第18話 捕獲


『右目が、見えない?』

『うん。あくまで予測の域を出ないけれどね。右後ろからの攻撃への反応が遅れるってことは、そっち側のどこかが正常に機能していないんじゃないかなと。まあ、耳が聞こえていない可能性も捨てきれないけど』

『でも、どうしてそんな……』

『実際に見てないからあれだけど、彼が君たちの言ってたとおりの見た目なら、その子は全く大事にされていないだろうからね。そこら辺に異常をきたしていても不思議ではないよ。右目、どうなっているか見ていないんでしょ?』

『ええ、前髪で隠れていたので……』

『だろう? ますますそれっぽいな。髪が視界の邪魔にならないってことだからね』

『…………』

『ま、つまり、何かに気を取られている状態なら右後ろから近付けば、君たち人間でも攻撃できる可能性があるってことさ。ああでも、お勧めはしないよ?』



 ――――


 弑流しいなの脳裏に確信めいた感情が芽生えた。今ならシャルルとみおが”ドール”を引きつけてくれている。目に付いた箇所を手当たり次第に攻撃している標的の背後に近付くのは難しいかもしれないが、やるしかない。”ドール”にこれ以上傷を負わせずに取り押さえるには、これしか方法がないのだ。


「弑流くん? 何を……」


 突然靴と靴下を脱いで裸足になった弑流に、リチャードが驚いて声をかけようとした。慌てて唇の前に人差し指を立て、訴えるように目配せをする。ここで説明している暇はない。耳が良いはずの”ドール”にこの作戦を聞かれてしまっても困る。

 リチャードは弑流の表情を見て何か察したらしい。眉根を寄せながらも口を閉じ、軽く頷いた。人の良い彼のことだ、弑流がこれからする危険なことを良く思わないに違いないが、こればかりは仕方ない。


 素足になった弑流はなるべく音を立てないように走り出した。こちらに背を向けた状態の”ドール”に気付かれないように、遠回りするような形で近付いていく。常に彼の死角となるであろう右後ろを取れるように、動向に気を配りながら進む。澪やシャルルは一度目線だけこちらに向けたが、すぐに何事も無かったかのように逸らした。”ドール”に勘付かれないように配慮してくれたのだろう。


 息を詰めて、手の届く範囲まで近付く。前回はリンみおが、今回は弑流が一度、近付くのに失敗している。次も上手くいく確率の方が低い。失敗したら、次は無傷では済まないだろう。先程と違って弑流のナイフをしっかり握り込んでいるのだから。


(もうそうなったらそうなった、だ)


 “ドール”の背中は目の前だ。後戻りは許されない。

 意を決して手を伸ばす。


 果たして、その手は拒まれることなく彼の右の二の腕辺りを掴んだ。ぴく、と相手の体が震えるのが分かる。攻撃されないために、そのまま抱き着くように腕を回した。

 捕らえた、と思った瞬間。


 突然“ドール”の体ががくんと崩れ落ちた。全身から力が抜け、糸が切れた操り人形のように膝から崩れる。


「わっ」


 回した両腕に不意に掛かった重みに引っ張られ、弒流も一緒に倒れ込んだ。ただ、両腕を押さえ込むように抱き締めたまま離さなかった。ここで離したら今までの努力が全て水の泡なので、意地でも離すまいと力を込めたおかげだ。図らずも地面に押さえ込むような形になる。


「弑流さん、お手柄です! ちょっと失礼します!」


 ようやっと捕らえた”ドール”の手から、シャルルがナイフを取った。抵抗するものと思ったが、ナイフを握る力はかなり弱く、あっさりと回収出来る。

 何となく弑流のしたいことを察していたのか、水のボトルを持ったリチャードが駆け寄ってきた。弑流にもかかるだろうが、このままかけてもらえば確実だ。例え仙術を使われても弑流の火傷を抑えられる。

 本当はさっさと麻酔銃を撃ってしまえば良いのだが、この状態で撃ち込むと永遠の眠りにつかせてしまう可能性があるので控えたいところだ。


 リチャードが弑流の元に辿り着いても、彼の腕の中の男は暴れなかった。


 ただ、ごぽッ、と嫌な音と供に血を吐いて、その身を彼の腕に預けた。相当弱った様子の相手に、リチャードも水をかけるのを躊躇ちゅうちょしている。

 基本的に異能系の物語では、火の能力を使う相手にとって水は効果抜群だ。この場合もそうだと考えると、火の仙術を持つ”ドール”がこれほど弱った状態で水をかけるのは躊躇ためらわれたのだ。現時点で仙術を使われていないことも考えると、かける必要もないのかもしれない。リチャードはかけようと持ち上げていたボトルを下げて、かけるのをやめた。


 不可抗力ながら体を密着させたことにより、弑流は相手の状態がどれだけ酷いか理解した。まるで骨を抱いているかのように細く軽く、力の強くない弑流でも体をへし折ってしまいそうだ。服の上からでも骨が浮いているのがよく分かる。呼吸も脈も浅く、今までよく立って戦っていられたなと感心するほどである。目だけは開かれて何処かを見ていたが、体はぐったりとして動けようもなかった。相手の血が弒流の制服を汚しているが、そんなことを気に出来る状況ではなかった。

 “ドール”はそれでも時折思い出したように足を動かして立とうとしているので、


「ねえ、もういいよ! これ以上はやめて!」


思わず弒流がそう言うと、ようやく動きを止めた。ふと思い出してその足を見たが、赤黒く光っているように見えた紋様は、今はただどす黒い入墨のようにしか見えなかった。見間違いだとは思えないが、結局予感したような不利益は起こっていないように思える。


 首を傾げている彼の元へ、聖が呼んできた救急部の署員が一人走ってきた。完全に無抵抗になった“ドール”は、弑流が手を離しても逃げたり暴れたりしなかった。署員は彼の状態を見て顔を青くしつつ、手早く傷を確認する。


「どうですか?」

「貴方方が付けた傷はともかく、それ以外の方がかなりまずい状態です。生きているのが不思議、と言っても過言ではありません。すぐに運びたいところですが、この場で一旦止血処理してから車内に運び入れます」


 署員は持ってきた荷物入れから止血剤を出して素早く投与した。弑流たちが作った二つの弾痕も止血処理を行う。処置がされている間も”ドール”は目だけ開けてそれ以外は脱力していた。瞬きと胸の上下がなければ一見死体のようだった。


 粗方処置が終わると、署員は他の署員に無線で何事か指示をする。それから弒流を振り向いて、


「そちらの方、すみませんが“ドール”さんを抱えてついて来ていただけませんか。本当は担架で運ぶべきところですが、組まれたままの足場が邪魔で遠回りをせざるを得ないのです。出来るだけ早く運ぶにはそれは避けたいですので」


 署員は応急処置用の道具箱を持っているために抱えられない。すぐそばにいる弒流がちょうどいいのだろう。断る理由もないので、“ドール”の背中辺りと膝裏に腕を入れて抱き上げる。身長が自分と同じくらいなため力を込めて持ち上げたが、予想の半分ほどしか重さがなかったせいで逆によろけてしまった。


 大人しく抱き上げられた”ドール”の顔が間近にあり、それがあまりにも人形もしくはマネキンじみているので、一瞬本当に生きているか不安になる。陶器の体に血糊を入れていて、それが流れ出していると言われても信じてしまいそうだ。


 「こっちです」と言われて署員について行くと、足場と足場の隙間から外に出るよう促された。人が乗ったときに崩れないようにするため、妙に入り組んでいる足場を人一人抱えて出るのは容易ではなかった。一度”ドール”をシャルルに預け、弑流が先に出てから受け渡しをする。足場に身を乗り出して、彼の脇の下に両手を入れて引っ張り出す。軽いとはいえちょっとした重労働だ。


 作業中に脇から足音が近付いてきたので、別の署員だと考えてそちらを見ずに話しかける。


「あ、ここからは担架でお願い出来ますか?」


 しかし、返ってきた言葉は予想外だった。弑流に対する返事ですらなかった。


「…………死に損ないの木偶でく人形が」

「え?」


 弑流がそちらを見ると同時に、その声に反応して”ドール”もそちらを向いた。そこに立っていたのは署員などではなく、サングラスにマスクをし、帽子を深々と被った男。弑流は知らないことだが、男はレノたちを襲った男女の片割れだった。


 その男の手には消音器サプレッサー付きの拳銃が握られ、銃口はぴたりと”ドール”の頭部に向いていた。

 ”ドール”は自分に向けられた暗い穴を見つめ返した。その目は波一つない水面のように穏やかで、感情の波は一切起こらなかった。


 思考停止した弑流の脳が正常に働いて何かを叫ぶ前に、その場周辺に一発の銃声が響き渡った。

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