第6話 脅された呉羽愛海

 脅されて……?

 呉羽の言っていることが理解できずに困惑する。

「あたしはあいつ――魔林に脅されていたんだよ!」

 その目はどこか真剣味を帯びていて、手が止まる。

 激情にかれた自分が「殺せ」とささやくが、一方で冷静な自分がいる。ここで殺してしまえば、証拠が残る。殺すなら、不可能犯罪にしなくてはいけない。

「どう、いう意味だ……?」

 まずは事情を聞かなくては話にならない。

「あたしは、あいつと恋人だった……」

 それは知っている。たぶん、学校で知らない人はいないくらいの有名カップルだったと思うが。

「でも、別れを切り出すと、あいつはどこからか性行為中の写真を取り出して……」

 リベンジポルノ。

 それは本人が意図せず、夫婦や元恋人が望まぬ形で写真や画像といったものをネットなどに公開するものだ。基本的には当人が嫌がる写真・画像をネットに晒し、脅すような場面が多いイメージがある……だが、それが現実に目の前にいるとなると、言葉に詰まってしまう。

「嘘じゃない! これが証拠の写真!!」

 呉羽がスマホを操作し、渡してくる。思春期の人が、ましてや異性に自分のスマホを預けるなど、九割の人間がありえないと叫ぶのだろう。

 だが、呉羽はその裁量を委ねてきた。それを無碍にするほど、僕は悪魔に魂を受け渡した覚えもなく、怖ず怖ずとスマホをのぞき見る。

「これは……」

 彼女にとっては恥辱の瞬間。本当なら誰にも見せたくないだろう画像ファイルと、それに添えてあるメッセージ。

 魔林は「この写真をバラまれたくなければ恋人を続けろ」と、優しさも慈愛もない言葉を投げかけていた。

 しばし呆然となり、呉羽を抑え込んでいた力が抜けていく。だが、呉羽は抵抗する気がないのか、はねのけようとすらしない。まるで自分の罪悪の采配を委ねるように身じろぎ一つしない。

 その行為が物語っている。彼女は脅されていたのだと。

「あたしは、ようやく解放される。……もう殺して」

 手のひらに集中していた光を、散らし消滅させる。

「くっ……」

「なんで……? あたし、あんたにひどいことしてきたのに」

「自覚はあったんだな」

 自覚がある悪意なのに、それをやめないのは悪以外の何者でもない。このまま殺してしまってもかまわないのかもしれない。どうせ認知されていないいじめだ。僕が彼女を殺す理由なんて、大人には分からない。

 それとも事件としてニュースにでも取り上げてくれたら、僕のような人間は減るのだろうか。そうであるなら少しは僕の人生にも意味があったのかもしれない。

 ……だが、彼女の話を少し聞いてみようという気持ちもある。

「で。なんで僕にそれを話している。同情でも求めているのか?」

 声音を低くし、うなる。

「ち、違う! ……いや、それもあるかもだけど。でも、あたしどうして罪を償ったら……」

「なら、死ぬか?」

「!?」

 そんな腹づもりはなかったのか呉羽はびっくりしたように目を見開いて呆然としている。

 やはり自分の命だけが大事で、他人の気持ちなんてどうでもいいか。

「……分かった。それで気が済むのなら。あたしを殺して」

「!!」

 決意の固まった呉羽は立ち上がり、両の手を広げる。乱れた衣服と整える様子もなく、文字通り好きにしてと物語っている。

 女だから。

 そんな理由で手心を加えるつもりはないが、目の前の人間は無抵抗だ。それを本気で殺すのか? ……分からない。分からないが、それはなにか違うものと感じた。

「分かった。行くぞ」

 手のひらに光を集中させて、呉羽に向ける。

「……っ! ごめん!」

 その言葉に聞く耳を持たず、光を放つ。

 ずしん。と重低音が鳴り響き、呉羽の後方で電信柱が倒れる。

「……え」

「外したか。もう今日は撃てないな」

 僕は呉羽の顔を見ることなく、駆け出す。

 呉羽の視界から逃げるかのように、丁字路を曲がり、右折し、左折する。

 誰もいない路地裏に入ると、跳躍し電柱の上にのる。そこで思い出したように光をまとい、姿を消す。



 困った。

 自分でも理解できない気持ちから、呉羽を見逃してしまった。脅しの意味で電柱を破壊したが、二度目はない。あいつも僕をバカにしていた連中の一人にかわりない。それも魔林と一緒に……。

「そういえば魔林と一緒にいたのはもう一人いたな」

 気持ちを切り替えるためにも、いったん目標を変えて復讐を続けるか。魔林を殺したくらいで晴れる恨みではないのだ。

 僕の人生をめちゃくちゃにしておいて、当人はゆうゆうと過ごしているのだ。それを許す訳にはいかない。

 あいつを殺す。しかし、どうやって探すか。学校は当面休学して、事件の調査にのりだすようだし。となれば、あいつは学校にはこない。

「参ったな……。居場所が分からなければ、狙いようもない」

 独りごちる。

 堤防を歩き、そばを流れる川を眺める。海へとつながる下流だ。

 旧かやく川。そう呼ばれているらしい。この曲がりくねった川沿いを下流に進むと、やがて海が見えてくる。そこではアワビやギンザケの養殖が盛んと聞く。

 堤防から川には湿地が、反対側には住宅街が広がっている。

 この町は変わらない。街並みも。人も。なら、人は変わらない。

 他人がどれだけ傷つこうと、泣いていようと、何も変わらないのだろう。何も変わらないのなら、誰が死んでもかまわない。

 気持ちをリセットする。

「見つけた!」

 びくっと肩をふるわせる。

 いじめられていた時のトラウマか、身体は正直に危険信号を放つ。

「……呉羽。どういうつもりだ?」

「あんた。もしかして復讐をしようとしている?」

「……ああ」

 ここで応えなければ訝しげに思われる。下手な嘘をついても、いずれバレるだろう。となれば、本音で語る。

 どのみち、呉羽には死んでもらうからな。確かにリベンジポルノとか、ひっかかりを覚える箇所もあるが、それでもいじめを助長していたのに代わりはない。

 本当にいじめを止めたいのなら、魔林を止めるべきだった。喩え、自分が傷つこうとも。

 もしかしたら、それすら甘えなのかもしれない。他人が僕に求めるように、僕も他人に求めすぎているのかもしれない。

 いじめは良くない。復讐は良くない。人殺しは良くない。怒りを覚えてはいけない。理不尽にあっていても。現実に打ちのめされていても……。

「菟田野、を殺す気……?」

 怖ず怖ずと訊ねてくる呉羽。

「いや。……僕が復讐するのは、僕を見下し、見過ごしてきた全員だよ」

 あまりにも爽やかな口調で物騒な言葉を放つ僕を警戒したのか、呉羽の表情は青白くなる。

「そうだ。呉羽なら連絡先を知っているよね? 教えてよ」

 笑みを浮かべているが、その実は脅しである。なにせ手のひらに光を集め、彼女へ向けているのだから。

 身体を強ばらせる彼女。恐怖心からか、動けなくなった彼女を見過ごす術はない。

 その身体に手を這わせ、まさぐる。

「ちょっ。ちょっとやめて……」

 弱々しく、しおらしい声音を吐く呉羽。

 どうせ今までもそうやって乗り切ってきたのだ。こいつは信用できない。自分の立場や主張をするだけで、けっきょくは他人の話なんて聞いちゃいない。

「あった」

 呉羽のスカートのポケットから、スマホを取り出すと、勝手に指紋認証でロックを解除する。

 スマホを操作し、連絡先の一覧を眺めていく。

「さてと。菟田野の連絡先は……」

「待って! 殺すなら、あたしだけにして!」

「大丈夫」

 その言葉に安堵したのか、呉羽はほっと胸をなで下ろす。

「あんたも後で殺すから」

「……!」

 目を見開き、硬直する彼女を置いて、僕はスマホ片手に去っていく。

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