第6回

   6


 麻奈は拝殿内で結奈と共に“ソレ”と向き合い、何を言っているのか解らない、とばかりに立ち尽くしていた。


 唐突に届いた結奈からのメッセージ。


『神様に会わせてあげるから、すぐに来て』


 その言葉通り、今目の前にいる男は――自らを創造主と称したのだった。


 見た目は普通の男。眼鏡をかけ、涼し気な瞳で麻奈と結奈を見つめている。黒のカッターシャツに黒のジーンズ。おまけに靴まで黒く、自分を特別な存在だと信じ込んでいるイタい男のようにしか麻奈には見えない。拝殿内の壁に背中を預け、腕を組むようにして立つその男の姿はけれど確かにあやふやで、輪郭はどこかぼんやりとしており、本当にそこに存在しているという確証をどうしても得ることができなかった。息を吹きかければそのまま消え去ってしまうのではないかとさえ思えるほど、その姿は揺らいで見える。


 麻奈は創造主を自称するその男に、眉を寄せながら改めて訊ねた。


「あなたが神様――創造主って、まさか本気で言ってるの?」


 信じられなかった。あり得なかった。どこからどう見たって普通の男だ。人だ。人間だ。これを神様だと言われて、創造主だと言われて、信じられるはずもない。


 男は小さく頷き、ため息をひとつ吐きながら、

「――信じてもらえないだろうけどね」

 低く、けれどはっきりと聞き取れる声でそう答えた。


「創造主って、もっと神々し姿をしてるんだと思っていたわ」麻奈は男を睨めつけながら、「あなたのその格好、まるでどこかの大学生そのものにしか見えない」


「……すまないな、神々しくなくて。この世界に合わせたんだ」


 創造主は言って、自身の足下に視線を落とした。


「その創造主様が、どうしてこんなところに居るの?」


 麻奈があえて険を含んだように訊ねると、それに答えたのは隣に立つ結奈だった。


「――ヨモツオオカミ」


「ヨモツ……なに?」


「黄泉津大神。黄泉の国の女王。伊邪那美の成れの果て」


「それくらい知ってるわよ」と麻奈は少しばかりむっとしながら、「そのヨモツオオカミが何だっていうの? この創造主とか言ってる男とどんな関係があるっていうの?」


「喪服少女のこと、知ってるでしょ?」


「なに? 今度は喪服少女の話? 意味が解んないんだけど」


 思わぬ方向に話が飛んで、麻奈は軽く苛立ちを覚える。


 結奈もまた険しい表情で視線を床に向けたまま、

「あの喪服少女に憑りついていたんだよ、黄泉津大神が」


 想像もしていなかった突拍子もない結奈の言葉に、麻奈は一瞬、ぽかんと口を開けて、

「……は? なにそれ、どういうこと?」


 そんな麻奈に、創造主の男は小さくため息を吐くと、

「こんなはずじゃなかったんだ。アレは本来、ただの神に過ぎなかった。世界そのものに手出しできるような存在じゃなかったんだ。それがまさか、生まれた感情に吞み込まれて暴走を始めるだなんて、誰も思いもしていなかった」


 生まれた感情? 吞み込まれた? 暴走? 誰も思いもしなかったって、いったいそれは誰が思いもしなかったっていうの? 意味が解らない。


「……ごめん、話が見えない」麻奈は頭を押さえながら頭を振り、「悪いけど、もっとわかりやすく説明して」


 結奈はゆっくりと麻奈の方に顔を向け、「つまりね」と口を開く。

「黄泉津大神は、イザナギの創ったこの世界を滅ぼそうとしている、そういうこと」


「せ、世界を滅ぼすって、そんな、ゲームとかマンガじゃあるまいし――」


 そんなバカな話、あるはずがない。


「本当だよ」と創造主の男は口にする。「古事記は解る?」


「コジキ――古神記のこと?」


「そう。あの中で、黄泉の国に堕ちた伊邪那美と、彼女を取り戻そうと黄泉を訪れた伊邪那岐のふたりは、千引の岩を挟んで、どんな会話を交わした?」


「どんな会話って……」


 確か、死んだ伊邪那美を連れ戻そうと伊邪那岐が黄泉の国を訪れて、伊邪那美は帰っても良いか黄泉の国の神々に伺うから絶対に覗くなと言って、その約束を破った伊邪那岐を、伊邪那美が「よくも見たな」と追い駆けて……? それから岩を挟んで、二柱がどんな会話を交わしたのか思い出そうとしたところで、結奈がゆっくりと口を開いた。


「――愛しき我が夫よ。こうなればあなたの国の民草を、日に千人縊り殺してやりましょう」


 その台詞に、麻奈は軽く息を飲んだ。


「なによそれ…… じゃぁ、その伊邪那美が、黄泉津大神が、この世界中の人たちを殺そうとしてるってこと?」


 そういうこと、かな。結奈は小さく口にして、改めて創造主を騙る男へ顔を戻した。


 麻奈も信じられないとばかりに、もう一度男に顔を向けた。


 男は天井を仰ぐようにして、

「ただ、アレは直接的には動けない。世界に適応する必要があるんだ。肉体は誰かに憑くこと、下僕は――黄泉軍は誰かを感染させることでしか増やせない。今ならまだ、防ぐことができるはずなんだ」


「防ぐって、誰が、どうやって? まさか、私たちにそれをやれって言いださないわよね?」


「そのまさかなんだよ、お姉ちゃん」結奈はため息交じりに答える。「この創造主様は、そのつもりなんだよ。っていうか、私たちにしかできないんだってさ」


「なんで、どうして?」


「それは、私たち姉妹が――」


 結奈が説明し始めた、その時だった。


 本殿門の向こう側、参道へと続く長い石段の方から、地響きに似た音が聞こえてきて麻奈も結奈も、そして創造主の男もそちらに顔を向けた。


「えっ、えっ、なに? 何が起きてるのっ!」


 どどどどどっ、と何かが押し寄せてくるような複数の足音。ピリピリとした何とも言い難い空気が張り詰め、麻奈は戸惑いながら、思わず身構える。


 やがてその長い石段から姿を現したのは、たくさんの狐や鼠。そしてそれに混じるようにして跳ねながら駆けあがってきたのは、何かを脇に抱えたタマモだった。


「た、タマちゃん!」


「麻奈、結奈」


 タマモは唐門を抜けて狐や鼠たちと共に拝殿内へ駆け込んでくると、脇に抱えたもの……玲奈をおろしながら、

「玲奈、大丈夫か」

 床に玲奈を横たわらせ、声を掛けた。


「れ、玲奈っ!」


 え? なに? 何があったの? 玲奈の身に、いったい何が起きたっていうの?


 麻奈は玲奈に駆け寄り、そして。


「代わって」


 朝奈の声がした瞬間、麻奈の世界が、反転した。

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