補填2
アリスの開始の声と同時に、リーレイとベルがその場から消えた。
他の幹部は機動力こそ劣るものの、ベル達の動きを目で追うことは出来る。応戦出来るかどうかは別として、今この場で何が起こっているのかは分かるのだ。
二人が消えた瞬間。僅かな差であったがベルが真っ先に飛び出した。その機動力を生かした勢いのあるストレートが、リーレイの顔面目掛けて繰り出される。
間一髪でそれを避けたリーレイは、崩れた体勢ながらもカウンターを出す。
片腕でなんとかブロックしたベルだったが、威力は殺しきれずにそのまま吹き飛んでしまった。
「ぐっ……!」
「流石ぁ……機動力カンストしてる、ベルちゃんは違うねぇ!」
「あたしのパンチを避けられる、リレたんも流石だよっ!」
ベルは吹き飛んだ先の壁に着地をすると、足に力を込めた。中央に立っているリーレイの元へと弾丸のように飛ぶ。
リーレイ目掛けて一直線に加速するベルだったが――フッと消えた。
リーレイに到達する約1メートルほど直前で、姿が消えたのだ。
それは、ベルの有する機動力の最高速度とも言えよう。
幹部の中でトップ2の機動力を与えられたリーレイですら、その速度には反応出来なかった。
エンプティなどの他の幹部に至っては、ハッキリと〝消えた〟と認識させられた。目で追えていたはずの戦闘が、ここに来て凡人と変わらぬ感覚に陥ったのだ。
(――うそ、この僕がぁ……見えないぃ!? まずい。どこ、に――)
周囲を見回して、気配を察知しようとしたときだった。背中に重い攻撃を受けたのだ。
ドッと鈍い音がして、今度は壁の方向へリーレイが弾き飛んだ。
ミシミシと音を立てる体が、その苦痛を物語っている。
リーレイは人間ではないため、骨や肉などが存在しない。だが破壊可能な体は持っている。
許容範囲を超える攻撃を受ければ、体は破壊されるし行動も制限される。
「が、っ……」
受け身も取れないまま、リーレイは先程ベルが飛ばされていた壁に直撃した。
轟音が鳴り響き、瓦礫が生まれてホコリが舞っている。
リーレイの状態は確認出来なかったが、体力値に関してもベルとは大きな差はない。この程度の攻撃で、戦闘不能なんてなるはずがない。
「エンプティ、見えたか!?」
「い、いえ……。全く……。私はそこそこ機動力はある方だけれど……、あの――ベルの本気は、一瞬たりとも見えなかったわ」
「恐ろしいです、恐ろしいです……。わたくし、攻撃されたら防げぬままダウンしそうですわ……」
「エキドナをダウンさせられるのは、相当な攻撃力を持続できるもののみだろう!!」
「――あ、出てきたわよ」
舞い散る砂埃の中から、先程の戦闘とは違いゆっくりと出てくるリーレイ。
ゆらゆらと動く影の足取りは覚束ない。ダメージの強さを物語っているようだ。
ベルは攻撃を仕掛ける様子もなく、リーレイが自身のいる中央地点にやってくるのを悠々と待っている。
だがリーレイは、ベルの待つ格闘場中央まで行くことはなかった。
崩れた瓦礫から抜け出して、数歩歩いて足を止めた。そしてゆっくりと両手を開いていく。
「もう、怒ったぁ。僕……僕の、アリス様から頂いた、綺麗でカワイー服をこんなにしちゃうなんてぇ。ベルちゃんなんて許さないんだからぁ。………………〈
リーレイがそう呟く。淡いブルーの頭髪が、燃えるような赤い色へと変わっていく。
ガラス玉の青い目も真っ赤に染まり、普段のリーレイとは全く異なる色味になっていった。
その状態のリーレイは、得意の超高速を出すこともなくゆっくりと歩いていく。
格闘場はリーレイの歩く音だけが響いていた。
――そう、ベルも動いていないのだ。
歩いてくるリーレイを悠々と待機している訳では無い。その様子は、まるで魅入られているようだ。
体が固まって、リーレイから視線を外せないでいる。じっと見つめて、恋でもして愛しているように。
ベルの意識は、ただ歩いてきているリーレイだけに向いていた。
カツン、と高らかな音がして、リーレイがベルの目の前に立った。
再び大きく両手を広げて、愛くるしい笑みを浮かべる。
「さあ、僕をハグしてよぉ、ベルちゃん」
「リー……レイ……」
ぎゅう、と言われたままリーレイを抱きしめるベル。
肩に頭を預けて、その細く人形的な肉体を抱きしめている。
傍から見れば微笑ましい光景だろう。だが全てを知るアリスはそう思わなかった。
「……がふっ!」
「うふふ」
ただ抱きしめられていたベルが、思い切り吐血する。
自分から抱きついたのに無理矢理リーレイを引き剥がして、距離を取った。
その足取りは覚束無い。ヨロヨロとふらついて口を押さえているものの、口や鼻から止めどなく血液が漏れる。
格闘場の地面を、びちゃびちゃとベルの血液で汚していく。
その様子は観戦していた幹部達も動揺させた。
ただ抱きしめただけなのに、ベルが異常に体力を奪われている。
「なっ……どういう事ですか、アリス様!」
「私に聞く? ほら、せっかくだからユータリスに聞きなよ」
「では、シスター・ユータリス。この状況を説明なさい」
「仰せのままに、エンプティ様。――〈
そう言うとシスター・ユータリスはスキルを発動させた。
先程見たばかりの本が再び現れて、パラリと捲ればまた口を開く。
「先程のリーレイ様の詠唱は、スキルの発動です。リーレイ様のスキル〈
「呪い……ではあれは呪われている状態なのね」
「発動条件として……赤くなった状態のリーレイ様に触れると、呪われるそうで御座います」
「そう。ありがとう、シスター・ユータリス」
シスター・ユータリスからの説明を受けて、再び視線を二人に戻す。
ベルは両膝をついており、足元には血溜まりが出来ていた。ステータスを覗かなくても、その体力を激しく消耗しているのが分かるだろう。
流血は止まったようだが、体調は戻らないままだ。フラフラと今にでも倒れそうな勢いである。
――〈
呪いであるがゆえにその効果が命を蝕み、殺すところまでを想定してある。
それは今の状況でも変わりはない。
だからベルに付与された呪いは、彼女が死ぬまで継続する。
(――痛い。……痛い? あたしが? 痛みを感じている? 痛い……痛いなら元凶を絶たなきゃ、でも痛くて動けない、そうだ……蟲……蟲になれば……痛くない)
ベルは震えていた。
この世界にやって来て初めて味わう苦痛。同じレベルでの戦いにおいて、死を覚悟しなければならないということ。
そして、相手がその気であれば――こちらもそれ相応に本気を出さねばならないこと。
それならば、人間態では絶対に勝てない。このまま呪いに命を蝕まれているのを、待っているわけにもいかない。
速戦即決。早く目の前にいる呪いの元凶を殺さなければ。でなければ、自分が死ぬ。
ベルが俯くと体の各部が、メキリゴキリと音を立てる。
骨が折れて体が曲がり、人の少女だった姿が徐々に徐々に蟲の化け物へと変わっていく。
下半身は蜘蛛の脚が八本生成され、その姿はまさにアラクネ。
長い前髪で覆われていた瞳が顕になって、そこには4つほどの虫の目があった。
「く、そ……ガキが、ぁあ、ああァあア゛!!!」
「うそぉっ!?」
格闘場に、半人半蟲となったベルの叫びが響き渡る。
ベルが叫んだだけだというのに、ビリビリと天井や壁が振動している。力が圧倒的に強化されたことがわかった。
流石にハインツのあの咆哮に匹敵するわけではないが、それでも気圧されるのは十分だった。
力が強化されると同時に、人間態のときのような冷静さはない。怒りや食欲などに任せて、暴力を振るう。今の状況であれば、眼前の〝死〟を取り払おうとする。
呪いの原因であるリーレイを排除するために、ひたすら戦う。
「死ねェエ゛!」
「うわ、ちょっ!」
ベルは大量の剣を生成すると、それを迷うことなくリーレイへと向けた。何十何百もの剣がリーレイのもとへと降り注ぐ。
しかしリーレイもただ受けるはずがなく、それら全てを避けている。
伊達に幹部トップ2の機動力保持者ではないのだ。
生成された剣を全て避けきってしまえば、ベルの中の怒りは更に増していく。トップ2の機動力は、火に油を注ぐばかりだ。
「あれはまずいのではないだろうか!」
「ベル様が理性を失ってきていますわ、きていますわ……」
心配している二人の通り、ベルは今度は直接襲いかかった。
リーレイも生まれたばかりで、すぐに死ぬわけにもいかない。だからその攻撃も、先程の剣と同じくかわそうと思っていた。
だがそれは叶わなかった。再びベルが消えたのだ。
ベルのトップスピードであれば、消えたと認知した瞬間にはもう殺されている。
しかし数秒経っても、リーレイには痛みも衝撃も何も無かった。
唯一言えたのは、アリスが立っていた。
いつ、どのタイミングでそこにいたか分からない。遠くから観戦していたはずのアリスが、ハッキリとそこに立っている。
認識すら出来なかった。
風も音も気配も何もかも感じられず、リーレイの頭の中は混乱を極めていた。
そしてアリスの奥には、念力で押さえつけられているベルがいた。必死に蜘蛛の体でもがいているものの、その強い拘束から逃れられないようだ。
アリスは戦闘で興奮しているベルの拘束をとく。
再びリーレイの方へと向かい出したベルに対して、きついデコピンを食らわせる。デコピンだというのに爆発音にも似た激しい音がして、ベルの体が少しだけ吹き飛んだ。
そして両成敗と言うように、リーレイの額にもデコピンを与えた。
リーレイの方はまだデコピンと言えるような音だったが、人形の白い肌を赤く変えるくらいには強いものであった。
「こらぁ! やり過ぎだっての!」
未だに赤い――〈
否、アリスによって戻されたのだ。
そしてアラクネになっていたベルも、その姿はいつもの通りに戻っている。
脚は2本であるし、目は隠れたまま、セーラー服の少女になっていた。
なおかつ呪いに蝕まれていた体は元通りで、極限に減っていた体力値も復活している。
戦闘を行っていない、体力マックスの状態だった。
(!? ……呪いが消えた? 体が軽い……それに、蟲化が止められた?)
(〈
――アリスは幹部のスキルが使用出来る。
それは新たに手に入れた、部下二人においても同じである。
リーレイの全てのスキル、シスター・ユータリスの全てのスキルを扱える。
だからスキルの影響を受けず、そしてそれを取り止めることが出来た。
とは言えその事を幹部の殆どは知らない。
伝えるタイミングを逃したこともあるが、アリスが幹部の代わりを務めずとも、幹部たち本人で何とかしてくれると信じているからだ。
そんなアリスは、呆然としている二人を見ながら、幼子を叱るように諭す。
「何のために武器禁止にしたか、分からないでしょーが。戦闘不能になって治すのは誰だと思ってるんだ、パラケルススもルーシーも出払ってるんだよ?」
「ご、ごめんなさぁい……」
「すいません、アリス様……。アリス様のお手を煩わせる所でした」
素直に謝罪が出来ている二人を見て、アリスはウンウンと頷いた。
謝罪出来るくらいには頭が冷静に戻ってきたのであれば、もう言うことは無い。
無事にテストも終えたところで、アリスも各人もそれぞれの仕事に戻す流れになっていく。
「でも戦闘チェックはもう大丈夫だね。残りのスキルはエンプティとハインツで確認してね。私はアベスカの視察にいってくるよ」
「はぁい!」
「いってらっしゃいませ!」
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