第2回

   *


 玲奈が矢野桜と出会ったのは五年ほど前、中学校に入学してすぐの事だった。


 当時、ふたりの入学した三つ葉中学校の第二校舎の裏側には一本の大きな桜の木が植わっており、その枝はあり得ないほど太く、長く、至る方向に延びていた。


 その姿は一見して立派な古木のようであり、それと同時に校内に植わっている他の桜――その大半がソメイヨシノだった――とは明らかに様相の異なる不気味さから、学生らの間では『お化け桜』と呼ばれるほど、ある種異様な雰囲気を醸しだしていた。


 そんなお化け桜の下で、玲奈は学ランを着た男の子と親しげに話をする桜を見かけたのだ。


 本来ならば、三つ葉中の制服はブレザーである。にもかかわらず学ランを着ているその男子に違和感を覚えつつ、けれど玲奈はその時ただ漠然と「どこの学校の子なんだろう」程度にしか思っていなかった。


 それから二日ほどの間、玲奈は校舎裏を通りがかるたびにふたりの姿を見かけた。それは移動教室の途中だったり、体育で運動場に向かう途中だったり、教室などの掃除の時間にゴミを捨てに行く途中だったり、空いた時間に必ずといっていいほど桜とその男の子は楽しそうに笑いあっていた。


 さすがにそこまでくると、玲奈もおかしいと思うようになっていた。


 学ランの男の子がどこか別の学校の子だとして、こんな短い休み時間の度に行ったり来たりなんて、そうそうできるようなものじゃない。例え一番近い中学校でも数キロ先だ。五分や十分で来れるような距離じゃない。或いは転校してきたばかりで制服が間に合っていない在校生である可能性も考えたが、それにしても何かがおかしい。一人だけ違う制服を着ていれば目立ってしまうはずなのに、校内で彼の姿を見たことが一度もなかったのだ。学年やクラスすらも判らず、と言って当時の玲奈と桜は学年こそ同じであってもクラスが異なっていたため話をしたこともなく、今のように親しい間柄ではなかったために確認することもできなかった。桜の姿を校内で見かけることは度々あったけれど、どう話しかけたらよいものか、玲奈にはまるでわからなかったのだ。


 そんなある日、学ランの男子と桜を遠めに見つめる、もう一人の男子の姿があることに玲奈は気づいた。その男子は間違いなく三つ葉中の制服を着ており、校舎の影に隠れるようにして、じっと二人の様子を窺っているようだった。


 その男子生徒の事なら、玲奈も知っていた。

 同じクラスの村田一である。


 話をしたこともまだ一度か二度くらいしかなかったが、人当たりの良い明るい性格で、恐らくいつも手入れしているのであろう少し長めの黒髪に、丸っこい顔が特徴的な男の子だった。これから成長期を迎えるところで、当時はその背も玲奈よりわずかに低いくらいだった。


 まだまだ幼さの残るその顔立ちが、桜の後ろ姿をじっと睨みつけるように見続けているのがあまりに気になって、玲奈は勇気を振り絞って村田に声を掛けてみたのだ。


「む、村田くん……」


「えっ!」

 村田は一瞬身体をビクつかせて声を上げ、慌てたように玲奈に顔を向けた。

「み、宮野首? あ、いや、えっと……なに?」


 しどろもどろになりながら、村田は誤魔化すように笑顔をつくった。のぞき見していたのがバレて気まずいのか、視線をきょろきょろさせていた。


 そんな村田に、玲奈も「えっと、その……」と口を濁しつつ、

「そんなところで、何をしてるの……?」


 訊ねると、村田は「あぁ、いや、その」と眉を寄せながら逡巡するような素振りを見せ、「べ、別に何も――」とぼそぼそと口の中で返事した。


「で、でも、ずっとあの子たちのこと、見てなかった?」


「あ、いや、それは、その……」

 と村田は桜の方に顔を向け、もう一度玲奈の方に向き直ると、小さくため息を吐いてから、

「なんて言うか、おかしいと思わないか? あいつ」


「おかしいって、学ランの子?」


 玲奈の言葉に、村田は眉根を寄せて首を傾げる。


「……学ランの子?」


「ほら、あの子――桜さん?と仲良さそうにお話ししてる、学ランの男の子」


 玲奈の指さす方に村田は視線を向けたが、けれどやはり困ったような表情で、

「……どこ?」


「あの子の正面にいるでしょ?」


「……いや、いないけど」


「――えっ」


「俺には、桜がずっとひとりでべらべらお喋りしてるようにしか見えないんだけど……?」


 そこで初めて、玲奈は学ランの男子が人ではないことを理解した。桜と学ランの男子があまりにも普通に会話をしているせいで、彼が死者であることに、まったく気づけなかったのである。

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