第6回

   6


 誰かにつけられている、と気付いたのは、学校を出てしばらくしてからのことだった。


 いつものように、車道沿いの遊歩道を自転車で帰宅している途中、ずっと後ろをついてくる気配に大樹は思わず警戒した。


 大樹は基本的に安全運転を心がけている。あまりスピードを出さず、横断歩道や歩行者が近くにいる場合はそちらを優先して一時停止し、安全を確認してからペダルを漕ぐようにしていた。そのため、他の自転車に次から次へと追い抜かれていくのがいつものことなのだが、何故か後ろを走っている自転車は、いつまで経ってもそんな大樹を追い抜いていこうとしなかったのである。


 もちろん、後ろを走っている自転車の主が、大樹と同じく安全運転を心がけているだけの人物である可能性も十分にある。或いは多少身体の不自由な老人なのであれば、追い抜くほどの体力がそもそもない、ということもあるかも知れない。


 けれど、横断歩道で停車しているとき、不意に見上げたカーブミラーに映っていたのは、同じ鯉城高校の制服を着た男子生徒の姿だった。その男子生徒は大樹から一メートルも離れていない場所で停車しており、じっと大樹の後頭部を見つめるようにして、そこにいた。


 ――どこかで見たことがあるような気がするけど、誰だったっけ。


 いっそ振り向いてじっくりとその顔を拝んでやりたいような気もしたけれど、『ガンを飛ばしてきやがった』なんて変な言いがかりをつけられて揉めるのも嫌なので、大樹は再び前方に視線を戻した。


 信号が青に変わり、けれど大樹はあえてその場に立ち止まり、スマホを取り出す。メッセージが届いているふうを装いながら、後ろの人物が自分を追い抜いていくのを待っていたのだけれど、一向に背後の男子生徒がペダルを漕ぎ始める気配はない。


 何なんだよ、いったい…… 誰だ、コイツ…… なんでずっと僕の後ろをついて来てるんだよ? さっさと先に行ってくれよ、気持ち悪い……


 気持ちがざわざわして落ち着かない。どうしてあとをつけられているのか、心当たりもない。追い抜いていかない理由も思い浮かばず、信号機が点滅を始める。


「――行かないのか?」


 突然うしろから声を掛けられて、大樹は思わず振り向いた。


 視線が交わり、真正面からその男子生徒の顔を見つめる。


「……あっ、あぁ、うん」


 ぱっと信号が青から赤に変わり、止まっていた自動車の列が、再び大樹の前を走りだした。


 小林、だったと思う。


 確か、相原奈央と同じクラスの、男子の方の図書委員だ。


 昨日、相原と一緒に図書室の当番をしており、大樹と相原がおすすめ図書コーナーのPOPを作成している間も、ひとりでずっとカウンターにいて、小説を読み続けていた記憶がある。


 もしかして、小林の家もこっちなのだろうか。


 それにしても、どうして僕を追い抜いていかなかったんだろう、どうしてずっと僕の後ろをついてくるように自転車を漕いでいるのだろう。


「……えっと、何か、僕に用?」


 すると小林は、静かに頷く。


「……話がある」


「はなし?」


「……うん」


 小林の眼が、怖かった。何を考えているのだろうか、いったいどこを見つめているのだろうか。小林の視線は確かに大樹の方に向けられているのだけれど、その実、意識は大樹の身体を通り抜けて、どこか別のところにあるように感じられてならなかった。


 小林はいったい、何を見ているのだろうか。どこを見ているのだろうか。


 この僕に話があるっているけれど、それはいったいどんな話なのだろう。そもそも、鯉城高校に入学してからのこの数か月、まともに小林と話をした記憶はない。委員会の集まりでも、口ひとつ開かずに、淡々と先輩たちからの指示に従っていたような印象だ。声を聴いたのだって、今日が初めてではないだろうか。同じ一年生でもクラスは違うし、委員会で一緒になるだけで、それ以上の接点は全くない。それなのに、僕に話……?


「それ、本当に、僕に?」


「お前、木村大樹だろ」


「え? うん……」


「じゃぁ、間違いない」


「……あ、そ、そう」


「あっちの先の団地に、公園があるだろ」


「う、うん、あるね」


「あそこで話がしたい」


「こ、ここじゃダメ?」


「ここで話したら、他の人の邪魔になるだろ」


「……い、いや、脇に避ければいいんじゃない? そんなに長くなる話なの?」


「それは、お前次第だ」


「あ、あぁ、そう……」


 有無を言わせぬその雰囲気に、大樹はため息を漏らして、肩を落とした。


 なんだかよく解らないけれど、よっぽど自分と話をしたい何かがあるらしい。正直言って関わりあいたくないタイプの人間だけれど、このまま家までずっとついて来られたりでもしたら、そっちの方が迷惑だ。ここは素直に言うことを聞いて、団地の公園まで行った方が良さそうだ。


「……わかったよ。あそこの山の団地だよね? あの長い階段のある公園でいい?」


「あぁ、あそこでいい。あそこなら、誰の邪魔にもならない」


 小林の口元が、にやりと笑んだような気がして、なんだかより不気味で気持ちが悪かった。


 この男はいったい、何を考えているのだろうか。僕にいったい、何の話をするつもりなのだろうか。どうして僕なんだろうか。


 疑問に思いながら、大樹は小林に追われるように坂道を登り、指定された公園に向かった。


 何人かの小学生がかけっこやボール遊びをしているなか、入り口の方に自転車を止める。


 その公園はこのあたりの団地の中で一番広く、小さなグラウンドくらいの大きさがあって、いつも野球やサッカーで遊んでいる子供たちの姿があった、滑り台や砂場を抜けた反対側には坂の下に続く長い階段があって、小林はそっちに足を向けながら、

「ここはうるさいから、あっちで話をしよう」

 大樹を置いて、先に行ってしまう。


「え? あ、うん……」


 なんだろう、本当に彼についていって大丈夫なんだろうか。何だかすごく変な雰囲気だし、めちゃくちゃ怪しいんだけれど。何を考えているのか全然わからないし、いっそこのまま引き返して、小林を放っておいて家に帰った方がいいんじゃないだろうか。


 そう思ったのだけれど、大樹は素直に小林の後ろをついていった。


 まさか、いきなり襲われる、なんてことはないだろう。同じ図書委員だから、相談事があるのかも知れない。ほら、昨日、相原さんと一緒に僕が図書委員の仕事をしてたから、それで自分も手伝ってもらおうと思った、とか……


 小林は階段を二段ほど降りるとそこに腰かけ、大樹に振り向く。


「座れよ」


「あ、うん」


 大樹は恐る恐る小林と同じ段まで降りて、少しだけ間隔を空けて腰を下ろす。


 それから改めて小林に顔を向けて、大樹は訊ねた。


「…‥で、なに? 用って」


 小林はじっと睨みつけるような視線を大樹に寄こすと、ゆっくりと、口を開いた。



「――お前、相原に何をした?」

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