第8話 焦燥

「お前が魔林を殺した」

「ころした   コロシタ               コロシタ    」

「  コロシタ       コロシタ      コロシタ       」

「 コロシタ    コロシタ     コロシタ      コロシタ  」

 頭の中に反響する言葉がトゲとなり、突き刺さる。

 たたらを踏み尻餅をつくが、手にぬめりとした赤黒い液体がつく。

「これは……血?」

「そうだ。お前が殺してきた者たちの血だ」

 冷え切った声音が、僕の熱を奪っていく。

「ち、違う!」

「うそはいけないよぉ~。キミは楽しんで殺していたじゃないか」

 慌てて否定するが、声の主は笑う。

「僕は単に邪魔をする奴を排除しただけで――」

「それを殺した、と言うんだよ~」

 ねっとりとした声音が耳にへばりつく。

「ぼ、僕は――」

「ハハハッ! キミはそうして言い訳ばかりだね~」

 声の主は逃しはしない。

 〝邪魔をする奴を排除しただけ〟と言いかけたが、彼からしてみればそれも言い訳でしかない。殺しに変わりない。どんなに取り繕うと人殺しは人殺しでしかない。


 ……でも、それでは解決できない。

 きれい事ではなにも解決しない。

 力なくして抵抗すらできない。

 無力なら泣き寝入りするしかない。

 力を失えばもとの生活に戻ってしまう。あの地獄のような日々に……。

 いやだ。

 あの日々には帰りたくない。

 だから邪魔するやつは排除する。

 善と悪の違いも分からないやつは粛正する。

 愚か者の蛮行を、この僕が正す。

 やつらは本能のままに生きる動物と同じなのだ。ならそれは人間が管理する必要がある。

 鋭い爪と牙を持つ者はしっかりと縄につないだり、檻に入れておかなければならない。

 そうだ。

 やつらは獣なのだ。飢えた獣なのだ。人の心をもてあそぶ――飢えた獣。そんなやつが野にとき放たれているのはおかしいじゃないか。

「そう言ってキミは嘘をつくんだね……」

 銀色の、少女の澄んだ声が脳髄の端で響く。

「嘘なんてついていない。僕は僕のすることをする」

 だから、と続ける。

「排除する」

 そしてそれは僕を嘲笑ってきた者たち全員だ。

 僕をあの目、凍り付いたような視線でなめ回してきた連中だ。それを許すわけにはいかない。



 眠りから覚めると、そこは久しぶりの自室だった。

 幾度も離れたいと思っていた部屋。そこに帰ってくるのはなぜか。

 まだレオの匂いが残っているここで、僕はしっとりと濡れた衣服を脱ぎ捨てる。タオルで不愉快な汗を拭う。

 ……が、それで全てを拭い捨てることなどできるわけもない。先ほどみた夢の続きを今も見ているようで寝覚めが悪いこと、この上ない。

『うるせーぞ! このやろう!!』

 隣の部屋から兄のドスの効いた声が響く。

 兄はなんにも分かっていない。僕が学校でどんな思いで過ごしているのかも、どんな思いで生きているのかも。

 なにも分からないくせに、分かったようなことを言う。そんな兄が大っ嫌いだ。

『問題児家族じゃん』

 そんな言葉も、兄がちゃんと学校に通ってさえいてくれれば、言われることなんてなかったんだ。

 誰も僕の家庭に興味なんてない。みんな、今の自分たちの生活が守られればそれでいいのだ。他人の、少し先の未来などどうでもいいのだ。結局は、みんな自分が可愛いのだ。他人など、二の次。

 隣人を愛せ。

 神とやらはそう言ったらしいが、この島国で、宗教の自由がある世界では全くもって意味のない概念でしかない。

 神の言葉など、他人の言葉以下なのだ。

 だから、僕は自分を貶めてきた連中を叩く。

 自分の命の危機に達したのなら、反発するのが動物というものだ。闘争本能には、防衛本能だ。

 互いの本能をぶつけ合い、そして残った方が勝者だ。

「お前を兄だと思ったことなどない」

 独りごちるが、それが兄に届いたのかは分からない。

 どうせ、僕が外泊をしていても、気にもとめないのだ。僕を心配している様子などない。


 人間には、生まれた時から雲泥の差がある。

 身長。体重。視力。健常者、障害者。そして生まれ育った環境。

 人の才を分かつ素養はいくらでもあるが、平等を叫ぶ今の世でも平等であることはありえない。

 その確たる証拠は、僕のような生まれの違いからも分かるだろう。

 両親が離婚していれば、それだけ収入は減る。となれば良い暮らしはできない。たまったフラストレーションは、安定しない精神として吐き出される。それは他人にはただのワガママに映ってしまう。

 故に育った環境によって、他人からの見え方も違ってくるのだ。

 見え方が違えば、他人の態度も変わる。それは必ずしも善意として現れるわけではない。悪意として現れることもある。

『悪いのはあいつだ』『問題児だ』『だから攻撃してもかまわない』

 そんな理屈で、他人は自分と違う存在を排除する。

 僕のような機能不全に陥った家族に対しても。そうであっても、ワガママを言えば『お坊ちゃん』の烙印を押される。そのレッテルからは逃れられない。誰も真実など求めていない。

 彼らが求めているのは、分かりやすく、納得できる理由なのだ。それっぽい言葉があれば、それに賛同してしまうのだ。そこに善意も、悪意もない。ただ単に力ある者に従うだけ。

 だから他人の意見に呑まれる。自分の感覚や意思に関わりなく、他人を排除する。他の可能性は考えない。

 だから、そんな世界にくさびを打つ。


 自宅を出ると、次の目標を探す。

 復讐を果たしてもまだ足りないらしいこの心。まだ血を求めているらしい。

「そうだ。僕をいじめたやつらを――見返す!」

 あの銀髪少女から受け継いだ力で、飛翔する。

 昔、憧れていた兄はもういない。ここには兄のなりぞこないが一人、いるだけだ。いつ帰ってくるかも分からない父と、僕らを見捨てた母は関係ない。

 僕は僕の意思で復讐を果たす。

 安らぎの場などない。理解者などいない。

 僕はいつだって孤独だった。孤独にさせられていた。そうしたのは社会だ。この世界だ。誰も弱者に手を差し伸べなどしないのだ。

 口先では『弱い者を守る』『社会的弱者を助ける』などと言っていても、誰も本気でそう思っちゃいない。

 他人のことなど、しょせん他人事でしかないのだ。誰も自分には関係がない、自分とは違う出来事。そう言って切り捨てるのだ。

 だったら、他人の心奥深くへ一生残る形で残さなければならない。そしてそれは今の僕なら実現できる。

 あの銀髪の少女――アシャがくれた力はこのためにあったのだ。

 世界に本当の悲しみを伝え、記憶させるには必要な方法だ。

 悲しいことだ。つらいことだ。間違ったことだ。そういったものを人々の心に深く刻み込む。それによってすべての間違いを正す。

 少なくともこれからは。

 過去には帰られない。戻れない。やり直せない。なら未来を変えるしかない。


 僕の人生は終わった。


 だからもう二度と、僕と同じ被害者を生み出してはいけない。未来ではみんなが悲しいことだと、苦しいことだと、理解してもらう必要がある。

 人をいじめ、貶め、卑下するのが間違いだと証明しなければならない。歴史に刻みつけなくてはならない。

 人は変わらなくてはならない。

 喩えそれが排他的な方法であっても。反抗的な行いであっても。

 殴られれば、人は反抗する。怒る。そんな簡単な連鎖も分からない連中に示さなくてはならない。

 人が放った悪意は膨らみ他の誰かを、自分を傷つけるのだと。

 他人を傷つける、見下すというのはそういうことだ。

「ん? あれは……」

 パトカーが一台、こちらに向かってくる。サイレンを鳴らしていないことから察するに、逮捕するために来たわけではない。

 玄関前に横付けし、二人の警官がおりてくる。

 大丈夫だ。彼らには僕の手口など分かるはずもない。でも、このいいようのない不安はなんだ?

「ちょっといいかね? ここが八神輝星さんの自宅かな?」


 僕を、探している……? なぜ?

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