閑話 スーパーおじさんとタイムセール その二




 さてさて、”自治会の大奥様ドン・グランマ”の登場によって一気に自体が動いたな。


 ”自治会の大奥様ドン・グランマ”と”自治会”の奥様達は大体四十人くらいいたため、陳列棚にならぶブリの量が大幅になくなったことになる。およそ残り三分の一くらいといったところか。


 対して、それを求める主婦の数はざっとみてもまだまだその倍以上。そろそろ危機感が募って焦り始める主婦が出てきてもおかしくない。


 我が妻にもそろそろ決めてもらいたいところだが‥‥‥。


 やはり、期待の新人の持つ速さは凄まじいな。


 ”自治会”のメンバーたちがいなくなったことで、多少戦場の密度が下がったとはいえ、目を離せばすぐに最前線にいつの間にかいる。彼女ならこのまま順当に行けばブリを手に入れられるだろうな。


 ‥‥‥おや? あの四人組が動き始めたか。


 どううやら考えてることは同じらしい。”自治会の大奥様ドン・グランマ”が動いた今、まだまだ強者と呼べる者はいれど、脅威に感じるほどの者はいないからな。これなら確実に獲れると勝負を仕掛けて来たんだろう。


 戦場では今、ここまで息を潜めていた四人組が的確なチームワークで場を完璧にコントロールしていた。


 こんなことができるのは”井戸端会議”のあの人らしかいないだろう。


 一人で何人もの主婦を相手取っても抑え込めるとても高い主婦力をもつ一つ結びの女性。


 名前は田中みな子さんといって、仲間内ではみっちゃんって呼ばれている。冠していた元二つ名は”息子愛サン・ラブ”。


 とにかく一人息子を溺愛していて、その内に持つ主婦力は息子愛によって高められたものだと思われる。


 次に、期待の新人にぴったりとくっついて動き回る、とても高い機動力をもつ短髪の女性。


 名前は長谷川あつ子さんといって、あっちゃんと呼ばれている。冠していた元二つ名は”偶像の信者ジャニ・オタ”。


 彼女はいわゆるジャニーズオタクというやつで、そのライブに足繫く通ったり、グッズを作ったりとオタ活に余念がない。


 俺の見立てでは、彼女の主婦力は旦那に対するものよりもジャニーズ愛によって育まれているもだと推測している。あの歳で他の主婦にはない速さをだせるのも、娘と共にライブに頻繁に行っているからだろう。


 そして、囁かれたものは戦意喪失となり、強制的にリタイアさせることができるメガネの女性。


 名前は小林よし子さんといって、よっちゃんと呼ばれている。冠していた元二つ名は”噂の収集家ゴシップ・コレクター


 彼女はとにかくご近所さんの噂話に目がない主婦だ。


 それはもう色々と知っているみたいで、様々な弱みを使ってその人を動揺させたり、時には脅したりして戦わずに勝利するという、かなり変わった戦い方をする。一説によると小林さんの頼み事は”自治会の大奥様ドン・グランマ”よりも逆らえないらしい。


 最後にその三人に指示を出し、自らでなんでも人並み以上にこなせる鋭い目つきの女性。


 名前は川上さち子さんといって、さっちゃんと呼ばれている。冠していた元二つ名は”旦那いびりツンデレディ”。


 よく旦那にきつい言葉を言っていることが多いのだが、よく見ればその実、単に照れ隠しで口にしてしまっているのが分かる、外野から見れば微笑ましい奥さんだ。


 特に尖った力を持っているわけではないが、彼女はよく暴走しがちな他の三人をうまく纏めていて、物事をよく見ており、常に的確な行動をとっているオールラウンダータイプの主婦である。


 まぁ、旦那さんがらみになると途端にポンコツになるのだけどな。


 元は一人一人が”二つ名持ちネームド”だった彼女たちはご近所さんで仲良し夫婦であり、それぞれの事情からいつからかタイムセールで強力し合うようになっていった。


 そうして、いつしか彼女たち四人チームを”井戸端会議”と呼ぶようになり、タイムセールでの戦歴はほぼ必勝と思われるほどバランスの取れた強力なチームが出来上がったわけだ。


 今、その必勝チームが勝負を仕掛けに行っていた。


 さち子さんの指示に従って、必死に推し進もうとする猛者たちを危なげなく抑えるみな子さん。


早さが脅威である期待の新人を、同じく速さが武器であるあつ子さんが相対する。


よし子さんはブリの陳列棚に向かうと、キラリとメガネのレンズを光らせた。そしてさち子さん自身は、他の二人のフォローに回る。


 よし子さんの審美眼はかなり適格だからな。


 そしてサッと良いブリを見ぬいたらしいよし子さんは、そのことをさち子さんに伝え、一番体力の消耗が激しいあつ子さんと交代し、期待の新人と相対した。


 あつ子さん‥‥‥やはりいくら若い子と混ざってライブとかに行っていても寄る年波には抗えなかったか。


息も絶え絶えなあつ子さんの様子に、俺は月日がたつことは何て残酷なのだろうと思わざる負えない。


 そしてよし子さん‥‥‥その期待の新人を見かけるようになったのは本当にここ最近なのに、もう有力な噂を手に入れてるんですか。


 一番の強者である期待の新人の動きを封じ込めて、その隙をつくようにして瞬く間にブリを獲っていった”井戸端会議”の四人組。


 その鮮やかな手並みは、もう流石としか言いようがない。


 だが、これでもう期待の新人を止められることのできる壁はいないはずだ。


 彼女はまだまだこのスーパーに来たばかりだというのに、ここまでの奮闘を見せたのだ。これは十分称賛に値するだろう。


 それもこれも、きっとあの坊主にうまいメシを食わせるため。泣かせるじゃねぇか。


 ここはぜひ、将来有望な彼女にブリを獲ってもらいたい。


『さぁさぁ! ブリの数も残りわずか! 数えるほどしかありません! この中のいったい誰の手に!?』


「「「「「「「「私だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」」」」」」」


 一斉に陳列棚へと群がる主婦たち、今日のタイムセールもそろそろ終わりか。今日はなかなか見ごたえのある戦いだ‥‥‥った。


 ——っ!?


 次の瞬間、俺は入り口から感じたとてつもない主婦力の波動を感じて、勢いよく振り替える。


 首と腰から嫌な音が聞こえたが、そんなことが気にならないくらいの大物がやってきた。


「‥‥‥”主婦力の化身ビッグ・マム”」


 彼女は、そんじゃそこらの主婦たちでは手も足も出ない。きっと他の”二つ名持ちネームド”たちでも止めることはできないだろう。それくらい別格。


 ”主婦力の化身ビッグ・マム”こと猪原里香さんは、正真正銘この町最強の主婦だ。


 その強さの秘訣はひとえに子供の多さにある。


 猪原家は子供が十五人以上と、この町でも有名なビックファミリーだ。‥‥‥よく見れば、ひとり背負ってるから十六人になってるな。


 子供の数はそのまま主婦力に比例すると言っても過言じゃない。事実、子育てによって育まれる主婦力はかなり強力だ。


 普通の家庭なら一人から二人がセオリーであるのに対し、彼女は十六人‥‥‥俺は彼女が来てタイムセールで負けたことを見たことない。


 そして、”主婦力の化身ビッグ・マム”が二つの買い物カートを構えるのを見て我に返った。


 まずい! 彼女が通った道は地獄になる!


「逃げろ! ゆりこぉぉぉぉおおおおおっ!!」


「吹き飛ばされたくなかったら、そこをどきなぁぁぁぁぁあああああああっ!」


 思わず叫んだ嫁の名前は、”主婦力の化身ビッグ・マム”の咆哮にかき消された。


 次々と吹き飛ばされていく主婦たちの光景に絶望の二文字が頭によぎる。


 そして、あの期待の新人すら避ける間もなく倒れ伏す光景に、もう誰も止められないと呆然と仕掛けた、その時だった。


「ぐぬぬぬぬぬぬ! 根性ぉぉぉぉぉぉおおおっ!」


「なぁっ!?」


 俺は今日、何度目かの驚愕の声を上げてしまった。


 なんと、”主婦力の化身ビッグ・マム”の亡者の突進を両手で受け止める無謀な奴がいるとは!?


 彼女は確か、一年半前くらいからここにくるようになった新妻ギャル嫁か。


 タイムセールの勝敗は五分五分といったところで、特に筆頭して目立っていたわけではない。ただ、どんな状況であったとしても、最後の一個が無くなるまで諦めないその根性には目を見張るものがあると思っていたが、これほどとは‥‥‥。


 しかし、”主婦力の化身ビッグ・マム”は一度止められたくらいで抑えられるほど、やわな存在ではなかった。


「——家事を磨いて出直してきなぁっ!!」


 可視化するほどの主婦力を身にまとった”主婦力の化身ビッグ・マム”は軽々と新妻ギャルを吹き飛ばす。


 そして、立ち上がる者は誰もいなくなった。


 やはり”二つ名持ちネームド”たちは伊達ではないな。今日のタイムセールを見てそう改めて強く思う。


 猪原さん家は大家族だ、もう特売品のブリは残らないだろう。


 そう思ってどこかで倒れているであろう嫁を迎えに行こうとした、その時。


「アタシが必要な分はこれだけさ。あと残り二つ、手にする女はいないのかい!」


 ”主婦力の化身ビッグ・マム”のそんな言葉が聞こえて、見れば確かに二つだけ残っている。どうやらまだタイムセールは終わらないらしい。


「美味しい料理を旦那や子供が待ってるんじゃないのかい! そんなところで這いつくばってないで、立ち上がりな!」


 少しずつ、何人かの主婦たちが必死に立ち上がろうともがいていた。


 そうだ、立ち上がれ! あなたたちの輝きはまだまだこれからだ!


 無意識に拳を握り締めながら、この場にいるすべての主婦たちに心の中で声援を送る。


 そして、ブリを手にしたのは‥‥‥。


『と、獲ったぁぁっ! 最後の二つを手にしたのは期待の新人と新妻ギャルの二人! この激戦の最後の勝者はこの二人だぁーっ!!』


 店長の実況を聞きながら俺は、自然と拍手をしていた。


 このタイムセールを戦い抜いた称賛を、勝って手に入れることができた祝福を惜しみなく手を叩いて贈る。


 新しい時代を感じた瞬間だった。


 期待の新人に新妻ギャル‥‥‥いや、もうそんな風には呼べないな。


 彼女たちにはぜひ、相応しい二つ名を送ろうではないか。


「ふむ‥‥‥疾風、刹那、いやソニックとかの方がいいか‥‥‥? う~ん」


「あなた、また変なことを考えてるの?」


 と、さっそく考えていると、後ろから声がかかった。振り返ると、ブリを手にした我が妻がいる。


「ゆりこ、いつの間に‥‥‥」


「猪原さんが来たらこうなることは分かってましたからね。その隙にちょいちょいっと」


 ふっ、やっぱり我が妻は最高だ。


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