終末世界への扉
白里りこ
第1話 待っていたもの
何かフサフサしたものが額に当たる。
「ワフワフ」
ぺろぺろと頬を舐められる。
「ああ……ペテロ。起こしてくれたのか」
「ワフ」
「これ、自分で起きた方がいいのかな……よっこいせ」
壁面についたボタンを押すと、棺の扉がウィーンと開いた。
「ワフッ」
スパニエルの混じった雑種犬のペテロが真っ先に嬉しそうに飛び出す。狭くて仕方がなかったのだろう。
僕たちは一人と一匹でコールドスリープ装置に入っていた。五十年の月日を眠って過ごし、今こうして息を吹き返した。
装置の置いてある地下室は無人だった。
ペテロが楽しそうに埃っぽい床を嗅いで回る。
そういえばどうして掃除が行き届いていないのだろう? スタッフの姿も見当たらないし、照明も無いから真っ暗だ。僕の入っていた装置からの光が僅かに漏れ出ている程度。
五十年の間に、何かあったのだろうか。
(しかし、五十年か。今頃はナオミもしわくちゃのおばあちゃんになっているだろうな)
それは少し寂しいことだ……と思ってから、僕はふと首を傾げた。
(おばあちゃん……?)
そうだ、僕は、幼馴染で長年付き合っていたナオミに振られた。天涯孤独でナオミしか頼る人のなかった僕は、やけになって、ただただナオミに復讐したくて、コールドスリープに入ったのだ。醜く老いぼれたナオミの前に、若々しく溌剌とした姿で現れて、嘲笑ってやろうと思ったのだ。そのために財産の多くを注ぎ込んでコールドスリープに入った……。
それなのに、目覚めて一等最初に思うことが、寂しいだなんて、僕はどうしてしまったのだろうか。
「寂しくなんかない」
僕は自分に言い聞かせた。
「僕にはペテロがいる」
僕はペテロを抱き上げると、エレベーターで地上階へ行こうとした。さて、五十年経ったこの町はどうなっているだろうか。
ところが、エレベーターが動かない。
僕はげんなりした。まさか、階段を上って行かなければならないのか?
「ペテロ、少し大変だけど、自分で歩いてくれ」
ペテロを下ろして階段のある場所へ向かう。幸い、電気はついた。ちなみにこの施設は耐久性の高い太陽光発電で動いている。
僕たちは階段を上り出した。カン、カン、と革靴の底が金属の板を踏む音が響く。チャカッチャカッ、というのはペテロの爪が階段を掻く音だ。
やがてペテロが舌を出し始めた。
「休憩しようか」
といってもおやつのようなものはない。持っているのは財布と古い端末だけ。こんな事態になろうとは予測していなかったから。代わりに僕はペテロをたくさん撫でてあげた。
「さ、がんばろう。とにかく何か食べ物にありつかないと」
カンカンカン、チャカチャカチャカ。
やがて先へ進めなくなった。
「これが脱出口か」
金属の扉が天井を塞いでいる。それを下から押し開けようとした。
「んぐぐぐぐぐ……」
やたらと重い。僕は持ち前の筋力で何とかしようとしたが、なかなか持ち上がらない。コールドスリープによる消耗のせいもあるだろう。
「ワンワン」
ペテロがしきりにぐるぐると回って、外に出たそうにしている。そうだよな。早く外に出たいよな。
ペテロに応援された僕は、一層力を込めた。
「んぐぐ、あとちょっと」
そこへ、ペテロがジャンプして、脱出口に前足をちょんとついた。
「あっ」
当たりどころがよかったのか、ずりっと四角い金属板が動いた。
「うおおおおお……!」
あとは簡単だった。僕たちは地上へ出ることができた。
地上階にあるはずの施設の建物は丸ごと消え失せて、埃っぽい更地が広がっていた。
ザザーッと、砂埃を含んだ風が吹き抜けていく。
「何だこりゃ」
町がない。誰もいない。
高層ビルもない。オフィス街も、マンションも、ショッピングストリートも。
世界政府の中枢を担っていたはずの町が……瓦礫の山と化して、消え失せている。
異常事態だ。僕が眠っている間に何があった? 戦争か?
「ワフワフ」
ペテロが茶色く焼け焦げた大地へと駆け出した。
「あっこら、危ないぞ!」
僕は慌てて追いかけた。足場も視界も悪い中を走って、何とかペテロを捕まえる。
ペテロには首輪をつけてある。あとは僕のポケットにあるリードを首輪に取り付ければ安心だ。
ふう、やれやれ。
「フガフガ」
ペテロはしきりに地面を嗅いでいる。
「残念だけど食べ物はなさそうだね。そもそもこんな状態の場所に何かあるわけ……」
あった。
明らかに軍用の装備が施された、大きなトラックが、遠くに停まっていた。
僕の心臓がドクンと跳ね上がった。
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