないで』って伝えてもらえます?」


 三枝さんが面倒臭そうに口を尖らせたが、渋々頷いた。

 面倒臭さより私の未練解消を優先してくれた、と思いたい。


 私は生前よりずっと心が晴れていて、笑い転げたかった。


 散々苦悩させてしまった卓さんは気の毒だが、少なくとも私を気にかけてくれた人はちゃんといたようだった、守護霊だけど。


 ――私が守護霊になったら、きっと私の守護霊さんみたいに、憑りついたその人のために奔走しよう。


 私はやっぱり人に尽くす仕事を続けたいんだ。


 それで、私の未練は消え去った。

 私のからだは、ラムネの粒が溶けるようにシュワシュワ綻び始めた。


 三枝さんは少し寂しそうに私を見送った。

 彼の背後に、百名近い地縛霊が一斉に天に召されて、だだっ広くなった旅館の大広間が見えた。


 雪が降りやんでいた。

 窓外に見える限りを陣取る銀世界からの照り返しの白さ。

 その寒暁かんぎょうのなかにはもう、私が怨霊でいる理由は見出せなかった。


 私は感傷的になって涙が零れたが、それも泡のようにパチンと弾けて、次の瞬間にはすっかり成仏した。





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