第1話 ジャムと笑顔と曇り空
「はぁ…もう朝か」
6時30分、柳内龍之介は目を覚ました。
カーテンの隙間から漏れてくる光が部屋を薄っすらと照らすこの時間帯に大体目を覚ます。本当はもう少し寝ていたいのだが、一度起きてしまうと寝付けずいつも早く目を覚ましてしまう。
「さてと……飯にするか」
ベットから起き上がりそのままキッチンへと直行する。一人暮らしの龍之介は朝起きてすぐに朝食を食べるのが日課になっていた。
幼少期に両親を亡くし、高校入学まで孤児院で育った龍之介にとって好きな時間に好きな物を食べることができるのが何よりも嬉しかった。
「今日はトーストにするか」
冷蔵庫から8枚切りの食パンを取り出し1枚をトースターの中に放り込んだ。
マグカップに牛乳を注ぎ、焼きあがるまでテレビを見て時間をつぶす。これも日課の一つだ。
『次のニュースです。昨夜未明、大阪第8地区にある指定暴力団”朽木会”の事務所を何者かが襲撃し、組員8名が死亡しました。犯人はまだ捕まっておらず、警察は対抗組織の犯行とみて捜査を進めています───』
「第8地区ってすぐそこじゃん」
隕石落下によってもたらされたパンデミックのせいで首都が大阪に移された時、中心部を計20の地区に分割した。龍之介は第8地区の隣の第9地区に住んでいる。
「確かこの前も路地裏で殺人事件起きたばっかりだよな」
数日前、第10地区の路地裏で4人の男の焼死体が発見された。被害者が暴力団関係者だったこともあり、この事件はニュースでも大きく取り上げられていた。犯人につながる証拠が一切出ないため、警察が広範囲にわたって捜査を行っている。2区間も離れた龍之介の住むアパートにも先日、私服警官2人が聞き込みに来たくらいだ。
「絶対に犯人同じ奴だよな…」
ちょうどその時セットしていたトースターが音を鳴らした。
「お、丁度いい」
トーストを取り出し、冷蔵庫にあった賞味期限切れのいちごジャムを塗る。
龍之介宅の冷蔵庫の中身はだいたい賞味期限切れ間近の食材しか入っていない。毎月支給される支援金程度ではとてもじゃないが生きていけないので、閉店ギリギリの激安スーパーの割引商品しか買っていないからだ。
「いただきます」
手を合わせ、トーストを一口かじる。
「………2週間切れててもいけるな」
バカ舌の龍之介にとって賞味期限が2週間切れていても全く問題はない。冷蔵庫の中には一か月以上前の食べかけのケーキが入っているくらいだ。
黙々と食べ続けている龍之介がテレビに目を向けると、さらに奇妙な事件を取り上げていた。
『こちらが今回問題となっている”福音教ふくいんきょう”第13地区支部前です。今月12日、13支部支部長クリス・ティンベル氏と複数の幹部が共謀して信者を拉致監禁しているという内部告発が警察に寄せたてたことをきっかけに、警察は第13地区支部の家宅捜索を行おうとしましたが、教団側はこれに応じようとせず、今も警察とのにらみ合いが続いている状態です───』
”福音教”とは、パンデミック発生当初にできた新興宗教だ。教祖は名前を明かしてはいないが、噂では【祝福】と呼ばれる特別な力で感染者を治療したと言われている。当時は経済的にも精神的にも人々が疲弊しきっていたので、噂であっても人々はその【祝福】を求めて入信した。その結果、今では全国民の約6割、世界人口の約3割が入信し、世界各地に支部が置かれるまでになっていた。
そして、その本部は大阪の第1地区に建っている。
「物騒だな…。そういえばこの前うちにも勧誘に来てたな」
龍之介は度々勧誘にやってくる信者たちの対応をするのに飽き飽きしていた。いつも気味の悪い笑みを浮かべながら話しかけてくるので、龍之介にとってもはやトラウマと言っても過言ではなかった。
「あぁ…ヤバい。また思い出しちゃったよ」
朝から嫌なことを思い出してしまった。
トーストを食べ終えるとそのまま洗面所へ直行する。嫌なことを思い出したときはいつも冷水で顔を洗って無理にでも忘れるようにしている。
蛇口を思いっきり捻り、そのままの勢いで顔を思いっきり洗う。
あの気持ち悪い、作り物のような、人形のような、絵画のような、作り物みたいな笑顔を忘れるために何回も洗う。何回も何回も────
「ふぅ~…」
ようやく一息ついた龍之介は鏡で自分の顔を確認する。そこには、こすりすぎて顔がリンゴみたいに真っ赤になった自分の姿が映っているだけ。
「よし、たぶん大丈夫だ」
蛇口を閉じて近くにあったタオルで顔をふく。
「そろそろ準備するか」
時計を見るとすでに7時10分を過ぎていた。
電車通学の龍之介はいつも7時30分に家を出ている。乗り遅れでもしたら遅刻が確定してしまうので、余裕をもって電車が到着する10分前には駅に到着するようにしている。
部屋に戻って必要な教科書を学校指定のカバンに詰め込むと、側に脱ぎ捨ててあった制服に着替えた。
時計は7時15分を少し過ぎたあたりを指している。
家にいても特にすることはないし一人になりたい気分でもなかったので、今日はいつもより少し早めに出ることにした。
つけっぱなしだったテレビを消して玄関に向かう。
玄関へと続く廊下を歩いていたその時、一瞬足がすくんで動けなくなった。誰かにつかまれたような気がした龍之介はとっさに後ろを振り向く。もちろんそこには誰もいない。時計が秒針を刻む音がかすかに聞こえるだけで、特にこれといった変化は見られない。
「はは………完全に怖いじゃん俺。かっこ悪い………」
ただ足が滑りそうになっただけだと言い聞かせ急いでスニーカーを履いた。少しぶかぶかだったがそんなことは気にも留めずに玄関を開ける。
黒い雲が朝日を遮り一雨降りそうな様子だが、いまから部屋に戻って傘を持ってくるのも面倒だ。
(濡れてもいいや…)
カバンに入っていたカギを取り出して施錠したことを確認すると足早に駅へと向かった。
そんな龍之介の姿を監視しているスーツ姿の男女が二人。アパートから少し離れた鉄塔の上にいた。
無精ひげを生やした男は双眼鏡で龍之介の姿をとらえている。隣にいる女はそれを冷ややかな目つきで監視していた。
「本当にあの子なんですか?冗談だと言ってくれたほうが俺はうれしいんですが…」
「残念ながら冗談ではない。九分九厘あいつが標的だ」
「そうですか……見たところ自覚症状はなさそうですけど、本当にやるんですか?」
「それがお前の任務だ」
「わかりましたよ。給料分の仕事はしっかりさせていただきます」
「当たり前だ」
あまり気乗りではない男に比べ、女のほうは常に気を張っている。眼鏡で黒髪ロングでスーツ姿のいかにもインテリという見た目だが、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
「それにしても俺みたいな下っ端構成員のところに、なんで皇閣下がお越しに?」
「不満なのか」
「いえいえ、そんなことは。ただあなたが現場に出るのはもう少し大きな山でしょ」
「今回はただの勘だ。少し面白そうだと思っただけ。まぁ、あわよくば引き込みたいともおもっているけどな」
「え…?マジっすか?相手はまだ17の高校生ですよ?しかもさっきやるとかなんとか………」
「何か言ったか?」
女の鋭いまなざしが男に向けられる。
男は蛇ににらまれたウサギのように縮こまることしかできない。
「い、いえなんでもありません」
男は龍之介の監視を続ける。
もちろん龍之介は監視されていることなど気づいていない。
急ぎ足で駅に向かう龍之介の姿を見て、女は少し口角を上げた。
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