第39話 シアとタイムセール その二




『期待の新人、一気に場外まで引き離されてしまった! でもまだ諦めるな! まだブリはたくさんあるぞ! さぁ、次に手に入れるのはいったい誰だぁ!』


 店長の実況が聞こえて、千結のお母さんから慌てて戦場に目を向ける。


 シアの姿を探したら、店長の言う通りシアは一度はブリの陳列棚に手を伸ばせるところまで行ったのにもかかわらず、今は激戦区よりもさらに後方へを押し戻されていた。


「‥‥‥シア」


 俺がシアの名前を呟いたのが聞こえたのだろう。


 シアは一度、俺の方を向いて真剣な眼差しで頷いた後、深呼吸をしてから再び身体を屈めて突撃体制に入った。


 ブリを求める主婦たちの激戦区は、さらに激しい攻防が繰り広げられていて、シアもどこから入ればいいか見定めているようだった。


 しかしこれ、俺も参戦しちゃダメなんだろうか? あの阿修羅のような主婦たちを押しのけてブリを獲得できるとは思えないけど、シアのサポートとかになら回れると思うんだが。


 チラリと周りを見てみる。俺以外にも離れたところに何人か旦那と思われる人たちがいるけれど、腕を組んで神妙に見守るだけで一向に動く気配がない。‥‥‥やっぱりタブーか?


 そんなことを考えてると、視界の端でシアが右足を引いたのが見えた。どうやら進むべき道が見えたらしい。


 そして、シアが一歩踏み出した、その時。


 ——パチンッ!


 どこからか指を鳴らす音が聞こえた。


 その音は、喧騒の只中でも確かに広がって。


 次の瞬間、大勢の主婦たちで埋め尽くされていた戦場が、まるでモーセが海を割ったようにブリまでの道が一直線に出来上がった。


「おーっほっほっほ! ごめんあそばせ! わたくしのお通りざますよ!」


 その開いた道を、扇子を持ち、派手なアクセサリーに身を包んだいかにもマダムといった感じの女性が買い物カートを堂々と押して進んでいく。


『おおっと! ここでついに大御所の一人が動いたぁ! この町の自治会の会長を務めるこの人、”自治会の大奥様ドン・グランマ”こと一ノ瀬清子さんだぁっ! よく見れば、自治会に所属してる奥様の皆様がこの道を作っている!』


 そう言われて見てみると、数十人もの奥様たちが横一列になってSPのボディーガードのように周りの人たちを抑え込んでいた。


 抑え込まれてる主婦の方々も必死に抵抗しているようだけど、自治会の奥様たちのほうが圧倒的に強いのかビクとも動じない。


「あらまぁ、どれにしようざますねぇ‥‥‥」


 やがて、自治会の大奥様ドン・グランマと呼ばれていたマダムは、誰とも激突することなく悠々自適にブリの陳列棚にやってくると、じっくりと数多く並んだブリを吟味し始める。


 それより、もういいよね‥‥‥? 


 脳内ツッコミが追いつかないから、あえてここまで触れなかったけど‥‥‥なんて濃ゆいキャラなんだ、自治会長。


 ”自治会の大奥様ドン・グランマ”とかいうのは知らなかったけど、一ノ瀬清子って名前は聞いたことがある。今のマンションを賃貸契約するときに自治会費っていうのが契約内容にあって、その時に見た名前だ。


 あと風の噂で凄いお金持ちで派手な格好をしているとか聞いたことあるけど、今日初めて見た。


 なんであの人、あんなファンタジー世界の貴族みたいな格好なんだよ! スーパーに来る服装じゃねぇ! てか、お金持ちなら特売品のタイムセールに来るなや!


 極め付きにはあのざます口調だわ! 使ってる人、本当にいたの!? スネ夫のお母さんくらいしか見たことないんだけど!?


 シアも思わずその場で足を止めて唖然としてるじゃん。


 異世界の吸血鬼であるシアまでも驚愕される自治会長‥‥‥この町、大丈夫かな‥‥‥?


 そんな風に抑えきれなくなった脳内ツッコミをしつつ町の行く末に危機を抱き始めてると、どうやら自治会長はどのブリにするのかを見定めたらしい。


 道を作っていた自治会所属の奥様たちもお互いにポジションを立ち換えたりなんかしてブリを確保していく。


「皆様、全員とも商品は手に取ったでざますか?」


「イエス、目的は達成したでございます」


「よろしいでざます。では皆さん、参りましょうか」


「「「「「「「はい、自治会長!」」」」」」」


「ノンノン! わたくしのことは大奥様グランマと呼びなさいといつも言ってるざます」


「「「「「「「イエス、大奥様グランマ」」」」」」」


「それではごきげんよう! おーっほっほっほっ! おーっほっほっほっ!」


 そう高笑いをあげながら、来たとと同じように堂々と帰っていく自治会長‥‥‥じゃなくて大奥様グランマ


 なんか、去り際にちらりと目が合ったような気がしたんだけど‥‥‥え? 気のせいだよね? どちらかというと、お近づきになりたくないよ?


『流石は長年二つ名持ちネームドを冠するこの町の奥様の支配者! 圧倒的な統率力で一気に状況が動いたぁ! 残りのブリは約三分の一ほど! 数に限りが見えて来たぞ!』


 店長の実況を聞いて大奥様グランマのことよりブリのことだと我に返る。店長の言う通り、先ほどまで陳列棚いっぱいにあったブリの数がその数を大幅に減らしていた。


 自治会所属の奥様達がいなくなったことで、戦場の人数はいなくなったけど、それでも全員が手にするには足りなすぎる。


 大奥様グランマに圧倒されていた戦場に立つ主婦たちもそのことに気づき、再び我先にと手を伸ばし始めた。危機感が募ったのか、その様相は先ほどよりも苛烈に見える。


 うちのシアは‥‥‥いた!


 いつの間に激戦区に戻っていったのか、最前線に舞い戻り必死にブリにてを伸ばしていた。俺は応援する。


「いけ! そこだっ! ——あぁ~~おしい!」


 また一人抜かして、拓けたブリの陳列棚に手を伸ばすも、その間に入り込んで妨害する短髪の主婦。


 シアは一旦手を引っ込めると、素早く移動して隙を伺っていた。


 というか、これが始まった時から思ってたけど、なんでシアはパワーで攻略しないんだろう?


 確かに速さで翻弄しているのは効果的だと思うけど、吸血鬼であるシアが力比べをすればそれこそ簡単に獲れるのでは? いつも俺にタックルしてくるみたいに。


 それともそういうラフプレーはダメなんだろうか? でも、どちらかといえばフィジカルで当たってる人のほうが多いよな‥‥‥。


 ん~‥‥‥しかし、シアに相対するあの短髪の主婦の人、何気にすごいな。シアの速さに結構ついていってるぞ。


「‥‥‥」


 いや、あの人だけじゃない。よく見ればあと三人、際立ってる主婦がいる。


 大奥様グランマみたいな派手さはないけれど、一人で複数人を抑え込んでいる一つ結びの人とか、メガネをかけた理知的な人なんて、耳元で何かを囁いたかと思ったら何故かその人を戦線離脱させてるし。


 そしてシアを抑えてる人を含めた三人をまるで指揮するように立ち回っている目つきが鋭い人。


 俺の目には今はこの四人が戦場を回しているように見えた。


「よし! あっちゃんはその新人を抑えて! みっちゃんはそのまま壁! よっちゃんは選別を任せる! その間、他はあたしが抑えるわ!」


「「「了解!」」」


『ブリが着々と少なくなっていく中、ここで”井戸端会議”の四人組が一気に勝負を仕掛ける! 期待の新人も得意の速さを活かしきれてない! この最強の四人組を止められるものはいないのか!?』


 店長がそう実況する中、よっちゃんと呼ばれた女性が、メガネをクイッとさせて、ブリの良しあしを見始める。


 その姿を見て、シアは焦ったのかさらに速さを上げてフルスロットルで相対するあっちゃんと呼ばれた女性を追い抜こうとする‥‥‥が。


「くっ‥‥‥! あなた、なかなかやりますねっ」


「はぁっ、はぁっ、ジャニーズのライブで鍛えられた脚力、舐めてんじゃ、ないわよ‥‥‥っ!」


 激しい息切れをしつつも、シアにワンテンポ遅れつつ追いついてきた。


「でも、そろそろ限界なはず——」


「——あっちゃん、チェンジ!」


「あ、ちょっと!?」


 指示を出している人がそう叫んだ瞬間、シアと相対していたあっちゃんはシアには目もくれずに、その健脚を用いて一気に陳列棚の前に移動する。


 当然シアも、追いかけようとしたものの、シアの前には新たな人影‥‥‥さっきまでブリを見定めていたメガネの主婦、よっちゃんだ。


「あなたの相手はワタシ」


 メガネを再びくいっとさせて、シアと相対する。


「邪魔、です! あなたじゃ私に追いつけません!」


「確かに。けれど、ワタシの武器は足じゃない」


 そう呟くと同時に、よっちゃんはすらりとシアに忍び寄ると、シアの耳元で何かを囁いたように見えた。その際、チラリと俺のほうを向いてくる。‥‥‥なんだ?


「————」


「——なっ!?」


 俺の場所からはあの人がシアに何を言ったのかわからないけど。囁かれた瞬間、シアは驚愕した声をあげて顔を真っ赤にした。


 すごい勢いで俺の方を振り返ってくる。


「あ、天斗! 違いますからね! 私はそんなことしてませんからね! ちょ、ちょっとはしちゃったかもですけど‥‥‥」


「え、何が‥‥‥?」


 声を大きくして俺に向かって叫んでくるけど、言ってる意味がよくわからない。‥‥‥え、なに? なんかやらかしたの?


 その時ふと、シアの後ろでニヤリと笑ってるのが見えた。


 完全に足止めされてる‥‥‥。そういえば、他にも何人かあの人にああやって囁かれた途端に動きがぎこちなくなったり、戦線離脱したりする人が多かったな。


 つまりは、それがあのよっちゃんっていう人の武器なんだろう。俺に言いくるめらることの多いシアとは相性が悪そうだ。


「おい、シア! 何言われたのかわかないけど、落ち着け!」


「あっ、しまった!?」


『”井戸端会議”の四人組! 無事にブリを確保! 見事な連携プレー! 見事なチームワーク! これが元ネームドチームの実力だぁ!』


 シアが我に返った時にはもう遅し、あの四人組はしっかりとブリを確保してレジに向かって行っていた。


 てか、やっぱりあの人たちも二つ名持ちネームドとやらだったのか‥‥‥。元って言うのが気になるけど。


『さぁさぁ! ブリの数も残りわずか! 数えるほどしかありません! この中のいったい誰の手に!?』


「「「「「「「「私だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」」」」」」」


 店長の実況の煽りに、一斉にブリに飛び掛かっていく主婦たち。


 あの四人組がいなくなった今、あの中でシアを止められる人はいないだろうし、これは順当にブリをゲットできたかな。


 そう思って、安堵のため息をつこうとした時だった。


 後ろにある自動ドアの開閉音がした瞬間、俺の肌が粟立った。



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