第5回

 ミヤノクビのその言葉に、響紀は思わず言葉を失った。訊いてはならない事を訊いたような気がして、バツが悪そうにミヤノクビから視線を逸らす。


「……すまん。なんか、勝手なこと言って」


 そんな響紀に、ミヤノクビは「あ、違うの」と手を振った。


「そんなつもりで言ったんじゃない。さっきも言ったでしょ? わたしのおばあちゃんも、あんたと一緒だって」


「ん? どういうことだ?」


 首を傾げる響紀に、ミヤノクビは「つまりね」と口を開いた。


「あんたと一緒で、死んでなお、あっちこっち彷徨い歩いてるってこと。あぁ、違うわね。彷徨ってはいないわ。なんて言えばいいのかな…… うちのおばあちゃん、わたしとは違って、本当の意味で巫女なのよ。いわゆる民間信仰におけるシャーマンみたいな奴」


 その言葉に、響紀の頭には疑問符が大量に浮かぶ。初めて聞く言葉というわけではないが、そんな言葉、漫画やゲーム以外で実際に耳にしたのは初めてだ。普段の生活でシャーマンなんて言葉、使うか? シャーマンって何だよ。巫女とどう違うんだよ。


 そんな響紀を放置するように、ミヤノクビは続ける。


「若い頃は実家の神社で口寄せとかお祓いとか、何かしら色々やってたそうよ。わたしの苗字は……」


「ミヤノクビ、だろ? さっき年増の巫女がお前のことをそう呼んでたな」


 失礼なことを言うなぁ、とミヤノクビは苦笑する。


「……そう、ミヤノクビ。漢字で書くと、こんな字」


 言ってミヤノクビは砂利の上に指を走らせると、そこに『宮野首』と漢字を記した。


「意味はそのまま、宮の首。つまり、神社の神主の家系ね」宮野首はザラザラと今し方書いた文字を手の平で消し去りながら、「この神社じゃないわよ。もっと東の方の田舎にある神社。そこがうちの本家。うちのおばあちゃんは本家じゃなくて分家の出だったけど、そういう霊的な力に恵まれていたらしくって、結婚してその田舎を出て行くまで、巫女として本家の神社で御奉務していたの」


 宮野首はそこまで話すと一旦言葉を切り、右手をそっと上げ、その手のひらを開いた。


「わたしがあんたを生きている人間と同じように見ることができるのも、そんなおばあちゃんから受け継いだ力ってとこかな。さっきもあんたに普通に話しかけてたでしょ? 要するに、そういうことよ。わたしには、生者と死者の区別がつかない。だから迂闊に話しかけて、危険な目に遭う」


「危険? なんで? 俺は、お前が俺の姿が見えるお陰で、救われたような気がしたけどな」


「そこよ」と宮野首は人差し指を響紀の目の前に突き付ける。「本来なら、死者の姿は生者には見えない。話し声も聞こえない。居るけど、居ない。言わば空気のような存在でしかない。死者は死んだことで孤独を得る。孤独を募らせて、救いを求めて彷徨って。そうして自分の姿や声を認識できる生者が現れた時、そこに救いを見て取り憑き、害を成す。そこに悪意があろうがなかろうが関係ない。何故なら、彼らはただ、死と孤独から救われるのを望んでいるだけだから」


 響紀はその宮野首の言葉に眉間に皺を寄せた。


 それじゃぁ、つまり、俺は。


「俺はお前にとって、いわゆる悪霊って言いたいのか?」


「まぁ、わたしからすればね。でも所詮、それは視点の問題でしょ? あんたみたいな彷徨える魂からすれば、わたしのような霊が見える人は救いに思えるかも知れない。逆にわたしからすれば、あなたたちのような存在は日常生活を脅かす害悪でしかない。違う?」


「それは、そうかも知れないが……」


「少なくともわたしは、この力に迷惑してる。だって生者と思って話しかけたら、実はその人は死者なのよ? そんなわたしの姿を見た霊の見えない人たちからすれば、わたしはちょっと頭の可哀想な子ってことになっちゃうでしょ?」


 それで何度恥ずかしい思いをしたことか、と宮野首は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 そんな彼女の様子を見ていると、こうして話をしていることになんとも言えない罪悪感を覚えてしまう。或いはあの社務所からこちらを見ている人たちは、今の宮野首をどう思っているのだろうか。


「あぁ、あの人たちは大丈夫」と宮野首は響紀の考えを見越したように、「わたしが見えるってことを知っているし、ここの何人かはわたしと同じで、やっぱり死者とかが見えちゃう人たちだから」


「えっ?」と響紀は目を見開く。「霊が見える人って、そんなに居るものなのか?」


 それとも、たまたまここに集まってしまっただけなのか。見えるから神社で働いているのか。


「結構たくさん居るみたいよ。ただ、人によって、その見え方は千差万別みたいだけど。わたしの場合は鮮明に見えすぎて、死者と正者の境目が全く判らないけど、例えばあそこでパソコンに向かって只管データを打ち込んでいる眼鏡のおじさんは死んでいる人がぼんやりとした影にしか見えないそうよ。だから、わたしと会うまでは、それが死者だって気付かなかったらしいわ。単に目が悪くて、視界がボヤけてるだけって思っていたみたい」


 はぁ、とぽかんと口を開ける響紀に、宮野首は「あ、話がそれちゃった。元に戻すわね」と響紀の方に向き直った。


「何の話をしていたんだっけ……そうそう、おばあちゃんの話ね。その巫女をしてたおばあちゃんなんだけど、若い頃からそういう、なんて言えばいい? 霊障? みたいなのの相談を度々色んな人から受けては解決していってたのよ。それは結婚して、こっちに移り住んでからも変わらなかった。おばあちゃんの噂を聞きつけた人たちが各地からやってきては、助けを求めた。それは人だけじゃなくて、時に霊自身だったり、霊以外だったり……」


「霊以外? なんだそれ」


 首を傾げる響紀に、宮野首は「ああ、」と口にし、

「妖怪や物怪の類、と言えば良いのかな。なんか、そんなヤツ」


「おいおい、なんかそんなヤツって……」

 と呆れる響紀に、宮野首は唇を尖らせる。


「だから、よく解らないナニカよ、さっきも言ったでしょう? あっちの世界の事は、解らない事の方が多いって。とにかく、そういう類もおばあちゃんを頼って現れていたの。信じられないでしょ?」


「……まぁ、普通はな。でも、俺も今はあの気持ち悪い奴らを実際眼にしているからな。何があっても不思議はないって気がしてる」


 そんな響紀の返答に、宮野首は心底意外そうな顔をして、

「あんた、顔に似合わず、案外物わかりの良い性格してるのね。一見、頑固なわからず屋みたいな感じしたのに」


「うるせぇ放っとけ」と響紀は宮野首を睨みつけた。


 それに対して、「ごめん、ごめん」と宮野首は悪びれた様子もなく軽く謝り、「そして」と小さく口にした。


「数年前、ある人から依頼されて、あの喪服少女のことを調べてる途中に――死んだ。何者かに川に引きずり込まれて、溺れてね」


「その、ある人ってのは?」


「ヨイナラっていう、元刑事のお爺さん。昔からうちのおばあちゃんに色々相談していたみたい」


「……その人は、今は?」


「死んだわ、一年前に」


「その爺さんも、霊になって彷徨ってたり?」


「さあ、それは知らない。何せあの人が死んでから、その姿を一度も目にしていないから」


「もしかして、その爺さんもあいつにやられたとか……」


 ううん、と宮野首は首を横に振ってそれを否定した。


「確か、癌だったかな。まぁ、結果的におばあちゃんが死んじゃったことに責任を感じて、まともに治療を受けなくなってって感じだったけど」


 そうか、と響紀は答え口を閉ざした。


 二人の間に、しばし沈黙の幕が下りる。


 “ヨイナラ”というと自分が高校の頃、行方不明になったかつての友人について、捜査していた刑事・四十八願のことで間違いないだろう。珍しい名前だし、同一人物としか思えない。そしてその四十八願が、あの喪服の女について宮野首の祖母に相談していただなんて、とても意外だった。


 当時響紀たちが喪服の少女について訴えた時はまともに取り合ってくれなかったというのに、どういう心の変化があったのだろう。それとも、或いはもともとあの女を疑っていて、これ以上新たな被害者を出さないために、適当にはぐらかしていたのか。


 いずれにせよ、本人が死んでしまっている以上、その真相は藪の中だ。


「まぁ、それはそれとして」と宮野首は胸を反らして大きく伸びをすると、「おばあちゃんは死んだあとも、やっぱり生きてる時と同じように――ううん、むしろそれ以上に、あっちやこっちや行ってて、今どこで何をしているのかなんて、わたしには全然判らないのよ。それでもおばあちゃんにあの女について聞きたいことがあるって言うんなら、あんたが自分でおばあちゃんを探して訊いてね」


 でも、と宮野首は首を傾げる。


「それを訊いて、あなたはどうするつもり? こんなこと言うのも可哀想だけれど、あなたはもう死んでる。あの女のことが解ったところで、今更生き返れるわけじゃない。時に身を委ねれば、たぶん、あの世と呼ばれる世界にいけるはず。特に心残りがあるって訳じゃなければね」


 心残り、と言う単語に、響紀の頭に一瞬、奈央の姿が浮かび上がった。


 あの女は、なんて言っていた?


 あの娘の身体が欲しい。


 確か、そんなことを言っていたはずだ。あの女の事だ。俺が奈央を連れて行かなかったからといって、それを諦めるとは到底思えなかった。


 奈央の身体を手に入れる為に、あいつは奈央に近い俺に手を掛けたのだ。もしかしたら、次は俺の両親を利用しようとするかもしれない。


 それに。


「なんとしてでも、俺は奈央を守らないといけないんだ」


 言って初めて、響紀はそれを自覚した。


 意外なことに、あれだけ毛嫌いしていた奈央を、同じ大切な家族として認識していた事実に、思わず自嘲する。


「……奈央? 誰それ。恋人?」


 首を傾げる宮野首に、響紀は首を横に振る。


「遠い親戚の娘だよ。親元を離れて、うちに居候しながら高校に通ってるんだ。小さい頃からよくうちに遊びに来ててさ、両親は娘みたいに可愛がってんだ。ただこいつ、俺に対してはクソ生意気でさ。事あるごとに突っかかってくるんだ。そのくせ俺の目の前をうろちょろしたり――それなのに、どうして俺はアイツを放っておけないんだ? 助けなくちゃって思ってしまうんだ? アイツは俺にとって、眼の上のたんこぶでしかないって言うのに、どうして……」


「ふうん」と宮野首は相槌を打ち、「妹みたいだね」


「妹?」と響紀は首を傾げる。


「そう、妹」と宮野首は言葉を続けた。


「わたしにも姉と妹がいるから、何となく解るよ、その気持ち。まあ、あんたは男でわたしは女だから、ちょっと感覚が違うかもだけど。その気持ちはたぶん、そう言う事だと思う。あんたはその奈央って子のことを、妹みたいに思ってるんだよ」


「……そうかも知れないな」と響紀は頷いた。


 あれだけ小さい頃から何度も顔を合わせて、同じ空間を共有して、今では同じ屋根の下に暮らしているんだ。傍から見れば兄妹の関係みたいなものだし、たぶん、両親に関して言えばもう大分前からそんな感覚だったに違いない。或いは奈央にとっても、俺はウザい兄みたいなものだったのかも。


「でも」と宮野首は眉間に皺を寄せながら、「その娘と喪服少女と、どういう関係があるの?」


「解らない。でも、あの女は確かに奈央の身体を必要としているんだ。それだけは間違いない。なんとかして、奈央をあの女から守らないと」


「ふうん?」と宮野首は口にして、ふとスマホに目をやる。「あ、ヤバい、遅刻しちゃう!」


 言って響紀に背を向け駆け出す宮野首に、響紀は慌てて声を掛けた。


「あ、おい! どこ行くんだよ!」


「大学! 早く行かないと講義に遅れちゃう!」


「なんだよ! 助けてくれないのか?」


「だから、その話、おばあちゃんに相談してみて! 白狐があんたをここまで導いたんでしょ? なら、たぶん、どこか近くにおばあちゃんが居るはずだから!」


「はぁ? 意味が分からん。そもそもあの白狐は何だったんだ? その婆さんのペットか何かか? それともやっぱり、神様の使いか?」


「違う違う!」言って宮野首はニヤリと笑み、


「神様そのものよ!」


 そう叫ぶように言い残すと、あっと言う間に境内を駆け抜け、姿が見えなくなってしまった。


 取り残された響紀はただ、呆然とすることしかできなかった。

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