《修行中の半亜人》:少女②

 「優しくて、強い人に……なって」


何かが髪に触れる感触と共に、ティルは夢から覚めた。

いつもとは少し違う夢であった事に戸惑いつつ、目元をこする。


「さむ……くない」


いつもは足が凍り付くような気持ちで起きているにも関わらず、今朝はなぜかとても暖かい。

霞んでいる眼の焦点を無理やり合わせ、温もりの正体を探す。


「……ッ!」


半覚醒状態だったティルの思考が一気に覚醒する。

脳内の細胞という細胞が活性化し、まるでモンスターと戦闘しているかのようにアドレナリンが全身を駆け巡る。


「だ、だ、だれ!」


人が、生身の人間がティルのベッドで寝ているのだ。

そこでようやく、昨晩の出来事を思い出す。

あの後は心配や懸念よりも先に頭が限界を超えてしまい、そのままベッドに身を投げたのだ。

少女がどうするかなど考えている余裕などはなかった。


「温かい……けど、ダメだろ」


眠る少女をゆっくりと引き剥がしなんとかティルはベッドから抜け出した。

この小さなベッドの上で少女と添い寝したと考えると罪悪感が心の内で湧きおこるが、既に起きてしまった事はしょうがないと半ば諦める。


いつものように服を着替えている最中、昨晩朝食を買うことを忘れていたことを思い出したティルは途方に暮れる。


「この子をここに置いていく……いや、流石に置いていくのはマズいけど、一緒に来てもらうのも危ないし……」


シエラから聞いた教皇庁の裏の話。

昨日、訪れたルーデルという教皇庁の人物。

そして、ベッドの大半を占拠しながらもすやすやと寝息を立て、穏やかな表情で寝ている薄汚れた少女。昨夜見せていた酷く怯えた顔色の片鱗すら伺えない。


無垢な少女を追い回している大男たち。

今まで信じていた教皇庁の何かがティルの中で崩れ去り、疑惑が浮かぶ。


「教皇庁は何でこの女の子を探しているんだろう。あの怯え方は尋常じゃなかった……」


ティルが顔を曇らせていると、隣人が扉を勢いよく閉める音で少女が目を覚ます。

昨日は気づかなかったが青紫色の瞳に淡褐色の髪。

痩せているため肉付きのない頬ではあるが、すーっと通った鼻筋。

形のよい唇は乾燥のためひび割れている。


「おは…ようご……ざいます」

「ああ、おはようございます……!」


喋った。

昨日まで一言も発しなかった少女が今、この瞬間、目の前で人の言語で話したのだ。


「えーと、色々と聞きたいことがあり……」

「お腹が……空いた」


人間とは不思議なもので、ある脳が処理しきれるある一定のラインを過ぎると冷静な判断を下せるようになるのだ。


「……実は僕もなんだよね」


昨日あんなに食べたのにな、デザート美味しかったな、シエラさん大丈夫かな、など現実逃避気味な事を考えているうちに、どちらのとも分からないお腹の虫が鳴る。


「今、家に食べ物がなくて買いに行くんだけど、少しの間待てるかな」


皮袋に入っているコインの枚数を思い出し、二人分ぐらいならなんとか食料を買えるとティルは判断する。


うんともすんとも言わず、微動だにしない少女から了承を得たと勝手に解釈し、腰に剣を携えて歩き出そうとすると、手首の裾が引っ張られた。

ティルは無言で後ろを振り返り、この部屋にいるもう一人の人間に聞く。


「君が今どういう状況なのかは分からないけど、たぶん追われているんだよね。それなら外に出ないで、ここに一人で待っていた方がいいと思うよ」


昨日の教皇庁職員がまだここらにいるかもしれない。

もしかしたら、ティルの部屋にこの少女が隠れているかと思い、扉の外で見張っているかもしれないのだ。

だが、少女は首を横に振り、良いと言うまで離さないというばかりに、両手をティルの腕に絡ませる。


「無理なものは無理」


こちらを見上げる双眸。


「君のためでもあるんだよ」


どこからそんな力が出ているのか分からないが、次第に腕への締め付けがきつくなる。


「……分かった。つれてく」


ついに観念したティルは、少女を外へ連れていく事に決める。


「だけど、その前にその身体と服をどうにかしなくちゃ。僕が洗浄魔法を使ってあげるから身体は良いとしても、髪は水ですすいで汚れを落としてね。服は僕のを貸してあげる。それができないのなら、二人してここで飢えることになるからね」


少女はコクコクと頷き、ティルの腕を放した。


「そこでじっとしてて。魔法を見たことはあるのかな」


少女はただ首をかしげた。


「ただの洗浄魔法だから安心してね。〈水の霊よ、清き水霊をもって身体を清めよ〉」


意識を集中させるために少女の両肩に手を置き、ティルが魔法を詠唱する。

魔法を発動させるに決まって文脈はなく、一番大切なのはイメージとされている。

仮にティルが「清めよ」と言い魔法を使おうが、イメージさえあれば魔法が世界に具現化して現れるのだ。

魔法書に記されている詠唱文はあくまでも初心者が魔法を覚えやすいようにするためであり、完璧に習得したとするならば言葉を発さずとも魔法を発動することが可能となる。


詠唱は本式と略式があり、モンスターとの戦闘時には言葉の少ない略式が多用される。


「!」


水浴びをしているかのように、少女の顔部分以外を水が覆い、汚れを落としてゆく。

そして役割を終えた水は床へと落ち、染み一つ残さずに消えていった。


「髪は汲んでくる水で洗ってね。まだ魔法制御が覚束ないから、もし同じ魔法で顔を水が覆っちゃうと大変な事になるからね」


幸いな事に、ティルの住んでいる長屋からすぐの所に井戸があるのだ。

井戸水が冷たい時期ではあるが、それは我慢してもらうしかない。

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