第66話 軍神の鼓動
怪物が増えれば増えるほど、見世物としての格は高くなっていく。
大介のようにホームランを連発するわけでもないし、上杉のように170km/h台を普通に出すわけでもない。
この二人が、プラスの方向にとんでもない現象を起こすのに対し、直史はむしろ0である。
マイナスですらない。無失点に抑えるように、0である。
そのピッチングは静かであり、淡々と0を積み重ねる。
いつしか人は彼のことを、0の魔術師と呼んだ。
……もちろん嘘である。
野球ファンにはそんな叙情的な異名を付ける者はいない。……いないと思う。偏見かもしれないが。
直史のピッチングは音楽のようなものだ。
始まりから積み重ねられた旋律が、やがて物語を紡ぎ、最後に勝利という結果で結実する。
それに比べると上杉のピッチングや大介のバッティングは、一撃がそのまま爆発する花火だ。
両者のプレイオフでの対決は、もはやポストシーズンの風物詩。
力と力の対決の極まるところを、観客や視聴者は期待するのだ。
今季上杉は、26登板で19勝1敗。
立派な数字ではあるが、直史と武史に上回られている。
佐藤兄弟は両リーグを合わせても、今季20勝を突破した二人。
それが同じチームにいるのだから、それだけでレックスは化け物というものだ。
だが、それに負けるわけにはいかない。
上杉には美意識がある。
スポーツ選手というのは基本的に、肉体の強度によってそのパフォーマンスを見せつけなければいけないというものだ。
もちろんそれは他者に強要するものではないが、自分のこの肉体は、世界でも唯一、170km/hという壁を超えるために存在する。
ならば下手な小技など使わず、この力を見せ付けるのが、自分の役目ではないのか。
それを一笑に付したのは、まだ中学生であった樋口であった。
「アホですか、あんたは」
甲子園でも決勝まで勝ち進んだ上杉は、ほとんど一人でチームをそこまで連れて行ったようなものであった。
だが樋口は、上杉が勘違いしていることを、自分の言葉で説明できた。
「力だけを証明するなら、ハンマー投げだの砲丸投げだの、そんなことをしていればいい。貴方はチームスポーツを選んだのだから、チームワークで勝たないといけないでしょうに」
色々と交換材料はあったが、樋口は新潟に優勝旗を持ち帰るために春日山に入り、そして上杉なしでその約束を果たした。
あれで樋口の野球は、完成するはずであったのだ。
それが大学野球でまたも活躍し、プロにまで進んできた。
この数年のレックスの投手陣の異常な活躍は、わずかではあるがバッテリーを組んでいただけに、樋口の功績であると上杉は分かっている。
恨みがあるわけではない。それに樋口の言うことももっともだ。
それでも上杉はいまだに、真っ向からの力勝負をしてしまう。
今年はそれで大介に、ホームランを打たれた。
ただの力と力では、上回る者がいる。
それが悔しくも心地いい。
それはそれでいい。だがもう一つのあの力はなんなのだ。
自分では無理だった、樋口の理想を体現し、その真の力を引き出しているピッチャー。
力の正反対にあるようで、実は最も近いところにある技。
技術と知略と精神性で、暴力を鎮圧するまた違った形の暴力。
あれをこのままにしておけば、多くの才能が折れてしまうだろう。
どうにかして勝たなければいけない。自分か、もしくは大介が。
上杉も大介も、力を発揮する間には、気を抜いて不覚を取ることがある。
それも仕方がないのだろう。このステージにまで上がってきたプロ野球選手は、本当に人間の中でもトップレベルの能力を持っている。
だが、直史は違う。
気を抜いて不覚を取るのではなく、力を抜いて効率を取っている。
それもまた才能の一つの形であると言うべきなのだろうが、同時に上杉は、ひどくおぞましいものにも感じる。
対戦成績は、1敗1分。
上杉にとって初めてとさえ言える、目に見えない壁だ。
ずっと上を見てきて、もうこれ以上はないところで、下から上がってきた者たちと戦ってきた。
そう思ったら雲に乗った化け物が、いつの間にかぷかぷかとすぐ横に浮かんでいたのだ。
人々を惑わすあの、名状しがたき奇妙な才能。
樋口はあれを待っていたのであろうが、自分はあれを許容できない。
少なくとも全てのバッターに絶望を与えるような今の形では、存在していてはいけない。
上杉だけであれば、少なくとも互角に戦うことは出来る。
だがあれは、あまりにも異質だ。
考えすぎだとは、とても思えない。
一年目の自分や、武史なども、相当の成績を残した。
だが防御率が1を切るどころか、0.1を切る直史を、恐怖の実体のまま存在させていてはいけない。
(わしが勝つ。勝って、呪縛を断ち切る)
そうは言っても、魔王の前に到達する前に、勇者を倒さなければいけないのだが。
勝手にあちこちで魔王認定されている直史は、久しぶりに家に戻って、愛娘をぐるぐると回していた。
少し間を空けただけで、どんどんと成長してくる娘。
生まれた時には散々に心配されたものだが、今では同時期に生まれた他の赤ん坊より、ずっと大きい。
体格は佐藤家の血かなとも思うが、ツインズは平均身長とほぼ変わらない。
父方の祖父母が両方ともそれなりに背が高いので、そこから遺伝しているのかもしれない。
基本的には文化系の瑞希も、育児の中で腕力は鍛えられている。
育児は体力と忍耐力だ。
母の助けを受けながら、滅多に帰ってこない夫のことを、瑞希は恨んだりはしない。
いざとなればベビーシッターを時々使って、疲労をためない手抜きをするのが、瑞希のジャスティスである。
育児の全てを親がやらなければいけないわけではない。
大切なのは子供に生きていく力を与えてやることだ。
直史は久しぶりの夫婦の営みにも発奮するのだが、ピロートークで色々なことも話し合う。
盛り上がってきたら二戦目に突入もするのだが。
「そういえばまだ続きを書いてほしいとか言ってたな」
記者会見においての話を、直史は口にしていた。
瑞希はもちろんそれを知っているが、あまり乗り気ではない。
白い軌跡は瑞希の作った、ノンフィクション同人誌だ。
それが評判になったため、改めて商業流通に乗せた。
そして続編とも言うべき大学編は、直史が二年生時の東大との対戦や、WBCのことも加えておおよそ三年次までを中心に書いた。
だいたい続きを書けば書くほど、こういうものは売り上げは落ちていく。
ただそれでも一定の固定ファンがいるために、かなり美味しい収入にはなったのだが。
金銭が重要だということは、瑞希も散々に思い知った。
直史は五年の間に、プロとして多額の金銭を儲けるだろうが、それだけに頼っているわけにはいかない。
「引退したらゆっくりと二人で書きましょう」
その頃には真琴もそれなりに大きくなっていて、あるいは二人目が生まれているかもしれない。
子供が物心ついたら、家庭にいる父親になりたいものである。
束の間の安息の後に、直史はレックス寮に戻る。
調整をしながらも、目的は当然ながら、ライガースの試合を見ることだ。
勝ち上がるのがライガースとは限らないが、今年は大介がわざわざ直史をこの世界に呼び込んだ。
流れ的にここは、大介のライガースが勝ちあがる空気がある。
もっとも、甲子園にはマモノが住む。
普通は高校球児にのみ悪戯をしかけるマモノであるが、大介と上杉の対戦だ。
マモノが間違って目覚める熱量があってもおかしくはない。
「ナオさんはどっちが勝つと思いますか?」
寮の中ではかなりの年長である直史は、自然と中心になることが多い。
基本的には衆で騒ぐタイプではないのだが、半年も一緒にいればそれなりに交流することになる。
直史は考える。
単純な戦力を積み重ねるだけなら、ライガースが勝つだろう。
だがその戦力の積み重ねを、一人で覆す存在が、両方のチームにいる。
大介と上杉の勝負。
そう考えて、基本的には間違いない。
ただし一戦目、ピッチャーの対決は上杉と真田。
真田もまた普通なら、MVPに選ばれてもおかしくないほどの選手だ。
「真田も運が悪いな。パにいれば沢村賞も取りやすかっただろうに」
それをあんたが言うのか、という視線が集中する。
ライガースにいて大介と対戦しなくてもいいのだから、そこはむしろ有利であろうに。
どちらが勝つか、それはおそらくこの第一戦が重要になる。
ライガースが勝てば、スターズはさすがに上杉を連投させるわけにはいかない。
確実にライガースが勝って勝ち上がるだろう。
しかし上杉に勝つのがまず難しい。
クライマックスシリーズの第一戦、上杉も万全の状態である。
一戦目はさすがに落とすのでは、と考えるのが妥当なところだ。
二戦目、おそらくライガースは山田で勝つ。
スターズもさすがに、上杉に連投はさせないだろう。
そして三戦目、スターズが誰を、そしてライガースはおそらく阿部を。
中一日で、上杉ならば先発はともかく、リリーフぐらいで投げてきてもおかしくはない。
「今日の試合、スターズが勝ってようやく五分かな」
真田を叩き、そして上杉で勝つ。
そこからチーム力での戦いとなれば、スターズはどうやって大介を抑え込むかがポイントとなる。
どちらにしろ、三戦目まで長引くことは間違いないだろう。
そしてそこまで長引けば、ライガースの三本柱は消耗している。
「スターズが勝つには上杉さんを酷使しないといけないし、ライガースが勝つには三枚のピッチャーがかなり消耗することになる」
なのでどちらが来ても、レックスが有利であるというのは、あくまでの論理的な思考だ。
短期決戦のこの舞台においては、勢いが作戦を上回ることはある。
実際に過去二年、ライガースはレックスを相手に下克上を果たしている。
だが、今年は違う。
あと一枚強力なピッチャーがいれば日本シリーズに進めたレックスに、超強力なピッチャーが加わった。
三人のどれに当てても、確実に勝ってくれる鬼札。
あとはライガースの打線が、どれだけ機能するかだ。
直史が本気で、勝つためだけに投げる。
それに対して、ライガース打線は、大介はどう動くのか。
今年の成績だけを見て、直史と大介の力関係を判断してはいけない。
過去の全ての対戦を見ても、まだ足りないのだ。
最強の矛と、最強の盾、どちらが勝つのか。
あるいはどちらが盾で、どちらが矛であるのか。
未来は確定していないが、直史には予感がする。
凄まじい激闘の果てに、勝ち残るのはライガースだろう。
そしてその時、間違いなく大介は、過去に戦ったどの打席より、恐ろしい相手になっているだろうと。
ぴりぴりとした空気がある。
本来ならばこの対戦には、あまり興味のないのがイリヤだ。
彼女の美意識に、上杉や大介のプレイは響かない。
どれだけ美しいものを作り出しても、それを無残に破壊してしまう。
それがこの二人の持つ、野球における破壊力だ。
イリヤが見たいのは、直史と大介の対決。
彼女の感じる美しさと、その美しさを破壊する純粋な力。
どちらが上回るのか、それは確かに見たい。
この年の両者の対決にて、両者ともが肉体が対決に耐えられず、負傷したと聞く。
対決自体は大介が勝ったが、その後の経過も見ると、必ずしもそうとばかりは言えない。
あるいはあの一打席で、選手生命がなくなっていたかもしれない。
二人の対決というのは、あまりにも悲惨な結果に終わる。
この対決を、誰かと一緒に見ようとは思わなかった。
おそらくは何か、取り返しがつかないことが起こる。
イリヤのそれは予感と言うよりは、芸術の神に祝福され、同時に呪いを受けた者が得る霊感。
口にしないほうがいい、誰も予測できないはずの未来だ。
この予感すらをも、上回る力を持っているかもしれない二人。
周囲への爆発的な影響力を考えれば、イリヤの感覚さえも狂わせるかもしれない。
だがおそらくは、それでも致命的な破壊の嵐が巻き起こる。
自分にしてやれるのはせめて、それを音楽として残してやるだけか。
様々な場所で、様々な人間が。
人間を超えた人間同士の対決を見守っている。
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