摘発3
「その御方は、この国王が出来なかった民の心の支えを作ってやれと……申しておりました」
静かだった広場は、パラケルススのその言葉で再び湧き上がった。あからさまに国王を非難しているのにも関わらず、民達は自分らのことを考えていくれる――見たこともない存在に対して忠義を厚くしていく。
もちろんそれを聞いている、現国王であるライニールがいい気分なはずがなく。
結局自分の謝罪の場を設けられぬまま、部屋の中で待機してただ好き勝手言われるがままだ。
「チッ……あの気味の悪い医者め。好き勝手いいおって……」
「事実でしょう」
「ヒッ!?」
ライニールの真横に立っていたのは、真っ直ぐ切り揃えられた前髪が顔の半分を隠している少女。様々な衣服や伝統品を集めるのが趣味のライニールでさえ、見たことのない服。
少女の口元は笑っている。だが一度も見たことのない長い前髪の先は、一体どんなものなのだろうか。そう疑問に思ってしまう。
ライニールの横に立っているのはベル・フェゴールであった。
先のパラケルススとルーシーのやり取りの通り、彼女は後ろから見ているだけだ。この国には暇で暇でしょうがないときに、ちょくちょく顔を出しているものの、彼女の管轄領ではない。
だから今回のスピーチにも、立ち会うことはやめたのだ。
今後国民とは長い付き合いになりそうだし、会話する機会も増えるだろう。だからといってここで主張するほどでもない。
最も、ルーシーとは違ってベルは人間に対する考えが極端だ。大抵の幹部がそうなのだが、彼女に至っては人間は愛玩動物か食べ物程度にしか感じていない。
「さっきからペチャクチャ喋ってうるさい人ですね」
「…………ッ」
「大臣を見習いなさい」
ベルが指差した先には、大臣達がきちんと並んで待機している。パラケルススとルーシーの演説を聞きながら、表情は固く、額を伝う液体は冷や汗。
そもそも今の状況で大臣達が、きちんと話を聞いているかという問題だが。
大臣達の周りには、ベルの飼っている巨大な蛾が浮遊していたのだ。
「だ、大体あんな蛾が何なんだ! あの程度怯える対象でも……」
「あれはあたしの部下であり、武器です」
近距離タイプであるベルは魔術に対する耐性と、それを扱う力が弱い。
当然ただの人間に比べれば遥かに強いのだが、他の幹部に比べると圧倒的に弱いのだ。
だからそれを補うために、この蛾の二匹が採用された。
デザインはもちろんアリスだ。虫といえば、蛾と言えばこれだろうと思いのままに設定した。
レベルは両者とも150であり、どれだけ経験値を積もうともこれ以上上がることはない。しかしこの世界で150レベルとなれば相当な強さである。
ぼってりとした腹部、黒っぽく所々黄色の文様が散りばめられたクロメンガタスズメ――通称「トマス」。
トマスは火属性や闇属性の遠距離攻撃型で、二匹の中でも攻撃力の高い方だ。
戦闘時に直接介入してサポートをするタイプで、高い攻撃力にて支援を行う。
打って変わって鮮やかな黄色と大きな羽根が特徴的なヤママユガである通称「ハリス」。
ハリスも遠距離攻撃を可能とするが、基本的には回復などの支援を得意とする。
残念ながら部下というよりもペットや武器に近い蛾の二匹であるため、意思の疎通は図れるとは言い難い。ベルやアリスの命令は聞くものの、お喋りをしたり知能のある生命体のように会話は困難である。
そして何よりも圧倒的スピードを誇るベルが、魔術支援を必要とするほどの戦闘が起きることは大抵あり得ないのだ。
あり得たとしても、勇者と対峙したときくらいだろう。
だが勇者はアリス自らの手で屠る対象。そうならないことを祈るしかない。
基本はベルの魔術サポート要員とは言えども、人間程度の弱い種族であれば二匹で解決することがある。ベルが動くほどのことではないのだ。
意思疎通が出来ずとも監視程度にはなる。
普通のクロメンガタスズメとヤママユガとは違って、遥かに巨大でしかも魔術も扱うのだ。命令を遂行する程度には知性はある。
「そ、そんな化け物のわけが……」
「少なくともこの国には、トマスとハリスで蹂躙出来ない人間はいません。あたし達が手を下す以前の問題です」
「…………」
ライニールは絶望した。
ただの蛾程度に、国が滅ぼされると聞いて誰がまともでいられようか。
「それに貴方はもう我々の駒。アリス様の不利となる発言をすることは許されません」
「…………で、ではどうしろと……」
「こちらからの指示がない限り、いつも通り王として鎮座しているだけでいいのです。あ、ただし豪遊や先程のような暴言は許されません。ただの王としてあるだけでいいのです」
「そ、んな……」
いるだけでいい王だなんて、以前のライニールが聞けば喜んで受け入れていただろう。自分を嫌う国民の機嫌取りなどしなくていいし、国を回すことで頭を悩ませている大臣の無駄な会議に参加しなくていい。
だが今は別だ。
ただ座っているだけ、とベルは言うが実際は違う。
万が一に、アリスのことが他国へ漏洩した場合の尻拭いがきっと待っている。
他国へ取り繕い、嘘を塗り固め、アリスの存在がバレないように振る舞わなければならない。
国の顔としてアリスを守る一つの盾として、存在しなければならない。
「口答えしますか?」
「し、しな、しない!」
「〝しない〟?」
「いえ! しません!」
ライニールにとってこの少女の実力は未知数だったが、たった二匹で国を滅ぼせる蛾の主人だ。どう考えても強いに決まっている。
少なくとも兵士でもない、ただの人間であるライニールが抵抗できる術などない。
ここは黙って頷いて従うのが最善の策なのだ。
「では静かにパラ殿――いえ、パラケルススの言葉を聞いていなさい」
「はい!」
「逃げようなんて考えがあれば、貴方ならば分かりますよね? 最初の奇襲時に、死んだ兵士を見ていた貴方ならば」
ライニールの顔が一気に青々しくなる。
――まさか、あの時の惨状を引き起こしたのはこの娘だと言うのか?
ふとそんな思いがよぎる。
当時はまさに一瞬の出来事だった。逃げようとした兵士がいた、と認識した瞬間にはもう体がぶつ切りになり、床は鮮血と肉片でまみれていた。
死体も死体で、城の兵士が片付ける暇もないまま、血まみれの廊下は綺麗になっていた。兵士に聞けば少女達がなにかしていたと言うものだから、もう開いた口が塞がらない。
ライニールは廊下の血液どころか、自分の服に飛び散った血液が拭えず、結局気に入っていた服を捨てる羽目になったというのに。
一体どんなマジックを使ったのか不明だったが、魔術に関しては圧倒的に遅れを取っているアリ=マイアの民に分かるはずなどないのだ。
「に、逃げるだなんて! とんでもない! へ、へへ、ハハ! ぜひともパラケルスス殿の、大事な話を聞かせていただきます!」
「よろしい」
とは言えライニールは、全てを許したわけではない。
彼の中にはまだ少し猜疑心が残っていた。国のために疑う、というよりは自分のために、もしかしたら逃げられるんじゃ……という甘い考えからくるものだったが。
何よりもベルが言う「蛾二匹で国を滅ぼせる」という言葉の信憑性のなさだ。
そんなこと聞いたこともない。
ライニール自身、様々な国に遊びに行っては、いろんな話を聞いたり経験したりした。
もちろん、魔術の技術が圧倒的に上であるパルドウィン王国やリトヴェッタ帝国に比べれば、大した知識でもない。
だがある程度噂として聞いてきた話をまとめれば、そんなこと不可能だという考えに行き着くのだ。
(あの巨大な蛾程度で国を滅ぼせるだと……!? そんな事があってたまるか! 大臣らは、見たこともない巨大な蛾に怯えているだけだ! 我々は力もないし、戦地に立つわけじゃないから、実戦経験などない……脅されれば怖がるに決まっている!)
そしてベルもベルで、魔術には特段詳しくはないし、読心術なんて以ての外だ。
人間の考えなんて、食料の思考なんて読むことなどしない。
だがあの高慢でわがままなライニール国王が、恐怖の支配下にあるとはいえ、あっさりと引いたのだ。多少の違和感は覚えるものだろう。
言うなれば、オタク特有の深読みといったところか。
「トマス」
たった一言だった。
だがトマスと呼ばれた黒い方の巨大な蛾が、命令を受けて動くにはちょうどよかった。
トマスはたまたま隣にいた、防衛大臣のルーラント・ニーメイエルに向けて火属性の魔術を放った。
「ぐ、ぎゃあああぁああぁ!!」
瞬時に体が炎に包まれるルーラント。周りに居た他の大臣達は、恐怖と焦りで燃え盛るルーラントから逃げんとしている。
ライニール達が詰めている部屋に、ルーラントの断末魔がこだまする。
突如として巻き起こった焼殺に、ライニールを始めとする人間は驚きが隠せない。
しかしそれを命令したベルも、当然だが遂行した蛾もただ黙って見ている。
いや、ベルに至っては楽しそうに見つめているではないか。
それもそうだろう。人間だって、目の前にある肉や野菜が美味しそうに焼けていたら、これから味わう美味を期待して喜んでしまう。それと同じだ。
「ハリス」
今度は黄色い蛾が動いた。光魔術で一瞬のうちに治療すれば、つい数瞬前まで炎に包まれてのたうち回っていたルーラントは元の状態へと戻された。
ただの見せしめ、実力を見せつけるためのデモンストレーションだったわけで、実際これからベルのご飯になるわけではないのだ。
むしろここで食べてしまえば、アリス並びに幹部から酷いお叱りを受けるだろう。
アリスの盾となるための、大事な駒の一つを殺したことになるのだ。大きな損失程度では済まされないだろう。
なんと言ってもアリスが初めて征服した国家。国の重要人物を殺した、その損害は計り知れない。
さて、ルーラント大臣といえば、わけも分からず尻もちを付いたまま立とうとしない。
つい先程まで焼き殺されかけていたのだから当然だろう。何故自分は死んでない? と不思議がっている。
きっと先程までの痛みと恐怖は、まだ記憶にしっかりと残っているはずだ。だが何処も痛くはないし、燃えてすら居ない。脳みそが処理をしきれていないのだろう。
(…………何を、しているのだ? あの少女は)
ライニールも大臣同様、頭が追いついていなかった。
いつものプライドの高そうで、自信に満ち溢れた顔はない。頓狂な顔で、座り込んでいる初老の男を見ているだけだ。それが精一杯なのだ。
「ちょっとぉ、ベル。何かするなら教えてよ。パラケルススの邪魔しないで」
「すまそ」
人一人殺しかけたのに、笑い合っている。年頃の少女が喫茶店で談笑するかのように、日常的なトーンで喋っている。
牽制を終えたベルは、何事も無かったかのようにパラケルススの方へと向き直った。
攻撃を受けたルーラントと、それを見ていた大臣達は、更に顔を強張らせて黙りこくってしまった。横をあの巨大な蛾が通るたびにビクリと震えている。
(なぜ、普通に笑っているのだ? 一瞬で人が焼かれて、一瞬で治療されたというのに)
ライニールには到底理解出来なかった。
そして、彼女達に逆らってはいけないとようやっと理解したのだ。
「は、ハハハ…………」
その日、ライニールは民に謝罪をすること以外で、口を開くことはなかった。
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