蹂躙
「お待たせ致しましたアリス様! 兵を五千ほどにまで減らして参りました!」
「ありがとう、ハインツ」
しばらくしてハインツが帰還する。期待を裏切ることなく、命令を遂行したようだ。
傷も負っておらず、減ったのは魔力のみ。
小屋からも聞こえるほどの轟音が響いていたため、アリスはそれも分かっていた。
「それと謝罪を! マイラ・コンテスティに、アリス様のお名前を告げてしまいました! 大変申し訳ありません!」
「おー、相手はマイラなんだね。ヒーラーだった……かな? それじゃあ光魔術を使えても変じゃないね」
「……何をやっているの? ハインツともあろう者が……!」
ハインツからの言葉を聞いて、相手がマイラであることを知る。
勇者の一味だとは聞いていたアリスだったが、肝心の誰であるかまでは分かっていなかった。
パラケルススにはそこまで探る余裕も無かっただろうし、ユータリスにはそもそもそういうスキルも魔術もない。
〝情報を得る技術〟という意味では持ち合わせているが、それはどこかに閉じ込めて拷問を行わねばならないのだ。
「落ち着いてエンプティ。どうせ死ぬ相手だし」
「アリス様!? 兵士を追加で呼び出せたのですから、通信魔術があるでしょう!?」
「あ! じゃあ急いで出よっか!」
「もう……」
◇◆◇◆
「……、だ、から! 急いで援軍、勇者を呼んで! 相手は魔王を凌――今度は……なに……?」
やっとの事で本国との通信が繋がったマイラは、必死に状況を説明する。焦りと混乱で口が上手く回らず、もとから饒舌でもない彼女は説明が難航している。
相手方もとにかく、緊急事態であることは理解できた。
しかしながらマイラの頼みとなれども、すぐさま勇者を送ることは難しい。
王国もそう何度も、転移の魔術を扱えるわけではない。つい先程マイラの支援に、数万の兵士を送り込んだばかりだ。
魔術師の魔力を回復するのに、待ち時間が発生する。
マイラもそれを知らないわけではないが、考えている余裕もないほどに状況は最悪だった。
そんなマイラの目の前に、一つの門が現れる。重厚で巨大な門であった。しかしながらそこからは、膨大な魔力が溢れている。
それが〝魔術〟なのであると、本能的に理解できた。
しかしマイラが自分が知らない魔術を見て困惑し、状況を飲み込めていないことには変わりない。
そこから出てきたのは、先程目の前で虐殺を行った軍人であるハインツ。
そして彼に続くように、エキドナ、エンプティが出てくる。
最後に出てきたのは、少し前に一緒に旅行をした女性。
サラリと長い金髪に、この世界では一般的な青い瞳。旅用の軽装は、記憶のままだ。
門から出てきたのは、パルドウィンを旅行した時の人間形態のアリスだった。
「…………」
「やぁ、マイラ」
マイラは絶句していた。魔術を振るうわけもなく、ただ口を開けて驚いていた。
あのとき何度もオリヴァー達が疑っていた存在は、本当に良からぬものだった。
アベスカで対峙した魔王ヴァルデマルなんて比べ物にならない。勇者ですら簡単に殺してしまえそうな、そんな強者が目の前に立っている。
「……アリスって、まさか、ほんとに……あのときの……」
「御名答」
アリスは嬉しそうにそう答える。
これぞ悪役、魔王。相手を絶望の淵に立たせてやること。もう助からないと、死を覚悟すること。
これが後四人分、与えるチャンスがある。そう考えれば、これからの未来が楽しくなってしまう。
希望を胸に前進している彼らを、谷底に叩き落とすような気持ちにさせてやれるのだ。
そしてアリスは、そのまま指を鳴らした。
パキンと割れるような音がして、マイラが行っていた通信魔術が解除される。
マイラに届いていた本国との通信が、その瞬間――途絶えたのだ。
「……え?」
「まだ漏洩はまずいんだ。それにいつまでも、この姿でいるのは恥ずかしいな」
そう言えばアリスの肉体が、グニャグニャと形を変えていく。
シルエットは人間のままであったが、目の色や髪の色、黒い角。そして所々に見られるウロコは、人であるとは言い難い。
完璧に姿が〝戻る〟と、マイラは杖をアリスに向けて警戒した。
「……ッ、ば、化け物……!」
「言うほど化け物? 人の形をしているし、少しオプションしただけじゃないか」
「化け物よ! 化け物……!!」
「あはは、それはそうとして。勇者側の戦力を削るにあたって、最初がヒーラーだったのは好都合」
「くっ……」
アリスがそう言えば、今まで見ているだけだった兵士達もハッとする。
急いでマイラとアリスの間に割って入り、マイラを守る陣形を組んだ。
その誰もが怯えているが、どれだけ恐ろしかろうが己よりもマイラの方が大切なのだと知っている。
勇者パーティーの中での、最高峰のヒーラー。兵士や騎士団も癒やしている〝青の天使〟である彼女を、こんなところで死なせるわけにはいかない。
なんとか時間を稼いで、彼女を逃さなければならないのだ。
「み、皆ぁ! 寄れ! マイラ様でも生き残ってもらわねば!」
「お、おぉお!」
「うぉおお!」
兵士たちは勇気を持って、アリス達に襲いかかる。
多数の矢が飛び、当適用の槍も飛んでくる。直接襲いかかってくる剣士もいたり、魔術による攻撃を行うものと、方法は様々だ。
それに応じて、四人の中から飛び出たのはハインツだった。
エキドナが動きかけていたが、それを制止してまでハインツが出ていた。
「〈
防御用のスキルではないが、ハインツは〈
低レベルの攻撃であれば、このスキルで弾けるのだ。
エキドナのスキルでも良かったが、それではエキドナ自身を守れず傷ついてしまう。
彼女に至っては常時回復スキルがあるため、大した心配ではないのだが――既に幹部が負傷するという事態が起きている。
これ以上アリスに心配をかけることこそ、失礼に値すると判断したのだ。
オーラに当たった攻撃は、通り抜けられるほどの力を有していなかった。
剣士は弾き飛ばされ、風を切り裂いて飛ぶ矢は勢いを落として地面にポロポロと落ちる。魔術はオーラに触れれば打ち消されたりと、そのオーラを貫通することはない。
「はぁ、隠密兵のほうがまだマシだったわね。本当に上位レベルの人間は、限られているということかしら?」
「えぇ、えぇ……。とても残念で御座います……」
スキルを出してただ立っているだけのハインツを見ながら、後ろから見ている二人は退屈そうな呟いた。
この程度で防げてしまうのだから、拍子抜けなのである。
一方、マイラ達は何が何だか分からなかった。
攻撃が通らないだなんて、前代未聞。魔術ですら、防ぐどころかキャンセルされている。
相手がどんな化け物か知るには、丁度いい機会だった。
周りの兵士達の攻撃が全く通じないと分かると、マイラが攻撃に出る。
支援型である彼女にとっては苦手なことだったが、今を切り抜けて生きて帰るには何がなんでもやらねばならない。
杖を構えて、魔術を放とうとする。
「〈
「えーっと、〈
マイラの攻撃が放たれる直前、アリスがそう唱えた。
瞬時に現れた闇の矢、〈
しかしながら術者の魔術攻撃力や魔力によって、その能力が大幅に跳ね上がる。
ただの矢と変わらぬ性能になることもあれば、象のように巨大な魔獣ですら一発で仕留められるほど強力になる。
つまり全てのステータスが最高値であるアリスが扱えば、この世では有り得ないほどの性能を生み出すことが出来るのだ。
生成された一本の矢が闇魔術をまとい、目にも留まらぬ速さで飛んでいく。
そのスピードですら、アリスだからこそ成し得たものである。
「うぎっ……!?」
発射された〈
アリスは狙ったわけではないが、パラケルススと同じ場所を負傷することとなった。
マイラが発動しようとしていた攻撃と防御の二種類はキャンセルされ、〈
それを見た兵士が急いで動く。この戦闘での要であるのはマイラだ。
それだと言うのにマイラが倒れたりしたら――一巻の終わりである。
「救護班ンン! マイラ様を! 俺達はあいつらを!!」
「おう!」
残された少ない兵士の中から、救護班が選出される。
相変わらず盾役はアリスたちを睨んでいるものの、この数秒に起きた惨事で正気を保てているわけもなく。表情は重く固い。
「アリス様、戦闘の許可を」
そう言ったのはエンプティだった。
ハインツが圧倒的な数を減らしてくれたとは言えども、それでもここには数千の兵士が残っている。
もちろんアリスであれば数千程度蹴散らすのは、難しいことではない。
だがエンプティが言いたいのは、雑兵程度の雑魚は部下に任せて欲しい、という気持ち。
アリスもそれを汲み取ったのか、考え始める。
もう既に慈悲――祈る時間は与えてやった。では残しておく必要はない。
どっちにしろ全員殺すつもりだったため、ここでエンプティに命じても何ら問題はないだろう。
「うん? うーん、まぁいっか。マイラ以外は――いや、五人ほど適当に残して。弓使いと、剣士ね。どれが何人かは任せる」
「はっ。〈
エンプティは腕を片手剣へと変形させると、数千の兵士が待機しているところへと突っ込んでいく。
秒も経過しないうちに、兵士たちの悲鳴や逃げ回る声が届く。
エンプティ自身の物理的な攻撃力はさほど高くなく、平均的だと言えるだろう。
とは言えそれは幹部と比較しての平均であって、人間に比べれば圧倒的だ。
速度も威力も段違い。この程度の兵士なのであれば、彼女が得意とする酸での攻撃を扱わなくてもひねり殺せるというもの。
流石に千単位となればエンプティでも時間はかかるようで、すぐに戻ってきそうにない。
「ひどい……どうして、こんな……」
「ひどい? こんな?」
「うっ、うぅ、ぐす……」
治療を受けているマイラから、そんな弱音が届いている。
エンプティによるただの虐殺を見て、絶望しているのだ。彼女にはもう何も出来ることがないと分かってしまったのだ。
必死にマイラの治療をしている兵士も、マイラの弱音を聞いて震えている。
いくら最強のヒーラーだからといって、この世界を救った勇者様だからといって、彼女は本来ならば十代のまだ幼い子供。
それが、世界の命運を背負わされてしまっている。
そして、それを背負わせたのは、パルドウィン王国の大人たちだ。
「なんで泣くの?」
「うぐ、うぅう……」
「ほら、勇者一行様なんだから。もっと啖呵を切って立ち向かってきてよ。私が悪者だと教えてよ」
「ひぐ、しにだぐないぃい」
「はあ?」
マイラはもうそれしか言わなかった。ただひたすら汚く泣いて、死にたくない、殺さないで、と必死に懇願している。
言っておくが、アリスがそんな言葉に惑わされることもない。
あぁ可哀想な少女。背負った運命が重すぎることを、やっと知ったのか。では今楽にしてやろう――これが、彼女の言える優しさだ。
死による、運命からの解放。もう二度と苦しまなくてすむという優しさ。
そしてなによりも――
(まあこいつを殺したら、あの勇者は絶対に怒るだろうな。もっともっと怒ってもらうためにも、この子には死んでもらわないとね)
「アリス様、兵士を減らしました」
「ん、ありがとう。よーっし」
そう、綺麗に死んでもらわねばならないのだ。まるでディスプレイのように、お手本のように。
前座に選ばれた彼女は、こうして魔王であるアリスに貢献しなければならないのだ。
「〈
アリスが唱えたのは、ハインツのスキルだった。
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