第6回

「相原さんは、あの喪服の女の子の事、どこまで知ってるの?」


「えっと――」と奈央はおずおずと口を開く。「あの峠の廃屋に独りで住んでて、両親はすでに亡くなっていて、その両親を悼んで常に喪服を着ている、ってことくらい……」


「ふうん、そっか……」と桜は呟き、「じゃぁ、それ以外の噂は知らないってこと?」


「……噂?」


 首を傾げる奈央に、桜は一つ頷く。


「そう。あの女の子に関わったら、消されるって話」


「――え」


 何それ、と奈央は目を見張る。どういうこと? そんな話、私、知らない――


「これは、私が色んな大人――例えばお父さんや近所の人たちから聞いた話なんだけどさ。その話をまとめると、どうやら喪服少女の噂が流れはじめたのって、実は十年くらい前からみたいなんだよね」


 十年くらい前? それはおかしい、と奈央は首を傾げた。奈央自身もあの峠で何度か喪服姿の少女とすれ違ったことがあるが、あれはどう見ても自分と同じくらいの歳に見えた。まさか、十年も前からあの姿だったとでも言うのだろうか? そう言えば、響紀とも話が噛み合わなかったはずだ。いったい、どういう事なんだろう。


 矢野は戸惑う奈央をそのままに、話を続ける。


「喪服少女は両親を早くに亡くし、父母を悼んで常に喪服を着ている、というのは基本の形。最初はただそれだけだったみたい。でもさ、何年かすると流石にずっとその姿はおかしいって思われるようになったみたいでさ。だって、一年を通して同じ服装なんだもの、それは仕方がないよね。じゃあ、年がら年中誰を悼んでるのかって話になった時、誰かが口にしたわけ。あの喪服少女は自身が殺した誰かを悼んでいるんじゃないか、って。それはもちろん、何の根拠もないただのデタラメな話だった。でも、誰かが一度口にした事って、それを聞いた人を介してどんどん一人歩きを始めちゃうものでさ。気がつくと、関わった人は行方不明になる、或いは殺されてしまうって話になっていったみたい」


 そうして、あの町の周辺で誰かが行方不明になる度に、喪服少女と結び付けられていったのだ、と矢野は言って一息ついた。


 奈央は矢野の顔をじっと見ながら、でも、と口を開く。


「じゃあ、喪服少女の話はやっぱりただの噂になるの? だとして、私がすれ違ったことのあるあの子はいったい何なの? 噂自体は十年も前からあったんでしょ? あの子とは関係ないってこと?」


 一度にいくつもの疑問を口にして、奈央は「あっ」と口を噤んだ。こんな立て続けに質問しては、矢野も困ってしまうだろう。


 実際矢野は困ったように眉を寄せながら、「……そこがよく解らないんだよね」と腕を組んだ。

「噂は十年くらい前からあった。なら、その喪服少女が実在するとして、今頃は二十代後半から三十歳くらいにはなってるはずでしょ。だけどさ、あたし達が見た事のある喪服少女って、どう見てもあたし達と同じ歳にしか見えない訳だけど……って、あれ? 相原さんも喪服少女、見たことあるの?」


 遅れて気づいた矢野に訊ねられ、奈央は頷く。


「私もあの辺りに住んでるから、登下校の時にたまに」


「あ、そうなんだ!」と矢野は嬉しそうに破顔した。「じゃあ、もしかして同じ三つ葉中出身? どこのクラスだったの? 見覚えがなくてさ、ごめんね!」


「あ、ううん」と奈央はそれに対して慌てたように首を横に振り、「中学は別。私は高校進学の為に小父さん小母さんの家に居候する事になっただけだから」


「ああ、なるほど。そりゃ、知らないわけだ」矢野は何度も頷きながら一人で納得する。「でも、そっか、同じ三つ葉町周りに住んでたんだねぇ。ならさ、もっと早く話とかしてたら、一緒に帰ったり遊びに行けたのにさ。そうだ、連絡先教えてよ、登録しとくから。なんかさ、相原さん、いつも一人で居るし、ツンとしてる感じがして何だか話しかけ辛かったけど、こうやって話してみたら全然そんな事なかったね。玲奈の後ろの席でずっと伏せてたから、話しかけるなって事かなって思ってたけど、あれってもしかして……」


「ちょ、ちょっと桜! ストップ、ストップ!」


 宮野首が矢野の肩を叩き、彼女は「あん?」と首を傾げた。


「話が逸れ過ぎ! 相原さん、顔固まってるから……!」


 言われて奈央は自身が呆気に取られて顔が硬直している事に気がついた。矢野と視線が交わり、思わず二人して苦笑いする。


 こんなに一方的に捲し立てるように話をする人を、奈央はこれまでの人生で一度しか見たことが無かった。一年生の時に喪服の少女の事を教えてくれた石上麻衣という女の子だ。あれ以来彼女とも交流はなかったが、今の桜の様子はあの子によく似ている、と奈央は思った。そのあまりの勢いに何も言えず、宮野首が止めなければ、このまま矢野のペースに流されてしまっていたかも知れない。


「ごめん、ごめん」と矢野はへらへらしながら謝り、「まあ、兎に角さ。喪服少女についてはよく解らないんだよね。十年くらい前に噂されてた喪服少女と、今噂されてる喪服少女が同じ人かどうか、本当にあの廃墟みたいな家に住んで居るのか、居ないのか。そこはよく判らないわけさ」


 奈央はため息混じりに「……そっか」と小さく答え、視線を机の上に落とした。


 結局、喪服少女が何者なのかは解らない、というのが解っただけだった。自分はいったい何を期待していたんだっけ、と奈央はぼんやりと二人の様子に目をやる。


 矢野は奈央が次に何を話すのか、それをじっと待っているようだった。先程宮野首に注意されたからだろう、話を逸らさないよう気を付けているのかも知れない。


 宮野首の方はと言えば、机の上に胸を預けるような姿勢で窓の外に眼を向けていた。ぽわんとした雰囲気を見ていると、きっと大抵の男子はこんな大人しそうな子が好きなんだろう、本人には申し訳ないけれど、悪い男に騙されてしまいそうなタイプだな、と奈央は思った。


 しばらく三人は黙りこくっていたが、やおら矢野が思い出したように口を開き、「ああ、でも」とその沈黙を破った。


「一応、あの家には誰も住んで居ないってのが不動産屋の正確な解答らしいよ。庭の木の剪定だけはして、敷地の外に枝葉が飛び出さないようにはしてるらしいけど。今後も誰かに貸し出したり売ったりする気はないってさ。あそこの元の地主さんの遺言みたいで、あの土地はなるに任せるようにって。本当はあまり良くはない事らしいんだけどね。あたしが知ってるのは、たぶん、これくらいかな?」


 矢野はふっと小さくため息を吐き、天井を仰ぐようにしながら腕を上げ、大きく伸びをした。やれやれ、と姿勢を正し、奈央にもう一度顔を向ける。


「どう? なにか参考になった?」


「あ、うん」と奈央は頷き、「ありがとう、色々教えてくれて」


「まあ、あくまで都市伝説のひとつだと思えば良いんじゃないかな、とあたしは思うよ。あまり気にしないでさ、その響紀って人が帰ってくるのを待てば良いんじゃないかなぁ」


「うん……そうだね」


 それがたぶん、普通の考えなんだろうな。奈央は納得せざるを得なかった。きっと私が考え過ぎているだけだろう。もう少し待ってみよう。今、焦る必要はない。


「さて!」と矢野は立ち上がり、鞄を肩に下げながら、「これからどうする? どこか寄って帰る? そうだ、相原さんも一緒に帰ろうよ! 他にも色々話ししたいしさ! 相原さん、バス?」


「あ、ううん。私は自転車通学だから」


 そんな奈央に、矢野は眉間に皺を寄せつつ、「そうなの? 残念」と大きく肩を落とした。


 その様子に他意は感じられず、また儀礼的でもなかった。


「あ、じゃあさ、今日だけバスで帰ろうよ。そうすれば色々話ができるじゃん? どうせ雨降りそうだしさ、そうしようよ!」


 その誘いを受けるか断るか、奈央は逡巡する。特に断る理由はない。


 けれど。


「ああ、ごめんね」と奈央は愛想笑いを浮かべながら、「私、図書委員で仕事があるから、今日はまだ帰れないの。また、誘ってくれる?」

 本当は嘘だった。今日は何も仕事はない。ただ、もう少しだけ、ここに一人で居たいと思っただけだった。


 しかし、

「なら、ここで本でも読みながら待ってるよ。それなら一緒に帰れるでしょ?」

 矢野の返答に奈央は困惑した。


 はっきりと断る事も出来たけど、矢野の純粋な思いにそれは難しかった。どうやって断ればいいのだろうと迷っていると、口を挟んできたのは宮野首だった。


「桜、押しすぎだよ。相原さん、困ってるよ?」


「え? あ……」と矢野はその言葉を受けて申し訳なさそうに奈央に顔を向けた。「ごめん、相原さん。勝手に決めちゃって。迷惑だったよね……」


「そ、そんなことないよ。ただ、その……」


 どうも上手く説明が出来なくて、奈央は言葉を詰まらせた。誘われた事は嬉しかった。普段の自分なら、たぶん、喜んで一緒に帰っていたかも知れない。けれど今の心境はそうではなくて。


「……上手く言えなくて、ごめんね。今は、一人で考えたくて……」


 その気持ちを正直に口にし、奈央は二人に頭を下げた。たぶん、二人なら解ってくれるだろうと信じて。


「うん、そうだよね」と矢野は頷き、「だって、一緒に住んでる家族の事だもんね。そりゃ、心配しちゃうよ」


「――ごめんね、ありがとう」


「そんな、謝らないでよ。あたしがまた暴走しちゃっただけだしさ、気にしないで! あ、でもさ、また別の日でいいから、今度遊びに行こうよ、この三人でさ!」


 その言葉が嬉しくて、自然と笑みをこぼしながら、奈央は言った。


「うん! もちろん!」


 それから奈央は二人を図書室の出入り口まで見送りに向かった。互いに「また明日ね」と挨拶を交わし、去っていく宮野首と矢野の背を見送る。


 やがて二人の姿が見えなくなるのを確認してから、また図書室の奥、いつも自分が座る席に向かおうとして。


「あ、相原さん!」


 突然背後から呼び掛けられ振り向くと、そこにはたった今帰って行ったばかりのはずの宮野首の姿があった。奈央は驚きを禁じ得ず、思わず彼女の背後に目をやった。矢野の姿は見えず、宮野首だけ走って戻ってきたのだろうか。それにしては戻って来るまでが早過ぎるような気がするけれど。


 宮野首は奈央に視線を合わせようとはせず、なるべく他所を見るように目を泳がせながら口を開いた。


「あの家には、絶対に近づかないで下さい」


 え、と奈央が小さく口にすると、宮野首はもう一度、同じ言葉を口にする。


「あの家には、絶対に近づかないで下さい」


 奈央は戸惑いながらも「うん」と頷きながら返事をした。どういう意味かはよく解らなかったけれど、例の喪服少女に関わる話である事だけは間違いない。


「それじゃあ、また明日」

「あ、うん……また、明日……」


 背を向けて歩き出す宮野首に倣うように、奈央も同じく背を向けて、

「ねぇ、それってどういう……」

 意味なの、と訊ねようとして振り向くと、すでにそこに宮野首の姿はどこにも無かった。

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