1.死を経た管理人 -3-

「……」


一瞬の静寂。

倒れた私にのしかかって来たのは、真っ白い白髪を持ち、真っ赤な双眼をこちらに向けた少女だった。


「……どちら様?」


私は頭をフル回転させながら尋ねる。

眼前の彼女は能面のように無表情なその表情の口元を少しだけ釣り上げると、鏡越しに見慣れた嘲るような目付きを私にくれた。


「あの程度の尾行には気づけても、ここに僕が居たことに気づけないだなんて」


彼女は無機質な声色で言った。


「あら、ごめんなさい。感傷に浸っている最中だったもので…オフの日の私は慈悲深いの」


私は仕返しというわけではないが、少々意地になって返す。

自分で言うのも変なことだが、私の声色もまた、無機質なものだった。


「で、貴女は…?」

「名乗る必要はある?」

「ドッペルゲンガーなら殺しておかないと、私が殺されてしまう」


私がそういうと、彼女は無表情だった顔色にほんの少しだけ笑みが混ざった。


「ドッペルゲンガーじゃない」


彼女はそう、淡々というと、左手に握られた拳銃の引き金を引く。

消音器越しの銃声が響き、私の身体はビクッと一瞬、小さく跳ねた。


「!」

「これで身動きは取れない」

「……何が目当てなの…?」


丁度脊椎の辺りを撃ち抜かれた私は、急に体中の力が抜けたことを感じながら尋ねる。

流れ出ていく血の温さを背中に感じながら、薄っすら浮き出てきた額の汗が目に入った。


「死ぬのは慣れていない?」

「人生で一度きりしか無いので」


真顔で、不思議そうに言った彼女を睨みながら言った。

彼女は、この世界に来てから、違う…私が対峙した中でも最も人っぽさを感じない。

私は流れ出る血と汗に濡れながら、それでも双眼はしっかりと彼女の目に向けた。

もう、ここから無事に切り抜けようだなんて思ってはいないが……それでも、最期の瞬間を迎えるまでは何があるか分からない。


「ふむ……」


目の前の彼女は、私の事を見下ろしてから、ゆっくりと右目を瞑った。

それは、私が深く考え込むときの癖だった。


「何も知らない…?報告は本当だった…?」

「な…何の話?」

「いや、くだらない賭け事の話。分かった。僕の負けさ」


彼女は勝手に一人で悩みだし、勝手に解決して見せると、左手に持った拳銃の銃口を私の額に向ける。


私は、ゆっくりと向けられた銃口の穴の奥に微かに見えた銃弾の先端を目で追った。


「帰ったら、僕の奢りだ」


小さくか細い声。その直後に一瞬耳に届いたのは、引き金を引いた音だった。


 ・

 ・

 ・


「……目が醒めた?」


私は誰かの声で目を覚ます。

ゆっくりと目を開けて、直ぐに飛び起きた。


周囲を見回すと、ここは幾度となく訪れた展望台の上。

赤いペンキで塗られた木造の建物に、大海原が見える以外は木々が生い茂って、枝が中まで入り込んでいた。


そして、大海原の見える一角に見えた人影。

火のついた煙草を咥えて、見飽きることのない景色に背を向けた人。

真っ白な髪に、真っ赤な瞳を持った少女が、私をじっと見ていた。


飛び起きた私は、そこでようやく何があったのかを思い出す。

普段は滅多に変えない顔色を困惑の表情に染めて、何もしてこない少女の方を注視しながら、身体のあちこちを手で触った。


撃ち抜かれた腹部に、額。

血も出ておらず、傷跡は無いらしい。


「本当に知らないみたい。貴女はもう死にたくても死ねないよ」


少女はそう言って煙草を口から離す。

ゆったりとした動きで灰を落として、私の事をずっと見据えた。


「……どういうこと?」

「貴女、ポテンシャルキーパーでしょ?」

「え…?」


私は得体のしれない存在である彼女を前にして、困惑しっぱなしだ。

この2か月で、レコードから逸脱した人間は多く見てきて…レコードから外れてしまった人間の気配ですら感じ取れるようになったのに、彼女はそんなことを一切感じさせなかった。


ただ…どんな世界からも切り離されているような気がして…


「なるほど…分かった…これ以上困惑させても悪いもの…」


少女はそう言ってわずかに口角を上げると、煙草を咥えなおして…羽織っていた黒いサマージャケットのポケットから青い本を取り出す。

それは…昌宗が持つ…赤い本…アカシックレコードとデザインが全く同じ本だった。


「アカシック…レコード?」

「そう。僕はパラレルキーパー…君とは別部署に居るような者。どんな存在かは…次の機会に説明するとして…今は君の問題を解決するためにここに来た」


彼女はそういうと、煙草を吐き捨てて靴でもみ消す。


「私の問題?」

「そう、君の問題だ。レコードを持たないポテンシャルキーパーなんて、この世には君しかいない」


彼女はそういうと、青い本を開いた。


「この世界がこんなにも危機に瀕しているというのに、働かない人間がいると聞いてきてみれば、その正体がまさか僕だったとはね。驚きだった」


彼女はそう言って、適当に開いたページを見せてくれる。

そのページは、真っ赤な文字で埋め尽くされていた。

真っ赤な文字で書かれた人の名前で、隅から隅までがびっしりと…


私はそれを見て少しだけ顔を顰める。

本を持った少女は顔色一つ変えず、私の反応をじっと見つめると、小さくため息を付いて本を仕舞いこんだ。


「待って、この文字は全世界の人間でしょう?この世界に居る、レコードを違反した人間の名前であって、私が手の届く範囲じゃ…」

「この近辺だ。その様子じゃ、レコード違反者の存在を感じ取る感覚も鈍いらしい」


彼女は淡々とそういうと、頭に手を当てて首を左右に振って見せた。


「いい?これまでの前提知識は全て無くして話をしよう…場所を変えて…」

「場所を変えて?一体どこに…?」

「君の家。この町にあったんでしょ?」


彼女はそう言って足を一歩踏み出した。


「待って。それは死ぬ前の話…」

「そう。だけど、この世界のあの家の人は、もう"処置"した後だから、空き家だよ」


彼女はそう言って私を撃ち抜いた拳銃を取り出して顔の横まで持ち上げた。

私は彼女の言葉を飲み込んで、何も言わずに後を付いていく。


それから、獣道を下って行き…トンネル脇に止めた車の所に出るまで、会話は無かった。


「すぐそこだけど、乗っていこう」


目的地の家は歩いてすぐの場所だったが、車をここに放置するのも気が引けた。

私は前を歩く少女を呼び止めて、車の運転席側のドアに手をかけた。


「そういえば、貴女は何故この車に?」


同じ顔を持った2人の女が車に収まる。


「上司の乗ってた車の後継車。それだけの理由」


私はそう答えると、キーシリンダーに鍵を挿し込んで手首を捻った。

直ぐにエンジンは目を覚まし、私はギアをローに入れて車を静かに発進させる。


歩いても数分とかからない家まで、車で行くと物凄くあっという間だった。

1台分しか通れない小道に車の鼻先を突っ込ませていき、ゆっくりと小道を走らせていく。

その小道の途中にある、比較的大きな一軒家。

記憶にある家と寸分も変わらないそれを見て、私は一瞬目を見開いた。


その家の脇。

車が縦に2台は置けそうな庭に車を入れる。

既にもう一台…今朝から私のことを付けていた黒いフェアレディZが奥に止まっていて…私はその車の後ろに車を止めた。


「貴女は何故あの車に?」


エンジンを切った私は、降り際に少女に尋ねる。


「上司の乗ってた車の後継車。それだけの理由」


彼女は先ほどの私の声色を真似してそう言った。


車から降りた私達は、直ぐに家の中に入っていく。

玄関で靴を脱いで…向かう先は居間…ではなく2階。

急な階段を上がって、廊下を通って開けた扉の向こう側。

一人で過ごすには丁度よい、正方形の部屋。


「……」


私は部屋の様子を見て、少々首を傾げる。

部屋に置かれていたベッドも、机も、タンスも棚も…何もかもが、私が死ぬ前の世界で過ごしていた部屋に置かれていたの物と全く同一だったからだ。


「この家は、本当に私の知り合い…親戚の家じゃなかったの?」


私は少女に尋ねる。


「ああ。キミには関係の無い人間が住んでた家だ」


彼女はそう言って、ベッドの下から大きな金属製のケースを取り出して、机に置いた。

私は、彼女が取り出したケースを見て息を呑む。


「この部屋に関しては、君の生きていた当時を再現した。レコードを使って…職権乱用だけど、別の世界に影響が及ばなければ、どうでもいいこと」


彼女はそう言って、机の上に置いたケースを開ける。

彼女の横に立った私は、開いたケースの中を見た。


「……これもレコードを使って?」


私は中に入っていた物を見て、言った。

私が左手に持つ拳銃は家に置いてきていたからだ。


「そう。しかし、僕と微妙に違うのが面白い…」


彼女はケースの中に入っていた拳銃を手に取って呟くと、直ぐにケースに戻した。


「さて…本題に入ろう…」


彼女はそう言って、学習机とセットになっている椅子に腰かけた。

私はベッドに腰かけて彼女の方に視線を向ける。


「と、言っても。何処から言えばいいのやら…ああ、そうだ…僕の事をまだ何も言ってなかった」

「……何処か別の世界に居る…いや、レコードを持って居るということは"居た"私でしょう?」

「ああ、君の生きた時代の"1周前"の世界を生きてたんだ。僕は君のいた"6軸"の世界の"1周目"を生きていた」


私は目の前の私がサラリと言ったことを受け入れるのに一瞬、動きが止まった。

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