第2話

 そのまま意識を手放そうとしたとき、ここが外だと思い出して慌てて座りなおした。自分が無意識のうちにとんでもないことを考えていた気がして、寒気がする。



「大丈夫ですか?今日はもうお酒を控えた方がいいと思います」



 まだ眩暈がする頭を押さえていると、目の前に水が入ったグラスが差し出された。



「あ、ありがとうございます」

「それにしても酷い人ですね。自分の話は聞かせておいて、私の話になると立ち去るなんて」

「それは……すみません」

「失礼。弱っているところに意地悪を言いましたね」



 隣から小さく笑う気配がした。どうやら男は本当に気にしてないようだ。



「ちょっとむかついたんですよ。傷心の女性の前で恋バナとか貴方、モテませんよ」

「残念ですが、私意外とモテるんですよ」



 喧嘩を売られているのだろうか。この男にグラスの水を頭からぶっかけてすっきりできたらいいのに。



「あー、そうですかそうですか。なら、貴方の恋はすぐに成就しそうでヨカッタデスネー」

「少しは興味あるふりしてくださいよ」

「だってモテモテなんでしょう?そんな貴方が今まで身を引いてたわけですから、本気を出せばその現在不幸なお相手様なんてすぐに落ちますって」

「本当にそう思いますか?」

「意外と面倒くさい人ですね……」



 これ、もはや私が慰められているんじゃなくて、絡まれている状況ではないだろうか。

 私は今からでもここから立ち去るべきではないかと悩みながら、水をあおった。



「実は一目惚れなんです。ですがその時、彼女にはすでに婚約者がいましたので、ろくにお話をしたことがないんですよ」

「でしたら、まずは会ってお話から始めてください。貴方がどれだけ浮名を流しているかは分かりませんが、そんな男に突然言い寄られて信用する女性は少ないですよ」

「あ、いや、私は別に浮名なんか、」

「そんなわけないです。ある程度女性にモテていらっしゃるなら、間違いなく何かしら陰で言われています。彼女がそれを知っている前提でアプローチしてください」

「……随分とお元気になられましたね」

「ええ、おかげさまで」



 ついつい親身になってアドバイスをしてしまった。

 男が不服そうにしているのが分かる。意外と親しみやすい性格だが、そう感じるのはきっと酔っているせいだ。



「まあ、いいアドバイスも頂けたことですし、話を戻しましょう」

「えっ、まだ私の心の傷を痛めつける気ですか?貴方本当にモテるんですよね?」

「心外ですね」



 そういうと男は一旦言葉を区切り、私に新しいグラスを渡してくれた。自分ですら無くなったと気づかなかったのに、気が利く男である。



「ご両親に私を紹介してください」



 酔いが一気に醒めた。たっぷりその言葉の意味を吟味して吟味して嚙み砕きまくって。私の口から出たのは「は?」という極めて簡単な言葉だった。


 いやだって、意味が分からない。この男は、話には脈絡が必要だということをご存知ではないのだろうか。



「貴方はこのままだとその男と結婚しなければならない。妹とも一つ屋根の下で暮らさなければならないし、社交界では陰口を叩かれても言い返せない」

「なぜ突然現実を突き付けてくるんですか?それも一つずつ丁寧に。私に何か恨みでもあるのですか?」

「貴女は一生屈辱に耐えないといけないのに、妹は頃合いを見て新しい相手を見つけるでしょう。もしかしたらどこぞの第一夫人になるかもしれませんね」

「不吉なことを言わないでください!なまじ本当にありえそうなのでたちが悪いです」



 私を気遣うような使用人の目や妹の勝ち誇った顔、そして私の機嫌を取ろうとする婚約者の姿を想像して、その惨めさに涙が出そうになった。あまりにも現実味がある妄想だ。



「だから私の存在が必要です」

「ええと、話が見えないのですが……」

「ふふ、私にいい考えがあります。乗っていただけますね?」



 男の声はひどく愉快そうだった。なんだか男に乗せられているような気がして、背筋に寒気が走る。身震いした私の考えをを見透かしたのか、男は小さく笑った。



「私が信用ならないなら断って頂いて結構ですよ。まあ、そうしたら何の抵抗もできないまま不幸な未来へ一直線ですが。自ら茨の道を選ぶとはいい根性ですね。尊敬します」

「いえ、ぜひとも貴方様の素晴らしい考えをお聞かせください」



 考える暇もなく態度を変えた私に、男は満足そうにうなずいた。



「なに、お互いに損はしませんよ」



 こうなればとことん利用してやると、私は新しく渡された水を一気に飲み干した。

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