再会 6

 羅真らしん丸は船体の一部に鉄材を使用した、木鉄船と呼ばれる船で、ここに停まっている中では比較的大きい。荷を下ろして一段落した今は、街に出ている者も多く、船内は静かだ。

「どれでも着て行ったらいい」

 啼義ナギとイルギネスが甲板に導かれて待っていると、朝矢トモヤが何枚か適当な服を持ってきてくれた。バケツに汲まれた真水で潮気を洗い流して着替える。もう日が高くなってきているので、少し秋の空気を感じるとは言え、心地よい気候だ。

「あのままだったら、啼義は確実に風邪をひいていたな。助かった。ありがとう」

 イルギネスはすっかりいつもの調子に戻って、笑顔で礼を述べる。

「礼を言うのは俺の方だ。兄貴が啼義を助けてくれなかったら、場合によっちゃ、今生の別れになっちまうところだった。本当に……ありがとうございました」

 朝矢が、神妙な面持ちで頭を下げた。

「……」

 啼義は真ん中で黙っていた。疲れたのもあるし、自分の軽率な行動で、イルギネスにあんな顔をさせたことが尾を引いていた。


 ──もう、俺の前で逝かないでくれ。

 

 いつも飄々として明るく、影など微塵も感じさせない彼が、声を震わせて懇請していた姿は、啼義の心に深い爪痕を残した。自分の行為は、イルギネスの心をえぐったのだ。あんなにも彼を傷つけるなんて、思ってもみなかった。


<まいったな>

 消えてしまいたかった。故郷から無理矢理切り離され、その故郷も自分のせいで焼失し、それでも生きて行かなければならない理由など、どこにあるのだろうかと。

 でも──

 啼義は、目の前ですっかり打ち解けている二人に目をやる。

<もう、逝けなくなっちまったじゃねえか>

 イルギネスの右足には今、包帯が巻かれている。自分を助けようと靴を脱いで飛びこむ際に、何か踏んだらしい。足元の確認どころではななかったのだ。

<俺なんかのために>

 視線を逸らした先には、イルギネスの瞳と同じ、青い海が広がっている。

<あんな必死に、怒鳴ってんじゃねえよ>

 馬鹿野郎と声を荒げたイルギネスを思い出した。その途端、胸にじんわりとした温もりが広がり、あっという間に身体を駆け上がると、目頭が熱を持った。慌ててそれをぐっと堪えた、その時──

「おう、そちらが朝矢の客人かい!」

 怒号のような声と共に現れたのは、声からは想像のつかない、眉目秀麗な、すらりと背の高い青年だ。白に近い金の髪を頭の高い位置に無造作に束ね、風に靡かせている。日に焼けた褐色の肌と色素の薄い髪の色が対比になって、美麗とも言える雰囲気には、目を奪う引力があった。

「俺がこの船のかしらさ。デュッケ・アドスだ。ようこそ羅真丸へ!」

 啼義は目を見張った。なんと──思った以上に若い。

「イルギネスだ。そんなに若いのに船長とは凄いな」

 まるで啼義の心の声が聞こえたかのように、イルギネスが言った。彼は気分を害すでもなく、碧色の瞳に意気揚々とした光をちらつかせ、歯を見せて笑う。

「はははっ! だろ? 今年二十二、まだ親父から船を継いで三ヶ月だ」

「期待の若頭ってことか」

 イルギネスの言葉に、彼はふふんと鼻を鳴らした。

「おうよ」

 見た目は雄々しさから程遠いのに、中身は生粋の海の男らしい。外見と中身の相違という点では、イルギネスに通ずるものを感じる。

「こっちの啼義が、俺の幼馴染みなんだ」

 すっかり自分の居場所に迷子になっている啼義の肩を、朝矢が親しげに叩く。

「デュッケってのは、愛称さ。外国の言葉で、暴れん坊って意味らしいぜ」コソッと、彼が啼義に耳打ちした。

「おい! 聞こえてるぞ! まあ、本当だから仕方ないけどな」

 言われた当人が、がはは!と豪快に笑った。その勢いと朗らかな空気に、啼義も思わず、表情を緩める。

<朝矢は凄いな>

 こんなにも陽気な仲間と、広い海を渡っているなんて。啼義は羨望の眼差しを幼馴染みに向けた。それに比べて、自分はどうだ。成長していないどころか、周りの足まで引っ張ってしまっている。

<強く、なりたい>

 切実な思いがこみ上げてきた。まずは自分が、きちんと立たなければ。イルギネスのあんな顔も、もう二度と見たくはない。それはつまり──何が何でも、ダリュスカインという不安の種を、摘み取らなければならないということだ。自分の、この手で。その答えに行き着いた時、啼義は心の奥底が震えた。やはりどう足掻いても、対峙せねばならないのだ。確実に。

「まあ、せっかくだから、少し茶でも飲みながら、休んで行けばいい」

 ドカッ! と手にしていた薬缶やかんと銅製のマグカップを木箱の上に置くと、デュッケは来た時と同じように、大股でガツガツと船室への階段を降りて行った。

「楽しそうな船長だな」

 笑顔で啼義に話しかけたイルギネスは、おや? と彼の変化に気づいて黙った。デュッケが去った方を向いたままの啼義の瞳からは、先ほどの危うい揺らぎが消え、強い光が宿っている。今までなかったほどに。

<どうしたんだ?>

 一体何が、啼義の心を立て直したのだろう。打って変わって気迫すら漂ってきそうな空気に、驚きを覚えながらも、イルギネスは安堵した。これだけしっかりしていれば、大丈夫だろう。もう二度と、あんな思いは御免だ。俺だって、そんなに強くはない。


 喉を潤しながら、朝矢の航海の話などで半時ほど盛り上がった後、停泊中に服を返しに来ると約束して、啼義とイルギネスは羅真丸をあとにした。

 右足の負傷で歩きにくそうなイルギネスに、啼義はちょっと考えてから、「肩、貸すよ」と申し出た。先ほど、朝矢がやっていたことだ。

「お前も消耗しているだろう」

 イルギネスは心配したが、彼は首を横に振った。

「俺のせいだし」半ば強引にイルギネスの右腕を取り、自分の肩に回す。イルギネスは素直に従うことにした。

「とんだ散歩になったな」

「……うん」

 啼義は、額の奥がなんとなく疼くのを感じた。色々なことがありすぎて、確かに消耗はしている。だが、人生初めての海を見て、朝矢にも再会し、自分にとって得たものは大きい。多大な迷惑もかけたが。

「そのうち──泳ぎ、教えてくれよな」

 自分の人生が、未来に続くかは分からない。でも少しだけ、先のことを約束したい気がしていた。

「ああ。すぐに覚えられるさ」

 イルギネスが啼義に、いつもの穏やかな笑顔を向けた。

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