第04話 深夜の電話


 久保井さんに自動車を貰った僕は、駐車場代と、ガソリン代と、そしてその他諸々の維持費を捻出するためにアルバイトを増やした。


 駐車場代を稼ぐために駐車場の誘導員のアルバイトをするなんて、我ながら滑稽だなと思いながらも、野球スタジアムの臨時駐車場のアルバイトに精を出した。


 プロ野球が終わるのはだいたい午後九時から十時にかけてが一番多い。観客が全員帰り終わるのがその三十分後から一時間後くらい。だから僕のバイトが上がるのは十時半とか、十一時が多かった。


 その日は野球が早く終わり、家に着いたのが十時半だった。ラッキーとは思ったものの、身体の疲れはそれほど変わらない。なんと言ってもその日は雨模様だった。だから選手も早く帰りたかったのだろうか、試合は早く終わったけれど、カッパを着てのアルバイトはちょっと寒かったのだ。


「あ~、疲れた」


 季節はちょうど梅雨に入ってすぐで雨模様が続いている。野球選手も大変だろうけれど、雨の中の売り子とか、雨の中の誘導員とかも結構疲れる。


 僕は、シャワーは明日の朝でいいか、などと自分に甘えたことを考えながら、ベッドに倒れ込む。でも……、歯磨きだけはして、それからパジャマに着替えて……。と、ボンヤリと考えていた時だった。


 ルルルルル……、ルルルルル……、と電子音が部屋に響いたのだ。


 時計を見るともう十一時前、普通の家なら電話を掛けるのには非常識な時間だ。けれど、学生の一人暮らしなら話は別。このくらいの時間に掛かってくる電話は日常の出来事だった。


「どうせまた、麻雀のお誘いやろ」


 僕は居留守を使おうかと思った。なにしろ身体が疲れていたから。でももし実家の親戚とかが倒れたという電話だったとしたら――。


 去年祖父を亡くしていた僕はそんなことを思い浮かべ、「麻雀だったらキッパリと断るからな!」と電話に指さし確認をして受話器をとったのだった。


「はい、和田です」


 僕は普通に声を出した。たぶん電話の相手が『おお、今から麻雀しようや』などと言うものだと思いながら。ところが電話の相手はそんなことを言わなかった。


『ああ、和田君? 久しぶり』


 電話の相手は、まさかの涼子さんだった。


「ああ……、宮本さん。お久しぶりです」


 僕は平静を装ったけれど、心臓の鼓動は急激に早くなっていた。ドクンドクンと脈打つ衝撃が喉から出そうになる。と同時に、なぜ、いったい何の用があって僕のところに涼子さんが電話を? という疑問も渦巻く。


『もう寝てた?』


 電話口の涼子さんは、ちょっと心配そうに尋ねてきた。


「いえいえ、さっきバイトから帰ってきたとこなんですよ。だから、全然……」


 全然なんなのだ、全然大丈夫なら大丈夫とハッキリ言え、と僕は自分で自分を叱る。


「全然、大丈夫ですよ」


 極めて明るい声で僕は涼子さんに告げた。


『ごめんな和田君、遅い時間に』


「構いませんよ、宮本さんこそ教員採用試験に向けて、いま大変なんと違いますん? 風邪とかひいてません?」


『アハハ、そんなこと言うてくれる男の子、和田君だけやわ』


 涼子さんはそう言って笑った。でも僕は、そんなことを言ってくれる男の子が僕だけ、という部分にちょっと引っかかりを感じたのだった。


 △


 それから数分は、涼子さんの教員採用試験の話や、僕がアルバイトを増やしたような世間話をした。けれど、そんな世間話をするために涼子さんが電話を掛けてきたはずがない。僕の頭は涼子さんとの会話を続けながらも、多分電話の目的は――、と察していた。


『――なあ、ところで和田君』


 当たり障りの無い話が途切れたあとだった。涼子さんの声がほんの少し上擦った。


「はい」


 僕の声も緊張で硬くなったような気がした。


『和田君……、久保井さんと最近話しとかした?』


 やっぱり、と僕は思った。涼子さんが僕のところに電話をしてくる用事なんて、久保井さんのことしか無い。それ以外なんて考えられない。


「えっと、最近って、そうですね。五月の終わり……、いや二週間くらい前やったかなあ、車のことで話したのは。名義変更が終わって、一応その連絡で電話しましたけど」


 今は六月の初め。十日とか二週間前が最近かどうかは分からないけれど、僕が久保井さんと電話で話したのはそれが直近だった。休日の日曜日に電話をするのは悪いかなとも思ったけれど、僕としては重要な話だったし、日曜日しか捕まらないような気がして電話をしたのだ。


『そっか、五月の終わり頃か……』


 電話の向こうでは、涼子さんが少々落ち込んだような声を出していた。


『久保井さん、元気そうにしてた?』


 続いてそんな質問が来るということは、最近涼子さんは久保井さんと電話でも話をしていないのだなと僕でもわかる。


「うーん、そうですねえ、やっぱりちょっと疲れてましたかねえ。あんなエネルギッシュな人やのに、『もう同期で辞めたヤツがおる』とかネガティブなこと言ってましたから。慣れるまで、大変なんでしょうね」


『ああ……、そうなんかなあ、やっぱり。全然電話も掛かってこうへんし、四月の終わりに一回こっちから掛けた時に「また電話する」って言ってくれたんやけど、それっきりやから』


 涼子さんの口ぶりは、どんどん沈んでいく。


「ゴールデンウィークとか、先輩と会わへんかったんですか?」


 努めて明るい声で僕は聞いてみた。


『うん……、ゴールデンウィークなあ。その近辺、私、四国に帰ってたし』


「ああ、そうなんですね」


 そのゴールデンウィークすらもう一ヶ月以上前だな。と、そんなことを考えていた僕の頭に、この前のヘアブラシのことが思い浮かんだ。ちょうどいい機会だから涼子さんに言おうと思って、話題を変える。


「あっ、そうそう。あの、宮本さんのヘアブラシが車に落ちてましたよ。この前掃除してたときに、シートの下から見つけたんです。今度会う機会があったらお返しします」


『えっ……、どんなブラシやろ? 小さいヤツかな?』


「そうそう、それやと思います。ピンク色でした」


『ああ、それ、そんなに高いもんと違うけど、ありがと。じゃあ今度会うときまで和田君、預かっといて』


 その今度がいつになるかは分からなかったけれど、結局久保井先輩と涼子さんは僕がアパートに送った時以来ずっと会っていないことだけは、この電話で僕にも分かったのだった。

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