それぞれの決意 3

「リナ!」


 突然呼びかけてきた声に驚いて振り向いたそこに、立っていたのは啼義ナギだった。

 リナの身体が無意識に強張こわばる。啼義は、花壇の前でかがんでいる彼女のそばにおずおずと進み出た。そして、

「ええと……ごめん」

 なんとも情けない表情で、彼は簡潔に謝った。しかしそれ以上、どうしたらいいか分からないという様子で、そのまま立ちすくんでいる。

「え?」

 リナも戸惑った。

 彼女は今まさに、啼義のことを考えていたのだ。少し眠ったおかげでだいぶ頭もすっきりして、ひとまず啼義に、ちゃんと迎えの言葉を言い、謝ろうと思い直していた。だが、こんなすぐに彼と顔を合わせると予想していなかったし、もっと言えば、きつい言葉で突き放したあとで、啼義から話しかけてくるなんて、思ってもみなかった。

「あの……」

 啼義が一歩近づいて、硬い表情で口を開いた。

「さんざん迷惑と、心配もかけたのに……乱暴に、怒鳴ったりして、悪かった」

 リナが納得していないととったのか、啼義はたどたどしく続けて、ぺこりと頭を下げる。思いがけない素直な態度に、リナの緊張は解け、自然と表情がほころんだ。

「ううん」

 それは柔らかな微笑みとなって、啼義の目に映った。リナが立ち上がり、軽く頭を振る。深みのある金の髪が揺れ、啼義はそこで初めて、彼女が髪を下ろしていることに気づいた。どうりで、いつもと雰囲気が違うはずだ。

「私も、ごめんなさい。啼義だって、怪我して帰ってきていたのに──啼義?」

「ん?」

 いぶかしげなリナの眼差しに、啼義は自分がどんな表情をしているのか初めて気づいた。知らず緩んでいた頬を、慌てて引き締める。

「あ、いや。よかった。このまま離れることになったら、気分良くねえなって思ったから」

 啼義の言葉に、リナはハッとした。

「離れる?」

「うん。だって、俺──まずはダリュスカインと決着をつけて、それから──イルギネスたちと、イリユスの神殿に行かなくちゃ」

「……」

 そうだった。啼義たちは、ずっといるわけではないのだ。忘れていた事実を突きつけられ、リナは急に、胸の奥がしんと冷えるのを感じた。

「決着って──ダリュスカインと戦って、倒すの?」

 リナの問いに、啼義の黒い瞳が、複雑な感情に揺れる。

「分からない。でも、このまま逃げてるわけにもいかねえし、ダリュスカインとのことをどうにかしないと、先にも進めない」

 それこそ、分かりきったことだ。しかし、どうにか出来る保証はあるのだろうか? 啼義は、竜の加護の継承者でありながら、現在その力をほとんど使えない。片やダリュスカインは、啼義の命をとり損ねたものの、彼の肩に魔の刻石を発生させたような男だ。

「相手は、かなり上位の魔術師なんでしょう?」

 リナが聞くと、啼義の表情がわずかに険しくなった。

「うん」

<そんな相手に、勝てるの?>

 共に行くであろうイルギネスとしらかげも、剣士としては有能すぎるくらいだが、人の魔術師相手に対峙した経験など、あるのだろうか。イルギネスは魔術剣士ゆえ、その知識もあるが、魔術が使えるわけではないので、完全な対策が練れるほど精通してはいない。警護隊として、街の周辺などでの盗賊との闘争はしばしば巻き起こるものの、魔術は比較的高度な技能なので、そういった連中の中には、あまり手がける者などいないのが実情だ。

「でも俺は、もう誰も巻き込みたくない。イルギネスと驃はついて来てくれるけど、必ず無事に帰すから」

 啼義はそう諭したが、リナは違和感を覚えた。今や、啼義だって他人ではない。

「──啼義も、でしょ?」

 言うと、啼義は何かに気づいたように黙って、リナを見つめた。

「う、うん」

 否定してはいけない空気を感じて、とりあえずそう答えたが、不安な本心は隠しきれない。

「大丈夫?」察したリナが、思わず聞いた。

 あっさり見破られ、啼義の目がどことなく気弱な光を帯びる。しかし、啼義は虚勢と承知しながらも言い切った。

「大丈夫って言い切れねえけど、なんとかするしかねえよ」

 本当はこのまま、ここにいたい。だけどどうしたって、それは無理な話だ。

 啼義はあらためて、真っ直ぐにリナを見つめた。やっぱりだ。こうして彼女の瞳と向き合うと、心なしか、鼓動が速まる。そして思った。自分に何かあったら、また心配を通り越して怒られるのだろうか。

「なんかあったら、あんたが駆けつけて、治癒かけてくれよな」

 つい冗談めかして言った啼義に、リナは「まあ」と抗議めいた口調で返す。

「何かあったら、なんて」

 その瞬間──彼女の拗ねたような表情ですら眩しく感じている自分を、啼義は自覚した。と同時に、今度こそ明らかに鼓動が速まった。見上げるリナの眼差しには、自分への心配がありありと浮かんでいる。

「そんな顔すんなよ」

「だって、嫌よ。駆けつけるような事態なんて」

 啼義は内心嬉しくなったが、なんとかそれを押し隠した。心配されて喜んでいるなど、リナに気づかれたら面倒だ。頭の中では困惑と喜びが入り混じり、ささやかに混乱している。

<可愛い>

 なのに脳内は、ますますあさっての方向へ思考を繰り出してくる。変なことを言う前に引き上げた方がいいと、本能が命令を下した。

「あ、ええと。謝れてよかった。剣や装備品も放りっぱなしだから、手入れしないと」

「え?」

「じゃあ、またあとでな」

 啼義が、あたふたと話を終えようとしたので、リナは慌てた。

「あ、怪我は?」

「もうほとんど大丈夫」

 啼義は唐突な動揺を悟られないように短く答えると、そそくさと背を向けて、足早に中庭を立ち去ってしまった。



「はぁ……」

 扉を閉めて息をついた啼義は、自分の心を慎重に探った。心臓がバクバクと脈打っている一方で、リナとの関係が修復できた安堵と一緒に、今のやり取りに妙に浮き足立っている自分、それを必死に抑えようとしている自分とが同居している。こんなにもさまざまな感情が同時に心をかき乱す経験は、今までなかった。だけど、それが何なのか──もう認めざるを得なかった。


<俺──>


 急な心の躍動から逃げるように離れたが、本当は、リナともっと一緒にいたい。彼女の瞳が自分を捉える時、この上なく有頂天になっている自分を、否定する要素などない。

<リナが、好きなんだ>

 しかし気づいたところで、どうしろと言うのだ。自分は、ここにずっといられないのに。啼義はため息と共に思いを飲み込むと、階段を上がった。

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