サキュバスの集落2
「俺が言うのもなんですが、賢い種族じゃねっすよ。ただ――命令とかがあれば別だ、です」
園 麻子の知識と、この世界の常識は異なる。
サキュバスがいい例だ。麻子の
しかしトロールに関しては同じだったようで、頭の足りない力だけの存在だという。
だが今の問題はそこではない。トロールを指揮してサキュバスのねぐらを襲わせた連中がいるということだ。
なぜ襲ったかは定かではないが、タイミングからして統治から外れたことによるのが一因なのは確かである。
「お、お願い、助けて……」
「……」
その涙と感情に嘘は見られない。人を惑わすサキュバスだから、逃げる理由か騙す理由か探っていた。しかし純粋に仲間を救いたいという気持ちなのが受け取れた。
かといってアリスもアリスで、ただで助けてあげる義理もない。
「契約だ」
「……え?」
「私と隷属契約を結んで、その一生を捧げると誓えるなら。ガブリエラ、あなたに免じて一族――生きているものの命を保証しよう」
「ちっ、誓います、何でもする! だからみんなを助けて!」
「よし。手を出して」
アリスは左手を差し出した。ガブリエラもそれに応えて手を出す。
お互いの手首を掴むようにして手を握り、アリスが開いた右手を手の甲の上にかざした。じゅっと焼ける音が一瞬する。お互いの手の甲に契約紋が刻まれた。
「〈嘘をつかないこと〉、〈主人が不利になることを言わないこと〉、〈主人の命は自分より重く価値があること〉、――……、――……」
「!? いっ、いだい、あぐっ」
アリスが契約内容を読み上げるたび、契約紋がジュウジュウと焼ける音を上げる。実際に痛みを伴っているようで、ガブリエラは悲鳴を上げている。
しかしながら肝が据わっているのか、その腕を離すことはなくじっと耐えている。それだけ仲間を救いたいという気持ちがあるのだろう、とアリスは感心した。
「――以上をもって、契約とする」
「あっ、が……」
「はい、終わり。よく耐えたね。ちなみに今の内容を破った場合、さっきの痛みとは比べ物にならない痛みが襲うから気を付けてね。死ぬことはないけど――あぁでも、痛すぎてショック死するかも」
「…………だいじょぶです、逆らいませんので……」
半ば疲れ気味にガブリエラはそう言った。「いいこいいこ」と言わんばかりに笑顔で返事をすると、アリスは立ち上がる。
「じゃあ行こうか。ルーシー、足も治してあげて」
「かしこまりました」
「さて……」
アリスは瞳を閉じると、意識を森全体に張り巡らせた。彼女なりの索敵方法だ。
魔術の知識もあるがこのほうが正確で分かりやすい。
おそらく殺気などを察知できるタイプの相手であれば、直ぐにバレてしまう可能性がある。しかし先程洞窟をマッピングした際に周囲を同じ方法で確認したが、特にそういったものも見られなかった。
アリスほどの上位の存在の気に気づくには、もっと高いレベルが必要なのだ。
「アリス様、完了致しました」
「うん? ありがとう。あら、君……。思ったより小さいんだね」
「……う……。あたしはサキュバスの部族の中でも弱く小さい方でして」
脚を治療されて立ち上がっていたガブリエラは、アリスと比べて頭一つ分ほど小さい。
アリス自体の身長が女性の平均と比べると高い方ということもあるが、それを加味してもガブリエラは小さい方だった。
ガブリエラのコンプレックスを指摘してしまったようで、あからさまに態度が変わる。
園 麻子であれば即座に謝っていたが、今はアリスで――奴隷と主人。受け流すのも手だろう、とアリスは見ぬふりをした。
何よりも別段心は痛まなかった。これも魔物となった影響かなぁ、とアリスは思った。
ルーシーに呼ばれたことで張り巡らせた意識が途切れてしまったが、直前に探知を終了していたので問題はなかった。少し歩くが思ったよりも遠くはない。
不思議に思ったのは、捉えられていたのはサキュバスだけではなかったことだった。
アリスが見たのは見目麗しい男。そして見たことのあるヤギの下半身。おおかたどの種族かは予想がつくが、念の為聞いてみるべきだろうと口を開く。
「ねえ、ガブリエラ。インキュバスもいる?」
「は、はい。サキュバス同様下位の悪魔で、とても弱いですが存在します」
「そう。多分一緒に囚われてるよ。ついでに救い出すか」
さらっと言ってのけたアリスに驚愕するガブリエラ。アリスとしては一気に複数の種族を救えて一石二鳥というやつなのだ。
それに索敵で確認した様子では、アリスとルーシーに対して面倒な敵はいない。実物を見ないことには適切な力量というものをはかれないが、索敵の時点で「雑魚」だと判明しているしこれ以上することはないだろう。
「早く行こうか。他の人達も、衰弱してるみたいだったし」
「はっ、はい!」
「了解しました」
「おう!」
血にまみれた洞窟から出ると、通ってきたままの森が広がる。ここからまた移動があるのだが、この低レベルのサキュバスが普通について来れるとは限らない。
遠くはない、とはいったもののそれはアリス達基準である。おそらく普通の人間が歩いていけばそこそこの時間が掛かるだろう。
「えっ? アリスサマ?」
「行こう」
アリスは許可を得ることなくガブリエラを抱えた。いわゆるお姫様抱っこである。
アリスとしても園 麻子としても初めての姫抱きだ。
筋力も大幅に強化されていることから、少女漫画で聞くような「羽のように軽い」が実現している。
一瞬「王たるもの、
目的地には一分と掛からずに到着した。抱えたガブリエラが問題ないかと横目で確認するが、多少酔っているものの問題はなさそうであった。
まずは木陰から相手の様子を把握する。
2,3メートルありそうな巨大でがっしりとした体躯の魔物――トロールが複数体。身につけているのは草や革でできた腰巻きだけだ。
その側には、縛り上げられ誰の血だか分からないほどに血まみれで汚れている、低級悪魔が複数体。こちらがサキュバスとインキュバスであった。
パッと見た感じでは、サキュバスとインキュバス以外は見られない。
「ありゃ。指揮官的なのは見えねーっすね」
「……いや、うん。まぁいいよ」
「アリス様、諦めないでください……」
魔術耐性の低いフィリベルトには見えていないようだったが、透明化魔術を使ったものがそこにいた。
当然ながら耐性のあるアリスとルーシーには分かっている。
ただししっかりと姿を捉えられているのは、アリスだけだ。ルーシーは〝そのあたりに気配がある〟とだけ気付いているのみである。
辺りに他の存在は見られないことから、指示を出していたのはあの一人だけということだ。フィリベルトも幹部だったこともあり、正体を見れば知っているやつかもしれない。
このまま見ていても埒が明かないと思ったアリスは、思い切って姿をあらわすことにした。
がさり、とわざと大きな音を立てて木陰から出れば、その場の注目は全てアリス達に注がれる。
「! フィリベルト、バレタ、ナンデ!」
「バレナイ、イッテタ!」
(あーあー。〝言ってた〟ね。次からはもう少し頭のいい奴を配下にすることだね)
トロール達が慌てふためいている。頭の足りない彼らでもフィリベルトは強い存在だと覚えているのだろう。
それに「言ってた」ということは、指揮官がいると教えているのだ。
透明化している男は嫌な顔を浮かべていた。これだから脳のないやつは……と言っているような顔だ。
声に出さないのは、アリス達にまだバレていないと思っているのだろう。
そしてその指揮官らしき透明化している者は、一目散に逃げていく。透明化しているせいで、トロールどころかインキュバスとサキュバス達も逃げている事に気づかない。
勿論、アリスとルーシーはそれに気付いている。そして逃走する犯人を許せるほど寛大でもないし、自分の
「生け捕りにして」
「はーい」
それを追うようにルーシーが動いた。
ルーシーに任せておけば大丈夫だろう、とアリスはトロール達に向き直る。
トロール達はフィリベルトに対して警戒しているものの、アリスに対してはノーマークだ。
知能も低ければ、相手の能力を査定するようなスキルや魔術も持っていない。
サキュバスよりも少しレベルが高いだけで、やはり事前に探知した通りの雑魚にすぎないのだ。
「ミツカッタ、メイレイ、コロス!」
「サキュバス、コロシテ、ニゲル!」
発見された際に取る行動を、透明化男から命令されていたようだ。頭の悪い彼らでもできるような、簡単なことだ。
――目の前の捕虜を殺す。トロールにとって何の苦もないことだった。
だからあの男は逃走したのだ。始末はトロールが付けるから、自分は捕縛される前に逃げてしまえばいいと。
一番の誤算は、相手がアリス・ヴェル・トレラントだったことである。
トロール達が命令を実行せんと武器を振り上げた。武器と言っても、木を切っただけだったり、岩や石を砕いて鈍器に仕立てたものだったり――言ってしまえば簡素で原始的なものだ。
振り上げた先にはもちろんサキュバスとインキュバスがいる。
かろうじて生きているものの既に切り傷打撲などでボロボロ、その上に縛り上げられ抵抗も出来ない彼らは、ただ振り下ろされるのを待つしかなかった。
しかしそれが振り下ろされることはなかった。
代わりにこの場所に血の雨が降った。――トロールの血液の、雨である。
「ギャアアアア!? オ、オレ、ウデ! イダイイイイ」
肘の関節の手前あたりで、すっぱりと切れた腕から血が吹き出る。突然の出来事にその場にいた誰もが思考を止めた。
意識を呼び戻したのは、地面にベチャリと落ちた腕。武器を握っていた腕だ。
当然だが虫などでは無いのでビチビチと動くこともない。ただ切られた腕がそこに転がっていた。
何が起きたか把握できていないのは、トロールだけではない。サキュバスもインキュバスも、あろうことかフィリベルトでさえ分からなかった。
ただ一つ言えることは、アリスが腕を振っていたということだった。
まるで、
「ガブリエラが仲間を助けてと、自分の身を差し出したからね。触られちゃ困る」
「ナニシタ! オマエ! コイツ、ウデ、キレタ!」
「トロールの相手は私がするから、二人はサキュバス達の手当てをしてくれる? 回復方法はあるかな?」
「あ、あぁ」
「はっ、はい!」
「オレ、ムシ、ヤメロ! キケ! ニンゲン! ――ニンゲン?」
トロールは言葉に疑いを乗せた。それはあまりにも人間と形容するには「そうじゃない」からだ。
アリスの容姿はパッと見た限りでは人間だろうが、人間と言うにはあまりにも違うのだ。どちらかといえば悪魔に近いだろう。実際は悪魔なんかよりも高位の存在なのだが。
ガブリエラも目の前に襲ってきたトロールがいるというのに、随分と冷静だ。
傷が完治してアリスのその力量を見たのか、はたまた今の攻撃で彼女であれば安心できると思ったのか。
理由はどうであれ、彼女がトロールごときに負けないと確信しているのは事実だった。
トロールはサキュバス達を取られまいと奮闘しているが、フィリベルトが牽制すればすぐに引き渡した。脳みそ筋肉同士、しっかり力関係が分かっているのだ。
邪魔だったサキュバス達がよけたことで、アリスはニヤリと笑った。
この世界に来てからまともに体を動かしていなかった。体術の初戦がトロールなのは、少しアリス的には残念であったが選べる立場ではない。
「よーっし。よろしくね、トロール」
「オマエ、ジャマシタ、コロス!!」
腕を切り落とされたトロールも、残った腕で再び武器を持って掛かってくる。複数体いるようだが、所詮は殴る切るだけの知略もない化け物。
アリスも対して頭が切れる訳でもないし、戦闘経験なんて言えばトロール以下だ。だが何故か彼女の心は、穏やかで冷静だった。
地鳴りのようにドスドスと足音を響かせて、アリスの元へと飛び込んできた。
その重さと振動で地面が軽く揺れ、アリスにもその揺れは響く。
彼女の中に恐れなどなかった。
目の前のトロールに絶対に勝てるという自身が、何故かあったのだ。
アリスは首をゴキゴキと鳴らし、腕を伸ばし、前屈させたりと柔軟運動をしている。
驚くことにデスクワークで凝りに凝って固まりに固まった筋肉など存在せず、前屈に至ってはまさかの地に手をつけられるということで感動すらした。
それはさておき、トロールが――トロールの攻撃が直前まで迫ったときだった。
アリスが、フッと消えたのだ。
次見つけたときには、2,3メートルはあるトロールの首元に移動していた。
アリス自身もこれには驚いた。自分が何をやったのか把握しているものの、まさか出来てしまうとは。
彼女自身の視点では、ただ跳躍しただけだった。ただし……少し、速く。
だが実際は一瞬でその場に移動していた。少なくとも、周りにはそう見えていた。
そのままアリスは右手をぐっと握り、そのまま後頭部へ攻撃を叩き込む。
パソコンのキーボードばかり叩いていた手はもうそこにはない。人なんて殴ったことはない。あるのはストレス発散でクッションを殴るくらいだ。
肉が激しくぶつかる拳。
そんなものとは比較にもならない、感覚。
殴られたトロールは地面に吸い寄せられるが如く、地面に叩きつけられた。それくらいの勢いがついていたのだ。
トロールが地面に叩きつけられたと思えば、一呼吸おいて辺り一帯が衝撃波により地形を変える。
もはや爆発とも言える振動が大地に響いて、周囲を消し飛ばしていく。
「ありゃ」
「グ、ウワアァアア!?」
「ギャアア!!!」
まずい――と咄嗟にフィリベルトとサキュバス達を、魔力のシールドを展開して保護する。
ドーム状のシールドが彼らを包み込み、衝撃を吸収し和らげダメージを消した。
驚きに染まっているものの、怪我はしていないことを確認するとアリスはホッとした。
衝撃波が収まった頃には半径500mほどの巨大なクレーターが生まれてしまっていた。
アリスの思っていたよりも力があったようで、本人自身も驚いていた。
これでも加減をしていた程なので、本気を出したらこの世界が大変な事になってしまうのではと少し焦る。
地形が安定したところに、ふわりと着地したアリス。トロール達は殴られた個体以外も全て吹き飛んで死んでいた。もう少し試せるかと思っていたアリスにとっては、大きな誤算だった。
アリスも衝撃波に巻き込まれていたが、傷どころか砂埃すら付着していない。
頭をかきながら、少し遠くの保護シールドに守られたフィリベルト達のもとへと歩く。
フィリベルト達はアリスを異様なものを見るような目で見つめていた。
フィリベルトですらこんなクレーターは生み出せない。トロールを倒せたとしても、霧散させることもない。
肉体――死体は残るし、血だって残っている。
それに物理攻撃だけではなく、あの俊敏な動き。そして一瞬にして全員を保護するような魔術。
前代の王であるヴァルデマルとは、一線を画する。
(あ、どうしよう。ルーシーは大丈夫かな)
そんな視線をよそに、アリスは未だ帰らぬ部下に不安の念を抱いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます