第6回
「ごめんね、突然来ちゃって」
玲奈は言いながら部屋に入ると、座卓を挟んだ向かい側に腰を下ろした。そこにはすでに座布団が敷かれており、玲奈は日頃から香澄に言われている通り、背筋をピンと伸ばして胸を張りながら、「実は、相談したいことがあって」と切り出した。
ふと背後に視線をやると、斜め後ろではタマが神妙な面持ちで、やはり玲奈や香澄と同じように、大人しく正座している。その姿は服装とのギャップが激しくて、内心玲奈はくすりと笑んだ。タマちゃんに正座は似合わないな、と。
けど、どうしてタマちゃんまであんな真面目腐った表情をしているんだろう。いつもはケラケラとよく笑う人ってイメージだったのに。
そんな玲奈に、香澄はこくりと頷いて、
「――結奈から聞いているわ、だいたいの話は」それから小さくため息を吐くと、「やっぱり、視えていたのね、玲奈ちゃんにも」
「やっぱりってことは、知ってたの?」
えぇ、もちろんと香澄はもう一度頷いて、眉間に小さなしわを寄せながら、
「本当は、もっと早く話をしておくべきだった。視えているのかいないのか、どうしても確証が得られなくて、この話をするのが遅くなってしまって、本当にごめんなさいね」
そんな、謝られても、と玲奈は両手を振り、
「おばあちゃんは悪くないよ。だって、私も気づかなかったんだもの。死んでいる人が視えていることに、今までずっと」
すると香澄は「いいえ」と口にして首を横に振った。
「話しておくべきだったのよ。幸い、あなたは今まで死者や亡者たちに襲われることはなかったけれど、その可能性は十分に考えられた。視えているということは、図らずも彼らに関わってしまうことになるかもしれない、そういうことなのだから。結奈は自分が視えているということに気づいたとき、いの一番に私にそれを報せてくれた。何か変なものが視える。友達には見えていない、よく解らないものがそこらじゅうを歩いているって。けれど、玲奈、あなたは違った。視えているような、視えていないような、とても曖昧な様子でどちらとも判断できなくて、いつまで経ってもあちら側の話をできなかったの。いいえ、視えていないのであれば話をする必要なんてなかった。視えていないのであれば、彼らに関わることもない。そういうことだから。視えないものが視えるのは、子供やお年寄りには多いこと。子供であれば普通は大人になるにつれて視えなくなる。お年寄りであれば、いずれ向かうべき場所が視えているだけだから、そこまで気にするようなことじゃない。そういうものだったから。けれど、玲奈ちゃんはやはり違った。私や結奈と同じ。あちら側が視える体質だった。それに気づけなかった私にも、当然その落ち度はあるから」
「……麻奈お姉ちゃんは?」
結奈や自分に視えるのだから、長女である麻奈にも視えていそうなものだけれども。
しかしその問いに、香澄は「視えていないわ」とはっきり答えてから、
「――ただあの子には、別の力があるの」
「別の、力?」
首を傾げる玲奈に、香澄は「そう」と頷いて、
「幽体離脱、とでも言えばいいのかしら。あの子は時々、私の夢枕に立つことがあるの」
「ゆ、幽体離脱?」
玲奈は思わず目を丸くして驚愕した。
なにそれ。そんな話、麻奈お姉ちゃんから聞いたこと、一度もないんだけれど。或いは私に心配されないように、ずっと黙っていたのだろうか。けれど、それを言うと結奈お姉ちゃんも小学校を卒業するまで死者の話はしてくれなかったし、おばあちゃんもその話をしてこなかったのは、きっと私を思ってのことだったんだ。さっきおばあちゃんも言っていた通り、もし私に死者が視えていないのであれば、無理して聞かせるような話じゃない。知らなくていい世界の話なのだから。
……結局、私にも死者や亡者たち――おばあちゃん言うところの、あちら側が確かに視えていたのだけれども。
香澄は微笑みを浮かべながら、玲奈を安心させるように、
「とは言っても、あの子の場合は近況報告をしてくれるだけ。大学で何があったかとか、好きになった人と行った場所とか――けれど、そのあと実際に会って改めて話してみると、麻奈は私の枕元に立ったことをまったく覚えていなかった。きっと、無意識で見ている夢のようなものなのでしょうね」
だから結奈や玲奈のように、死者というものの存在、そしてあちら側の世界に関しては、麻奈とは一切話をしたことがないのだ、と香澄は玲奈に教えてくれた。
とは言え、玲奈からしてみれば、小学校卒業から怒涛のように思わぬ真実が結奈や香澄から次々明かされていくばかりか、実際にお化け桜に現れる学ランの男子、それに憑りつかれたように毎日話し続けている矢野桜など、それらはこれまでの人生の中で、もっとも理解を超える範疇だった。
にわかには信じがたい、けれども冷静に考えてみれば、自分がこれまで視ていた世界と、幼稚園、小学校と過ごしてきた友達が視ている世界は明らかにことなるのだと教えられて、ようやく納得のいった事象がこれまであったのも事実だった。それはその場にいた友達の数、自分以外誰も知らない子供や大人の顔、生きているはずのない姿をした者たちなどなど――例を挙げていけばきりはなかった。
香澄はいったんそこで言葉を切って、
「だから、この話は麻奈には決してしないでもらえるかしら。もし相談するなら、結奈か私、もしふたりとも手が回らなければ、その時はタマちゃんに聞いて貰えれば大丈夫だから」
その言葉に、玲奈は「えっ?」と声を漏らす。
「……タマちゃん?」
「えぇ、そう」
微笑み、頷く香澄。
まさか、と思いながら、玲奈は後ろに座っているタマを振り返って。
「――えっ」
その姿を見て、思わず息を飲んだ。
そこに座っていたのは、綺麗な白い毛が眩しく光る、大きな犬――いや、狐だったのだ。
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