捕虜の受難

 ルーシーが瞬間移動で魔王城に戻って来た気配を、ハインツは感じ取っていた。同じアリスに仕える幹部の者であるならば、アリスの側にいて補佐をする役割を投げる存在などいないだろう。それにアリス直々の指名だ。それを無視して帰ってくるような不届き者は、幹部は存在しない。

 つまりルーシーはアリスに言われて、こちらに戻ってきたということになる。むしろそうではないと裏切りにも値するのだ。どちらにせよ様子を見に行って、現状確認をしなければならない。ハインツがルーシーの気配の元へ向かえば、ルーシーもハインツの元へ歩いてきていた。


 廊下でばったりと出くわした二人。ハインツはルーシーの横に浮く捕縛された男に目が行った。裏切りでもサボりでもないことは分かったし、なんとなく言いたいことは察したが、ここはルーシーの言葉を待つことにした。


「やほー、ハインツ。アリス様がお待ちだからすぐ戻るし、手短に言うね」

「あぁ、頼む!」


 ハインツはルーシーから簡単ではあるが、ここまでの流れを説明した。目的であったサキュバスが襲撃に遭って、多数の死者を出ていたこと。そしてそれらを行ったのはトロールであること。

 そして勿論脳のないトロールが率先してやるはずもなく、統率をしていた存在がいるということ――それが、この男だということも。アリスの依頼が「この男の尋問」ということ。


 やはりルーシーはアリスに言われて一時的に戻ってきたのだ。そして更にハインツへの仕事の土産まで持ってきて、だ。

 話を聞いているなか、通りかかったエンプティも参加して会話を進める。彼女も所持するスキルは拷問に用いることもあり、良い手助けになるだろう。


「なるほどッッ! では死なない程度に情報をひねり出せばいいんだな!!」

「そそ。そいじゃ渡すし、あーしは――」

「待ちなさい、ルーシー。この浮遊と捕縛はそのままなの? いくらなんでも私達じゃ解除出来ないわ。パラケルススも居ないんだから……」

「えー。触れるしいーじゃん。逃げても知らないよ? 結構すばしっこいんだから」

「そうなの……ならいいわ。では残りも頑張りなさい」


 ルーシーは手を振ってその場から去った。

 残されたのはエンプティとハインツ、そして未だに捕縛されたまま浮遊している男。廊下には変な沈黙が流れた。


 この愚かな男はまだ自分の立場を理解しておらず、そしてあろうことか相手の力量を把握していなかった。あの少女が強いのだから、この二人もそこそこにやりあえるのだろう、とくらいにしか思っておらず、それを統べる「アリス」という化け物の存在もしっかり飲み込めていない。

 彼の中では未だに、エンプティ達はヴァルデマル以下だと思っていた。自分よりは少し優れていようが、あの魔人となったヴァルデマルには足元にも及ばないと。


「そもそも私にはこの男が、魔族かどうかすら分からないわ」

「エンプティにも分からないか!! 現地の人間に聞くのが一番だろうな!」

「ヨナーシュに聞いてみましょう」

「奴を酷使しすぎている気がするがッ!」

「魔人なんでしょう? これくらいでへばっていたら、アリス様に失礼よ。まぁあのお優しいアリス様は、人間のように休みを与えてくださってるけれど」


 この世界に来たばかりのアリスたちにとって、今一番大事なのは知識だ。もちろん武力も大事なのだが、それを振るうにあたって知識が必要だ。

 知らないルールだとか、注意すべき人物だったりなどを予め頭に入れておく必要がある。

 ペンは剣よりも強しという事もある。時と場合によっては、武力よりも知識がアリス達の敵となることがあるのだ。


 だからヴァルデマル率いる元幹部で、現在最も重要視されているのはヨナーシュの知識。彼は元々神官だったこともあり、民から貰う情報から世の事情に精通している。

 それにヴァルデマルも、ヨナーシュには劣るもののそれなりの知識を有している。二人は現在魔王城の中で、ブラック企業さながら働かされているのだ。


 エンプティは浮いている男の衣服を引っ張ると、ヨナーシュのいる部屋へと歩き出した。ハインツもそれに合わせて横についていく。静かな廊下に、ハインツとエンプティの靴音が響いている。


「ところで魔王城のリフォームは、どれくらい進んでいるんだッ!?」

「全く。そもそも人手が足りないの。城に残ったゴブリンと、最近来たウルフマンで進めているけれど――無駄に広いのよね、この城」


 はぁ、とエンプティは嘆息する。

 この城はヴァルデマル魔王が全盛期、魔族も全種族が付いてきていた時代に創り上げたものだ。アベスカの城なんぞよりもはるかに広いうえに、軽くダンジョンと化しているためその広大さは計り知れない。

 城内の見取り図を頼んでいたヨナーシュが、泣きながら「もうしばらくお待ち下さい……」と毎日のように呟いている。


 初めはその作業の遅さに怒っていたエンプティ。城の見取り図くらい元から用意しておけ、と何度も叱責した覚えがある。しかしエンプティ自身で城を歩いて迷子になった時にはその考えを改めたものだ。

 ただし、彼女の言う「初めから用意しておけ」というのは全くの正論である。

 恐らく長い時間で増改築を行っていたことにより、当初の建設した城よりもはるかにパワーアップしていたこともあるのだろうが――基盤こそあれば少しは楽なものを。そう落胆したのだった。


「パラケルススも出払っているしなッ! ホムンクルスがいれば、また格段に変わるのだろうが!!」

「パラケルススを邪魔するな、とアリス様から言われているでしょう。人間という面倒くさい種族は、心までアフターケアなんてものが必要らしいから我慢よ」


 今の今まで黙って聞いていた(聞きたくなくとも勝手に耳に入ってきた)会話を聞いて、引っ張られていた男は目を見開く。――人間という面倒くさい種族。

 てっきりこの二人は人間だと思っていたのだ。人間にしてはよくわからない服装を着込んでいるが、魔族である彼にとってはどうでもいいことだった。それに勇者もあれほど強かったし、これくらい強い人間がいても問題はないと認識していた。

 ……だが彼らは人間ではない。


 しかしながら、しっかり考えれば分かるはずだ。自身の持てる強大な魔法を打ち込んだはずなのに無傷の少女。化け物のような容姿の〝アリス様〟。謎のクレーター。サキュバスを助けたこと、奴隷契約。


「あら?」

「顔色が悪いようだな!! 死なれては困るんだが!!!」


 男の顔色がどんどん悪くなっていく。ヨナーシュの部屋を目の前にして、ようやく彼はそこでやっと、気付いたのだ。自分が相手にしていた存在の大きさを。

 本来であればヨナーシュを前にすれば、彼を知っている存在なら叫びを上げて逃げるだろう。だがこの二人はそうしなかった。知らなかったか、男を恐怖だと思わなかったか。いや、そもそもこの男程度どうでもいいのか。


「どうされました、お二人で」


 ガチャリと扉が開いて出てきたのは、ヴァルデマルの右腕・ヨナーシュ。頭の切れる存在で、三人の中ではレベルが低いほうだがその頭脳で切り抜けている天才。

元々は神官だったが、ヴァルデマルの力に惚れて堕落の道を進んだ愚かな信徒。

 トロールのような頭の足りない種族では、ヴァルデマルの顔を覚えて精一杯だろう。しかしここにいる男は馬鹿ではない。ヨナーシュやフィリベルトの顔を覚えていた。だから出てきたときに驚いたのだ。


「アリスに歯向かった者を捕縛したッ! 種族を知っているか!?」

「んー……、恐らく上位悪魔かと。詳しい個体までは分かりませんね……、申し訳ありません」


 ヨナーシュの顔は疲弊しきっていたが、その答えは適当に出したものではないのだろう。申し訳なさそうに言うその言葉は、本当に知らないという念が込められていた。

 もちろんここで嘘を言うようなものならば殺されるのだ。彼に嘘をついて得られるメリットなど存在しない。

 むしろこうしてアリスの力になることで、メリットを得るのだ。知っていることを洗いざらい吐き出したほうが命が延びる。


 魔王軍は様々な、本当に多種多様な魔族で構成されていたのだ。しっかりとした管理体制が組まれていなければ、把握しているのも難しいだろう。それに頭を使うようなことは、ヨナーシュが全て任されていたのだ。いくら天才とて、一人で全て抱え込むには厳しい情報量だ。


「そう、知らないのならいいわ。尋問に掛けたいのだけれど、良い空き部屋はあるかしら?」

「それでしたら地下に、拷問室が御座いますのでお使い下さい。器具もたまに手入れしていますので、まだ現役かと」

「そう。――あぁ、ハインツ。私はヨナーシュと進捗について話し合うから、先に行っていて。後から向かうわ」

「承知したッッ!」


 男の体が強張る。

 ヨナーシュの敬語は普段からだったが、明らかに目上に対する態度だったからだ。ようやくここで男は、自分の立場というものを理解し始める。

 ハインツは男の身柄をエンプティから受け取り、地下へ下る階段に向かい始める。

 男は自分の身の危険を察知して、身体を捩って抵抗し始めた。


「まっ、待て、待ってくれ――いや、待って下さい! 聞きたいことがあるんでしたら、答えますから――」

「嘘をついているかもしれないだろうッ!」

「そんっ、そんなことありません! 俺は、アイ、アリス? 様に忠誠を……」

「あれ、ハインツ様」


 男は言葉を詰まらせた。角から現れた存在に驚いたからだ。一時期ではあるものの、魔を全て手に収めた男。人ならざるものになって、人間では到達の出来ない領域に達した存在。

 ヴァルデマル・ミハーレク。一度は配下に置かれた存在ならば、その力の強大さは誰もが知るだろう。

 男は詰んだ、と思った。この存在が出てきてしまえば終わりだと。顔を絶望で染めて、落胆する。


「おぉ、ヴァルデマルッ! ちょうど良かった! こいつの種族名は分かるか!?」

「申し訳ありません……。上位悪魔のように見えますね。ヨナーシュに聞いてみては?」

「つい先程聞いたのだッ! 二人共知らんのか! 尋問で吐き出させる他ないな!」

「それでしたら、部屋までご案内しましょうか? ヨナーシュほど把握してませんが、城内であればテレポート可能です」

「では頼もう!」


 しかしヴァルデマルに絶望した彼は、更に絶望することになる。彼の中では絶大な力を誇るヴァルデマルだったが、そのヴァルデマルがこのハインツという男にペコペコと頭を下げているのだ。

 男の中では未だヴァルデマルが一番上で、頼もしい部下が増えたから再度世界を征服しようと動き出したのかと思っていた。しかし実際は違う。


 ヴァルデマルを凌駕する化け物が現れたのだ。

彼らは畏怖し屈服した。

そして今や一介の部下として仕事に勤しんでいるのだ。


 ヴァルデマルが二人を連れて瞬間移動をすると、薄暗い部屋にやって来る。

壁には様々な拷問道具が下げられていて、ヨナーシュの「まだ使用できる」の言葉の通りきちんと整備されている。

 ヴァルデマルはハインツに頭を下げると、来たときのように瞬間移動で部屋を後にした。


「さてッ! アリス様がお戻りになる前に、情報を出来るだけ引き出さねばなッ!」

「ひ、ひぇえあぁあぁあああ!!!」


 壁にある道具を一つ手にとったハインツが、ゆっくりと男へ近付いていった。

 ここは魔王城の地下深くにある拷問室。上に男の悲鳴が城内まで響くことはなかったそうな。

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