第3話 誰が、誰に?

日本語でも英語でも、人と人が関わる状況を描写するなら必ず出てくる表現。


使役表現。誰かが、誰かに、何かを、「させる」という表現。


これがねぇ…何でだろう、めちゃくちゃになってるのをよく見かけるんですよ。


たとえば、「籠絡」。そもそもこの言葉の意味自体を取り違えているような例もあるけど、とりあえずそれはおいといて。最近読んだ中に、こんな感じの表現があったっけな。


「私が彼を籠絡させてみせる」


さて、「籠絡」とは?広辞苑によると、「巧みに言いくるめて人を自由にあやつること。」とあります。ではこれを「籠絡」と置き換えてみましょう。


「私が彼を巧みに言いくるめて自由にあやつらせてみせる」


あれ?3人目の「誰かさん」が出てきてしまいました。「私が、彼に、誰かさんを、籠絡させてみせる」ってことになっちゃってるんですね。でもきっと、元の文章はこういうつもりだったんでしょう。


「私が彼を巧みに言いくるめて自由にあやつってみせる」


だから、この意味を正しく示すには


「私が彼を籠絡してみせる」


なんですね。少なくとも、人物感の関係性を示す表現としては。


もっとも、たぶんですけど、元の文章の「私」は、彼を意のままにあやつりたいんじゃなくて、彼の気持ちを自分に向けさせたかったんでしょうねぇ…まぁ、「籠絡」の範疇に入るっちゃ入るのかな?とは思いますが。個人的には「籠絡」にあまり色っぽいニュアンスは感じないんですけど。


あ、「説得」も同じ構造です。これまたよく見てもにょもにょしてます。

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