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 空模様は号泣一歩手前の曇天模様。 秋も終わりに近づいている季節がら、急激に冷え込んだ気温が現場に到着した季人を包みこんだ。


 目の前にそびえ立つサウンドメディカルの工場は夕刻を過ぎても明かり一つ灯っておらず、不気味なまでの静けさに満たされている。


 入館ゲートの手前にロードバイクを止め、周囲を見渡す季人。


「映像で見た車が工場の入り口手前に止めてある」


 ナンバープレートでそれが間違いないことを確認する。


『無かったら途方に暮れるところだったね』


「確かにな。 想像したら笑っちまいそうな絵図らだ」


 恐らく、開いた口が塞がらないままその場で立ち尽くしていたことだろう。


 季人が車に近づき、フロントガラスから中を覗き見るも、車内は空っぽ。 セレンと那須は既に工場内に入っているようだ。


『施設内を虱潰しで探すのも悪くないけど、きっとその頃には良かれ悪かれ全てが終わってしまう。 だから、季人は初めに僕の五感を確保してくれ』


 つまり、工場施設を遠隔操作するためのネットワーク構築を最優先にするということだ。


「了解だ。 それにしても、随分と静かだな。 ゲート前の小屋に誰も居なかったし」


『たぶんだけど、もう正面から堂々と入場しても誰にも咎められることはないと思うよ。 みんなセレンに無力化されてるだろうからね』


 今日の行動、きっと入念な下準備の上で決行した、セレンにとっての最後の舞台。


 かなり早い時期からこのような展開になる事を見越して、様々な手を打っておいたのだろう。


 それがサウンドメディカルの工場にまで及んでいるのは予想外だったが、それだけセレンが本気で全てにケリをつける気だという事だ。


「音響設備があるだけで、そこはセレンのテリトリーだからな。 時間さえあれば、何だって仕込めるって事か」


 季人はバックから多機能ヘッドフォンを取り出し、「用心はしておくか」と言いながら頭に装着する。


 しかし、一度頭からそれをはずして、再び耳元にスマートフォンを添える。


「……なぁ、ウィル」


『ん? どうしたんだい?』


「このヘッドフォンさ、まだ一度も役に立ってないんだけど、本当に大丈夫か?」


 音楽ホールでの一件を思い出す。


 あの時はノイズキャンセルの機能を生かせないままセレンに意識を刈り取られたのだ。


 彼女の笛の音ではなく、その姿に魅入られるようにして……。


 だから、季人まだはっきりとこのヘッドフォンの効果を実感したことは一度もない。 まだスマートフォン用のハンズフリーアイテムという枠を出ないのが本音である。


『へはは。 大丈夫、大丈夫。 前回のは不運が重なっただけで、効果は保障するって。 それに、君と一緒で、僕の道具も本番には強いんだ』


「いや、一応その前回だって本番だったわけだが……」


『まぁまぁ。 クライマックスに向けて、おぜん立てが整ったってだけさ』


「ものは言いようだな」


 深いため息を吐いた後、季人は気持ちを切り替える為に背筋をぐぐっと伸ばした。


「そんじゃ、まずはアクセスポイントから探そうかね」


 行動しない事には始まらない。


 季人はヘッドフォンのスイッチを入れ、セレンと那須が居るであろうサウンドメディカルの工場へと足を踏み入れた。





 サウンドメディカルは、企画、開発されたものを下請けを通さず、自前の工場でその全ての製品を生産することにより、自社情報の機密性を保ってきた。


 それは特許商品を扱う企業としてあり得なくはない。 サウンドメディカルは音楽からの医療アプローチという方法を取り、その一点から大手企業への参入を果たした。 それを鑑みれば、生命線ともいえる技術漏えいを防ぐための処置と考る事も出来るし、行き過ぎということはない。


 しかし、サウンドメディカルが本当に秘匿したかったのは、セレンの能力を利用した最先端技術。 医療という常識を凌駕するサウンドデバイスを利用した機器とプログラムだ。


 屋台骨を支えるシステム・セイレーンの有用性と応用力は多岐にわたる。


 日常生活から医療、軍事、そして人によっては思いもよらない利用法を思いつくかもしれない。


 だからこそ、決して外部には洩らせない。 このシステム管理に関してだけは、限られた最小数の人間のみで管理し、必要な時、必要なだけ生産、使用する。


 これから先も、サウンドメディカルという会社が存続すればその体制は変わらないだろう。


 僅かなケミカル臭を漂わせる工場内に、僅かな綻びが静かに歩み入るまでは……。





 工場内にある制御室の場所は、館内案内図を確認して直ぐに分かった。


 ただ、季人は同時に違和感も感じた。正午過ぎにもかかわらず館内に明かりがほとんどついていない。


 それどころか、工場内に入ってから未だに人の姿を確認できていないのだ。


 超絶ホワイト企業だとしても、帰宅時間にはいくらなんでも早すぎるだろう。


 セレンの力で強制的に帰らせたのか、どこかに隔離させたのか、それとも、この施設内で心神喪失状態に陥るほど、催眠効果が働いているのか……。


 現在、季人がハンドライトを片手に制御室に来るまで、それは変わらなかった。


「コンソールの電源は……流石に生きてるな。 ウィル、そっちでも確認できるか?」


 USB端末にハッキングツールを仕込んだフラッシュドライブを差し込み数秒。 季人が操作していないにもかかわらず、モニターに表示されている館内の管理項目が次々と表示されていく。


『うん、もう普通に同期したよ。 普段警備態勢が厳重な分、こうして内側に入ってしまうと、施設内の事が手に取るようにわかるね。 ええっと……この工場は全てのドアがICアクセスみたいだから、入室管理の項目を見れば人が出入りした場所が一目瞭然だ』


 コンピューター管理されている施設では人の出入りは入念にチェックされる。


 逆に、そこさえ押さえればどこに誰がいるか直ぐに分かる。


「それで、最近入室のあった場所は?」


『十分前に資料室へ入室した記録が残ってる。 今ならまだいるかもしれないよ』


「ちなみに誰?」


『使われたのはそこで働いてる社員のICカードだから、館内の現状を鑑みて、セレンじゃないかな。 那須なら自分のを使うでしょ』


「了解。 若い子って行動力あるね……。 お兄さんもうへとへと」


 管理室を後にして小走りで暗い廊下を進む。


 長距離をロードバイクで走ってきた季人には、もはや小走りでもゲンナリとしてしまう。


 しかし、かといって速度を落とすことはなく、乳酸が溜まってきた足に気合をいれる。


 歌姫はもうすぐそこだと自分に言い聞かせながら。

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