《修行中の半亜人》:敵対者①

 「愚かな……愚か者!」


白を基調とした書斎室に男の怒号が木霊した。

大理石を削って作られた机の上にある木箱がそれに応えるかのように震えている。まるで生命いのちを宿しているかのようにリズミカルに動き続けている。

怒鳴り声を上げた純白の礼装に身を包んだ男が荒んだ気を鎮めるかのように窓に向き、夕日に照らされている町並みを見下ろす。

男はこの眺めが特に好きで毎日のように窓の前に立っては日々起き、そして起こりえる事柄に思考を巡らせていた。

怒気が引いていくのを感じ、男は再び口を開く。


「失礼。感情をこの年になってもまだ発露させるとは私も修業が足らないですね」


そういうと男は振り返り、室内にいるもう一人の男の元へ歩み寄る。

窓から差し込んでいる夕日では光源として心許ない。そのため壁には少し青色の混じった魔法的な灯りを宿すランタンが吊り下げられている。

その光の成分を加味してもまだ礼装服の男の前にいるローブを着た男の顔面は蒼白としていた。


「……誰ですか」

「……」

「どこの、誰が今回の騒動を引き起こしたのですか。それとも同胞の内に裏切り者が紛れているのですか」


直角に上半身を曲げ、それを今まで維持していた男が面を上げ答えた。

目は酷く充血し、口の端からは泡が見える。


「わ、我らの内に手引きした者などございません。全員が魔法の支配下や影響を受けていないと団長閣下からも報告がきています」


礼装の男がこめかみに青い静脈を怒張させるが、感情の制御に成功したのか次第に落ち着いていく。


「ですが、〈鍵〉が連れ去られたのは事実。そして〈鍵〉だけで一連の騒動を引き起こすことなど不可能です。誰かが脱出を手助けし、隠匿しているはずなのは火を見るよりも明らか。そんなことも分からないのですか」


重苦しい、タールのような空気が室内を満たし、男は更に身を低くくし、忠義を捧げる臣下となる。

頬や首筋を伝う大量の汗が服を次第に湿らせていく。


「ルーデル・イディス。お前の働きは十分だ、神が呼んでおられる。今ここで、地上の苦しみから解放し、神の御許へ行く事を許さん……逃げようとするなど、無粋」


身を翻し二歩進んだ所でルーデルと呼ばれた男の身体が不自然に硬直する。

紫色の輝きを手に宿した礼装の男がルーデルへと近づき、その肩に手を置いた。


「安心なさい。神はいる」


そして左手を振り上げ、必殺の速度でルーデルの首筋へ打ち下ろした。


「カルロス様、私の配下を殺すのはお止め下さい。それに彼が証言した内容は私自らが調査した内容です。大団長から遣わされている私を信用できないとは、仰られないでしょう」


確かに礼装姿の男はルーデルの首筋に手刀を叩き込んだはずである。

だが実際は首筋に触れるか触れないかの所で鉄をも易々と切り裂くであろう手刀が、か細い指によって受け止められたのだ。

しかも、カルロスがいくら力を込めてもその指は全く動かない。


「ファーレイ団長、邪魔をしないで頂きたい。これは神の裁きを代行している神聖なる行いですよ」


苦々しげな表情の男が手を擦りながら吐き捨てる。


「神自身が裁きを与えられます。それに、お忘れではないでしょう。私が大団長の命でカルロス様を監視する立場にあるのは。何やら怪しげな実験……聖祭を執り行なおうとしていることからして、あなたを野放しにするつもりはない」


純白の全身鎧に身を包み、十字の紋章が施されている白色のマントを羽織ったファーレイがルーデルを部屋の外に出るように命じた。

数秒前に命を落としかけたルーデルだがファーレイに一礼し、踵を返して退出する。


既に夕日は地平線の彼方へと消え、星々が大空で燦然と輝いている。

他文明と比べ、この要塞都市は著しい文化的・芸術的・技術的・軍事的な進歩を遂げてはいるが、中心部以外の街灯は大通りを除いて数えるほどしかない。

そのため未だに人々は月明りや星明りを重宝していた。

日が沈むと月が上り、淡い光が夜道を照らす。

だが、カルロスとファーレイが対峙している部屋は一層暗さを増し、まるでランタンが機能していないかのようだ。


「そろそろ、ご説明願えるか。カルロス様が暗部に命じて取り集めている品々、地下の監獄を何者かの手引によって脱獄した少女。私は人々を守護する聖騎士団の団長。公にできない事であるならば、私は大団長に報告する義務があります」

「話したくない、と答えたらどうなりますかな」


ファーレイが鞘に手をかけ、柄を握る。


「騎士の本文は人々を守護することでは」

「害悪を絶ち、正義を成す。それが私と、私の仲間たちに与えられている使命です。例えそれが教皇庁の上層にいるカルロス様であろうと例外ではありません」

「笑止。私が簡単に殺されるとでも」

「容易ではないでしょう。ですが、弛まぬ信念と綻ばぬ忠誠があれば、何事も不可能ではない」


要塞都市に限らず、世界中でその名を轟かせているファーレイの腕前は折り紙付きだ。吟遊詩人が語るファーレイの英雄譚には事欠かない。

しかし、教皇庁カストラ支部支部長を任されているカルロスの実力もまた本物だ。

物理的に空間が歪み始めランタンの灯りが屈折していく。

二人の間に流れる不穏な空気になりかけた途端、扉が叩かれる。


「……」

「……」


カルロスもファーレイも微動だにせず、扉を凝視する。

外にいたであろうルーデルの気配が消えたのをノックよりも先に知覚した二人ではあったが、ルーデルと入れ替わるようにして現れた強大な気配に身を硬くしていた。


「誰だ」


ようやく、カルロスが口を開き、扉を叩いた主に対して誰何すいかする。

しかし、返答はいくら待ってもなく、痺れを切らしたファーレイが扉の前に立ち、再び問う。


「聖騎士団や教皇庁の関係者ではないな! 何が目的かは知らないが、ここは許可のない者が断りもなしに入って良いとこ……」


ファーレイがまだ話している途中、耳を塞ぎたくなるような轟音と共に扉が蝶番ごと外れたかと思うと、カルロスが立っている真後ろの壁に突き刺さる。

扉と共に後方へ吹き飛ばされたファーレイであったが、すぐに起き上がると剣を引き抜き、臨戦態勢へ入る。


塵埃が舞い上がり、視界がまるで効かない。

しかし、そこに何かがいる。

姿かたちは分からない。だが、脅威であることは間違いない。


「失礼いたしました。ですが、古めかしい扉を交換する手間を省いて差し上げたのですから、文句は言われませんわよね」


それは、まるで緊張感のない声だった。

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