第4回

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 夏休みということもあってか、ショッピングモールの中は学生と思しき姿が多くあった。親と一緒に、友達と一緒に、或いは恋人と一緒に、館内はとても賑やかで、そしてこの中には同じ学校に通っている他のクラスの子や先輩、後輩なんかもいるんだろうな、と玲奈はそんなことを漠然と考えていた。何だか軽く眩暈と吐き気がする。人混みのせいだろうか。平日であるにもかかわらず客数はやはり多い。


 結奈や桜とまず最初に向かったのは、当初の目的である大きめの下着を専門で取り扱っている『エルプラス』というお店だった。結奈の言っていた通りごく最近できたらしいそのお店の店頭には色とりどりのブラジャーやショーツが陳列されており、何体ものマネキンが綺麗に着飾った状態で並んでいる。全体的にパステルカラーで、奥の方には黒や赤といった少し派手な印象の下着も見える。そのどれもが確かに大きいサイズをメインとしており、サイズ表記を見る限り、この店ならちょうどいいものがあるかも知れない。ただし、値札を目にするとなんだか眩暈を起こしてしまいそうだったのだけれども。結奈が『買ってあげる』なんて言っていたけれど、本当に良いのだろうか? 玲奈は姉に無言で視線を向けた。


「ダイジョーブだよ」と結奈はにっこりと笑う。「その代わり、私と桜ちゃんが決めるけど」


「えぇっ!」


「私たちで、セクシーなの選んであげるね!」


 桜も嬉々とした表情で玲奈の腕を店の奥へと引っ張った。


 何となくふたりに着せ替え人形か何かのおもちゃにされてしまうんじゃないか、と不安になってくる。


「ほらほら!」と結奈も玲奈の背中を軽く押しながら、「まずはサイズから測ってもらおうか」


「う、うん……」


 まともにサイズを測ってもらうのなんて、いつ依頼だろうか。前回は母親と一緒に買いに来たような記憶があるのだけれど、あれも昨年末――よりも前、秋口くらいだったような気がしなくもなかった。もしかしたら、一年以上ぶりかもしれない。


 店員に測ってもらうと、昨年よりもカップが2サイズほど大きくなっていた。そもそもアンダーからしてズレていた(決して太ったわけではないと玲奈は思いたかった)らしく、通りで息苦しく感じていたわけだと納得する。それと同時に、いまだに成長を続ける自身の乳房に本当に嫌気がさしてならなかった。


 店員の告げたサイズに対して、玲奈は軽く嘆息する。


「……マジか」とふざけるでもなく眼を見張る桜。


「あんた、どんだけ成長する気よ……。私よりデカいじゃない……」

 結奈も呆れたように眉をひそめた。


「そんなこと言われたって、私も困る……」


 玲奈の言葉に、店員さんもくすくすと笑う。


 これなんてどう? と桜がまず持ってきたのは、真っ赤な薔薇の散りばめられた深紅のブラジャーだった。さすがに派手過ぎて試着する前から玲奈は手と首を同時に激しく横に振る。


「絶対無理」


「え~っ? いいじゃん、赤。可愛くない?」


「それだけは絶対、イヤ」


 ちぇ~っ、と唇を尖らせながら、渋々といった様子で桜は商品を戻しに背を向ける。


「なら、これはどう?」


 結奈が手にしていたのは、黒いレースのあしらわれたものだった。カップの上部左右には、紫色の蝶々が羽ばたくようにデザインされている。一見すれば可愛いと玲奈は思ったのだけれど、


「う~ん。それだと透けて見えちゃいそう……」


「いやいや、見せるんだよ。見せて、魅せるの」


「……誰に?」


「世の人々に」結奈は言って両手を広げて、「可愛くて綺麗な私を見て! って感じ?」


「……別に、そんな目立ちたくないんだけど、私」


「そんなデカいモノぶら下げといてよくいう」


「好きでぶら下げてるわけじゃないの! お姉ちゃんだってそうでしょ!」


「私は全力で魅せていくタイプだもん」


 あっけらかんと言い放つ結奈に、玲奈は「そうだった……」と頭をおさえながら、

「お姉ちゃんはそうかもだけど、私はイヤなの!」


「ぬ~ん。せっかくなんだから魅せてきゃいいのに。持てる者の義務だよ。ノブレス・オブリージュだよ。見たい人はいっぱいいるんだからさ、男女問わず。ねぇ、桜ちゃん」


「そうだそうだ!」と桜は右拳を掲げてわざとらしく抗議するように、「貧相哀れなあたしを見てみなよ! まな板だよ? あるのかないのかすらわかんないうえに、胴長寸胴だぞ! せめて玲奈の乳でも見てないとやってらんないよ! み・せ・ろ! み・せ・ろ!」


「イヤ、ゼッタイ!」


 強く拒否する玲奈に、桜はちっと舌打ちしてから、

「ま、いいけどね。あたしも、玲奈がまた変態に狙われたりなんてしてほしくないし」

 それから新たに持ってきたブラジャーを玲奈に突き出しながら、

「ほら、これならどう? そんなに目立たないし、玲奈に似合うと思うんだけど」


 パステル色の淡い水色のカップには白いレースが幾重にもあしらわれているが、一見するとシンプルで可愛らしく、それでいてさわやかな印象を玲奈は受けた。


「……ありがと、桜」


 玲奈は微笑み、桜から受け取ると試着室の扉を閉める。


 試着してみても肌にぴったりして違和感もなく、カップの収まりもちょうど良かった。デザインもやはり可愛いし、変に目立つ感じもしない。自身の姿を鏡で確認して、うんとひとつ頷くのと同時に、確かに姉よりも大きくなってしまったな、と軽くため息が漏れてしまった。それを除けば不満点などひとつもなく、心から「これが良い!」と思えるものだった。


「どう? 玲奈」


「うん、すごくかわいい」


「あたしも見ていい?」


「あ、うん」


 かちゃり、と試着室の扉が細く開き、桜が顔だけ覗き込んでくる。


「お。やっぱり似合ってる」


「ありがと、桜。これにするね」


「いいねぇ。今度ふたりっきりの時は、それ着てよ」


「……それ、どういう意味?」


「べっつにー?」

 にやりと笑んでから、桜は顔を引っ込めて扉を閉める。


 玲奈は何だか嫌な予感がして、しかたがなかった。


 結局、結奈は玲奈に、ふたつのブラジャーを買ってくれた。


 ひとつは桜が選んでくれて試着した水色の白レース。


 もうひとつはあの、紫蝶々の黒いブラジャーだ。


「絶対に可愛いからっ! 似合うからっ! 一回試着してみなっ!」


 頑なに薦めてくる結奈に折れた玲奈が試しに着けてみると、確かに可愛らしいし、そこまでの違和感も覚えなかった。サイズ感もぴったりで、嫌々ながらその姿をふたりに見せると、結奈はそれみろと言わんばかりにうんうん頷いて「これにしよう」と自画自賛。桜に至っては眼を見張り口をぽかんと開けて「エロい」のただひと言だけだった。上に羽織るものさえ選べばいいか、と玲奈も(一応)納得する。


「ありがとね、お姉ちゃん」


 店を出てから、玲奈は姉に礼を述べる。


「いえいえ。大事にしてくれたまえ。可愛い妹よ!」


「ねぇねぇ、帰ったら玲奈ん部屋で着てみてよ。あたし、もっかい見たい!」


 桜がいって、結奈も嬉々として賛同する。


「お、いいね〜! それなら私もこないだ買ったやつ、見せちゃおっかな〜!」


「え! マジですか? やった!」


 そんなふたりに、玲奈は笑みを浮かべながら、

「えっ~? 別にいいけど……」


 そう口にした瞬間、玲奈はその違和感に足を止める。下腹部と股座の不愉快な感じに思わず「あっ」と声が漏れた。


 ――そうか、さっきからのあの感覚は、やっぱりアレだったのか。


「どした?」と首を傾げる結奈と桜に、玲奈は「ごめん」と眉を寄せる。


「ちょっと、トイレ行っていい?」


 そんな玲奈の様子に、ふたりとも察してくれたらしく、


「あ。きちゃったか」


「ナプキン、持ってきてる? ピースは? ないなら私のあげるけど」


 結奈の言葉に、玲奈は軽く首を横に振って、

「大丈夫、ありがと」


 玲奈は荷物を結奈たちに預けると、なるべく急いで手近のトイレに向かった。唯一空いていた個室に飛び込むと、慣れた手つきで対処する。周期的にそろそろかなと思ってはいたけれど、ちょっと油断してしまった。こんなことなら最初からつけておけば良かったなと玲奈は軽く後悔する。意識すると、なんとなく身体の不具合も気になってきた。玲奈のそれはそこまで重い方ではなかったが、一応、痛み止めくらいは飲んでおこう、そう思った。


 玲奈は個室をあとにすると、念入りに手を洗う。肩掛け鞄から携帯用の石鹸を取り出し、泡立てていた時だった。


「……あれ? 宮野首さん?」


「えっ?」


 すぐ隣から声がして顔を向ければ、そこには相原奈央の姿があった。


 玲奈と同じように、相原も水に手をかざしながら、

「偶然だね。おでかけ? 矢野さんも一緒?」


「うん、ちょっとお買いものに。相原さんは?」


「私はデートだよ。大樹と来てるの」


「そうなんだ」


 そう玲奈が返したところで、不意に相原の眉間に皺が寄った。


「――ニオウ」


「えっ?」


 小首を傾げる玲奈に、相原はすんすんと鼻を鳴らすように突然顔を近づけてくると、

「――ツキノモノカ」

 玲奈の耳元で、囁くようにそう口にした。


 玲奈は眼を見開いて驚き、思わず身を引く。


「う、うん、そう、だけど……」


 相原は口元に嘲るような笑みを浮かべて「ふんっ」ともう一度鼻を鳴らした。


 何だろう、どうしたのだろう。声がおかしい。相原さんの声なのに、相原さんの声じゃない。まるで別の誰かが相原さんの口を動かしているようだ、と玲奈は言い知れぬ恐怖をそこに感じた。夏休み前のあの一件依頼、相原の印象は変わってしまった。豹変というほどではないのだけれど、それまで抱いていた彼女への印象とまるっきり異なってしまったのだ。これが元々の性格なのか、それとも――


「大変だよね」次の瞬間には、相原はいつもの表情に戻っていた。同情するように眉を寄せて、「私、結構重いほうなんだ。宮野首さんは?」


「う。うん、私は、そこまでじゃないから――」


「いいなぁ、羨ましい!」それから相原はにっこりとほほ笑んで、「ねぇ、どうせなら皆でお店を回らない? 私、友達と一緒に遊ぶってこと、あんまりしたことなかったから憧れてるんだ。もちろん、宮野首さんたちがよければ、だけど……」


 どうかな、と問われて、玲奈はその変貌にしどろもどろになりながら、


「だ、大丈夫だよ。私も桜も、相原さんともっと遊びたかったし」


 その気持ちに嘘はない。けれど――


「本当? ありがとう!」


 嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる相原奈央。


「あ、でも、木村くんとデート中なんでしょ? そっちはいいの?」


「う~ん」相原は少しだけ考えるようにしてから、「大樹とは最近ずっと一緒にいるから、たぶん、大丈夫だと思う」


「そ、そうなんだ。うん、なら、大丈夫……だね」


「そうだね。ふふふっ! 良かった! ここに来て正解だった!」


「あ、うん――」


「ね、楽しみだね、一緒にアソボウね。ミヤノクビさん?」


 そう口にした相原の口元が、再び不気味に歪んで見えて、玲奈はぞくりと背筋に寒気を感じた。

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