第27話 勇者と魔王

 昨今の創作を見るに、魔王が勇者に勝ってしまう物語は、それほど珍しくないらしい。

 なぜかネット界隈では魔王と呼ばれている直史は、あまり自分の話題に近寄ろうとはしないのだが、それでも目に入ってしまうことはある。

 どうやら直史がいてつく波動とやらを出して、バッターを動けなくしているから、あれほどのパーフェクトが出来ているのだ、というのが元ネタだとか。

 なんでやねん。内野ゴロとフライ打たせまくって、三振もほとんど空振りやんけ、となぜか関西弁でスッコミを入れた直史であるが、大介の方も破壊神と呼ばれたりしている。

 こちらはシンプルに、ホームランでスコアボードのスクリーンを破壊しているからだそうだ。


 直史が予告登板でライガース戦に投げることが分かった時、神宮のチケットの大規模転売が始まるかと思ったが、一日で出来ることはあまりにも少ない。

 ダフ屋も最近は電子化しているらしいが、採算は取れるのだろうか。

 今日は瑞希が真琴を両親に預けて、試合を観戦に来る。

 ゴールデンウィーク終了後の5月8日。

 それが決戦の日であった。




 スポーツ新聞が関東であるのに、レックスとライガースの対決を、いや、直史と大介の対決を一面にしている。

 おそらく関西でも、似たようなことが起こっているのだろう。

「珍しく気負ってたな」

「そう……気負いですか?」

 レックスの監督木山の言葉に、他の首脳陣からは疑問の声が上がる。

「気負いじゃないかな?」

「気合とか気迫とかでは?」

「う~ん、ただいつもと違うことだけは確かなんだが」

 直史が木山に言ったのは、一つだけである。

 今日の試合で消耗して、ローテを一回飛ばしてもらうことは可能か、ということだ。

 これに対して木山は、普通に可能だと答えた。


 フェニックスとの三連戦の最終戦で、吉村が復帰して短いイニングを投げた。

 本来ならばローテの先発であるだけに、誰かを外して吉村を入れることは決めてあるのだ。

 そこに直史の代わりに入れて、次の順番で誰かを外して、直史をそこに入れる。

 直史はリリーフ能力も相当に高いが、今は先発として完投を続けてもらうほうが、貢献度は高いはずなのだ。


 直史の使い方は、先発で完封してもらうことが、一番他のピッチャーへの負担も少ない。

 他に使うとしたら、クローザーだろうか。

 ワールドカップと大学時代、クローザーとしての経験がある。

 どちらも一イニングのみのクローザーではなく、リリーフとして登板してのクローザーだ。

 一イニングだけに限って、連投することが可能かどうかは、さすがにまだ試していない。

 大学の大会で連戦しても、それはせいぜい三日ほど。

 プロであれば最悪、10回投げて一日しか休みがない、ということもありうるのだ。さすがに極端すぎる例であるが。


 現在のNPBにおいては、セパ両リーグをまとめても、ライガースとレックスが二強となっている。

 ただしここにスターズが、調子がいいと入ってくるのだが。

 この10年、日本シリーズでパのチームが優勝したのは一回だけ。

 各チームの主力の強さが、そのままチームを底上げしている。


 もちろんレックスも、樋口と武史が、その主力ではある。

 樋口は三割30本30盗塁100打点を達成し、毎年トリプルスリーかそれに近い数字を残している。

 バッターとしてももちろん主力だが、キャッチャーとしてはもうかけがえのない存在だ。

 そしてこの樋口が、全力でリードしたときの武史は、狙って完封をしてくる。

 まさに上杉並のピッチャーとなり、優勝した年には最優秀バッテリーにも選ばれた。


 ただやはり、ライガースの攻撃を、完全に抑えるのは難しい。

 そのライガースにも真田や阿部といった、完封が可能なピッチャーがいるのだ。

 それらと投げ合って、どちらが先に一点を取るか。

 正直木山をはじめとした首脳陣も、ここでライガース相手に直史を使うべきかは迷ったのだ。

 直史はライガース以外のチームであれば、かなりの確率で完封をしてしまえるだろう。

 事実ここまで、開幕戦を除く、全ての試合を完封している。

 中七日で投げて、確実に一勝を重ねるか、中五日で投げて二位をキープするライガースとの間に差をつけるか。

 だが一度中五日でと告げて、直史はそれに合わせて調整してきたのだ。


 次のローテを一つ飛ばすぐらいにまで、消耗することを覚悟する。

 それだけの決意があれば、もう止められない。

 入団してから、わずかにまだ六戦。

 だが直史は、もうエースとしか言えない存在になっている。


 昨日の第二戦では、金原が打たれて五回で五失点と、敗戦投手になった。

 武史を含めて、吉村、佐竹と共に、レックスの中では四人の柱とも言えるピッチャーの一人である。

 それが五回までしかもたなかったのだから、やはりライガースはすさまじい得点力を持っているのだ。

 殴り合いになれば、ライガースが勝つ。


 だが、直史であれば。

「今のライガースをパーフェクトにするのは上杉でも無理だろうな」

「無理でしょうね」

 何かを期待させるこれは、いったいなんなのか。


 遠い昔に憧れた、プロ野球というものへの幻想。

 それが野球で生きてきた擦れた野球人の心さえ、強く揺さぶっている。




『かつて共に栄光を目指した同士』

 甲子園における直史ピッチング、そして大介のホームラン。

『共に空前絶後の記録と記憶を残した』

 0が続くスコアボードに、場外まで飛んでいく脅威のホームラン。

『だが、その道は分かたれた』

 神宮で投げる直史に対して、甲子園でホームランを放つ大介。

『一瞬の交差はあっても、またその道は遠く離れて、二度と交わらないと思われた』

 WBCで同じユニフォームを着て、ベンチに並ぶ二人。直史のもう一方の隣にいる樋口はナチュラルに無視されている。

『だが、巨大な二つの星はお互いにひきつけあい、ついに今夜激突する!』

 直史のこの数試合のピッチングと、大介がプロ入り後に打ってきたホームラン。

 直史の場合は、延々と0が続くスコアボードが圧巻である。


『最強はどちらだ!』

「んなもん一試合で決めるようなことじゃねえよ。ペナントレースの一試合だぞ」

「それはそうかもしれないけど、あんたも意識してるでしょうに」

 野球チャンネルではそのCMとでも言うか、煽る番組が流されている。

 それを神宮のテレビで見ている大介も、確かに意識しているのだろうが。


 この数年、ネットの野球チャンネルは、かなりどのチャンネルも収益を上げてきている。

 こういった特番が組まれるぐらいには、注目されているのは間違いない。

 ただ関西であれば地元のテレビ局が、地上波で放送してくれる。

 それに対して関東のレックスは、本来ならネットチャンネルであるのだが。


 系列テレビ局で、急遽地上波放送も決まっていたりする。

 野球の方が普通の番組よりも、視聴率が取れると判断されてのことだろう。

 そしてそれは間違いない。


 神宮での練習を終えて、大介はロッカールームへ向かおうとする。

 するとマスコミに囲まれている樋口に遭遇した。

 直史と違って大介と樋口の関係は、国際試合におけるチームメイト。

 そしてプロの世界では熾烈な優勝争いをする、二強チームの中心選手となる。

「よう」

「ああ」

 声だけ掛け合ってそのまま素通りであるが、大介の方にもマスコミが付いてくる。

 質問をあまりされても、大介としては答えられるものではない。

 この対決は、言語化しにくいものであるのだ。




 試合を前にして、観客が神宮球場に集まってくる。

 それはもう予約の空席などはなく、当日券も瞬時に売り切れた。

 ロッカールームで直史は、軽く体を揺らしている。

 今日は最初から最後まで、集中を切らさない。

 樋口のサインの意図を、自分でも確認しながら投げる。

 一回の表から厄介な勝負が始まることは、当然ながら分かっている。


 選手たちがベンチ入りする。

 今日は基本的に、リリーフ陣の必要はないだろう。

 どう考えてもロースコアの試合になるし、直史が打たれたらそれで終わりと、チーム全体が認識している。

 18時から試合が開始。

 先攻は当然、ビジターであるライガースからとなる。


 この試合、ライガースは打順などを特にいじっていない。

 一番ショート白石、などという奇襲はしかけてきていないのだ。

 それはそれで面白かったかもしれないが。


 直史はマウンドに登るが、明らかに球場の様子がおかしい。

 大学時代から何度も経験してきたマウンドで、プロでも既に投げているが、地鳴りのようなざわめきが続き、それでいて大きな歓声は聞こえてこない。

(すごいプレッシャーだな)

 柳に風と受け流す直史だが、これは風ではなく、台風の暴風域のようなものではないのか。

 そのくせマウンドの自分の周りだけは、台風の目のように静寂を感じる。


 この空気は、甲子園に似ている。

 大介との対決はいずれくると分かっていたが、その最初は甲子園の方が良かったのではないか。

 神宮は自分にとっては思い出深いが、大介にとっては因縁は特にないだろう。


 直史はここまで、広島新市民球場、NAGOYANドーム、神奈川スタジアムと、相手のホームで投げてきた。

 東京ドームは学生時代に経験があるので、特に新鮮さはない。

 甲子園にしても高校時代に投げてきたので、特に感傷などは感じないはずなのだ。

 それでもあそこは、特別の場所だと思ってしまう。

 だが今は、神宮のマウンドの上。


 この日、日本全国の野球ファンは、どちらのチームのファンでなくとも、この試合から目が離せない。

 最強を決めるのは、まだずっと先のこと。

 アマチュアとプロとでは、前提条件が違うのだから。

 だがこの勝負は、まさに金を払って見る価値のある、世紀の一戦であることは間違いない。




「プレイボール!」

 今日の直史は、研ぎ澄まされている。

 練習の間から、一球一球に特別な意思を感じた。

 グラウンドの中のみならず、相手のベンチの中まで、樋口は感じている。

 そう、感覚だ。単純に伺うのではなく、感覚で捉えている。


 直史は完全にボールを投げるマシーンになっている。

 だがその精密さだけがマシーンであり、精密さを崩さないメンタルは、あくまでも生物のものだ。

 人間からは遠い。

 あるいは文明人からは遠いのだろうか。

 獲物を狙う肉食獣のように静かに。

 だがいざとなれば一瞬にした襲い掛かる。


 ライガースの先頭毛利は、とにかく三振の少ない選手だ。

 打率に比べると出塁率が高く、だからと言って下手に力押しをしたら、長打を打ってくることもある。

 それに対して直史は、カーブから入った。

 落差の大きなカーブを、毛利はまず見逃す。

 球筋を見ていくのは先頭打者の役目であるが、それは直史には通じない。

 高校時代に対戦はしているだろうが、あの頃と今を比べれば、毛利が成長している以上に、直史の方が成長している。


 プロの世界に揉まれて、食っていくために鍛錬を積み重ねてきた。

 それによって自分のスタイルを確立し、大舞台でも先頭打者として立つことが出来る。

 直史の野球に対する努力量は、毛利に比べたら確実に少ないはずだ。

 それなのに、大きく成長しているのは直史だ。


 不思議なやつだとは、樋口も思う。

 だがその不思議さの根底にあるのはなんなのか。

 樋口にさえも、それは分かっていない。

 案外セイバーなどは、分かっているのかもしれないが。




「効率性と合理性だけではないですね」

 貴賓席にオーナーに招かれて、セイバーは座っていた。

 ある意味GM以上に信頼されているのは、彼女が財界人として、また野球の経営者として残してきた経歴による。

「私は彼のピッチングを見ていると、まさに精巧なマシーンのように思えるのだがね」

 オーナーの言葉を、セイバーは否定はしない。

「今の段階の彼はそうでしょうね」

 直史が開幕からここまで、手を抜いていたとは言わない。

 だが今日の直史が違うのは、セイバーとしては見れば分かるのだ。


 大学時代にはほとんど見られなかった、本気の直史。

 いや、そう言うと語弊があるが、直史にとって本気というのは、文字通り命を賭けたものだ。

 魂を削りながら投げる。

 投げきったあとは倒れるような、そんなぎりぎりの勝負。

 それに応じたスペックを出すために、普段は純粋な100%の投球をしているのだ。


 意識して120%のピッチングが出来る。

 それが直史という人間だ。

「本気を出さずに、パーフェクトをしていたと?」

「もちろん本気ではあるでしょうが、本気にも色々と段階があるでしょう」

 目的のために本気を出すのと、命が賭かっているから本気を出すのでは、その本気度が違う。

 直史はそのあたりのメンタルをコントロールすることが出来る。


 直史のストレートや変化球、コントロールは確かに凄いが、人間離れしているわけではない。

 いや、人間離れしてはいるが、生物の限界を超えてはいない。

 だがコンビネーションの中でその三つを成立させるのは、まさに精密機械。

 異常な集中力があってこそなされるそれは、直史が野球だけではなく、勉強の方にも脳を使っていたから可能であったのかもしれない。




 一番バッター毛利にファールを打たせてカウントを追い込み、スルーを投げて三振にしとめた。

 直史はプロ入りしてからここまで、スルーをほとんど投げていない。

 だがこの試合は一番から、確実にアウトを取っていく。

 大介の前にランナーがいては、バッターだけに集中できない。


 二番の大江も打たせて取るコースで追い込み、そこからストレートを投げる。

 高めのストレートを捨てるべきだとは分かっているはずなのだが、それでもバッターにとっては、比較的打ちやすい球なのだ。

 内野フライに倒れてツーアウト。

 いよいよ大介の打席が回ってくる。


 ざわめきが潮合のように、球場を覆う。

 どちらが勝つのか、大介にしてからも、ネクストバッターサークルの中で体をひねっていた。

 その背中を押すような、ダースベイダーのテーマ。

 標準よりも長く重たいバットを持って、大介はバッターボックスに入る。


 長かったな。

 そうかな。

 長かったよ。


 直史と大介の視線が交差しあう。

 火花を散らすようなものではない、むしろ静けさを感じる間合い。

 だがこの時を、ずっと大介は期待していた。

 待っていたのではない。諦めて諦めようとして、諦め切れなかったのだ。


 ピッチャーとバッターの一対一の勝負。

 バックを信じて投げるとか、キャッチャーのリードに期待するとか、そういうことではない。

 ただひたすら、お互いの読み合いと、メンタルのぶつけ合いとなる。

 上杉と対戦するような、パワーとパワーのぶつけ合いとは異なる。

 お互いが真剣を持っていて、油断したほうが一瞬で斬られる。

 そんな緊迫感が、この二人の勝負の間にはあった。


 頷いた直史が、初球を投じる。

 大介はわずかに反応したが、バットを振らない。

 低目からさらに低めに伸びるスルー。

 これは当ててもスタンドまでは持っていけない。

 ゾーンからは外れた球で、珍しくも直史は、初球をボールから入ったのであった。


×××


 ※レビューをされる方へのお願い。

 第五部は冒頭からネタバレにはなっておりますが、レビューがそのまま四部などを読んでいる方へのネタバレになっている場合があります。そんな場合はネタバレ防止のチェックをしていただけるようお願いします。

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