第39話

 代官蛙。


 2メートルを超える体躯を持った、大型の水生魔獣である。強靭な舌で獲物を水中に引きずり込む事が多く、基本的には水面に姿を現さない。


 その際どういう理屈か、衣服の類いは何故か全て溶かされてしまう。


 重装備の場合は水中に引き込まれれば最期、自力での脱出はほぼ不可能となり、軽装者が運良く水面に逃れたとしても、裸体に近い姿での逃走は、ある種の勇気が必要となる。


 その一瞬の気の迷いが致命傷となり、再び水中に引きずり込まれる事も少なくない。


 なかなかに厄介な魔獣であった。


「瞳子、一旦姿を隠せっ!」


 神木公平が佐敷瞳子を庇うように、彼女の前に立ち構える。


 しかし佐敷瞳子が何かの行動に出る前に、辺りにターーンと大きな音が鳴り響いた。


 リーラが大地を踏み抜いた音である。


「この服は、かなりの高級品だったアル。その代償は生命で以って償うと良いネ」


 そのときリーラの全身から、陽炎のようなオーラがゆらゆらと吹き上がる。それから左手を開いて、黒猫の方に向けた。


「オモクロっ!」


 その瞬間、赤色に輝く円形の魔法陣が、オモクロの眼前に出現する。するとその黒猫は、無造作に魔法陣に飛び込んだ。


 その圧倒的な光景に、神木公平も佐敷瞳子もただ呆然と目を見張る。


 魔法陣の裏から飛び出した黒猫は、毛並みの逆立つ2メートル程の巨体に膨れ上がっていた。金色の眼は鋭く吊り上がり、鋭利な2本の牙がその存在感を増す。そしてお尻には、二又に別れた長い尻尾が生えていた。


 同時に代官蛙の舌が、再びリーラに襲いかかる。


 オモクロは透かさず代官蛙の舌に噛み付くと、首を捻って一本釣りの要領でその巨体を釣り上げた。


 凄まじい水飛沫をあげて、代官蛙が空中に投げ出される。


 同時にオモクロは、尻尾の先で錬成していた青白い鬼火を2発まとめて撃ち放った。


 鬼火はまるで吸い込まれるように代官蛙に着弾し、青の豪炎が噴き上がる。そして一瞬の後には、鬼火とともに代官蛙の姿が消失した。


 神木公平は唖然と空を見上げていた。そしてふと気が付くと、リーラが何やら勝ち誇ったような表情でコチラを見ている。その足元には、元の姿に戻った黒猫の姿もある。


 オモクロ先輩、半端ないッス!


 同じ様に呆気にとられていた佐敷瞳子がハッと我に返ると、目の前には深々と頭を下げる神木公平の礼儀正しい姿があった。


   ~~~


「クコヨシノ…」


 佐敷瞳子が囁くように呟くと、沼地の向こう岸にタグの表示がピコンと跳ねた。


「有り…ます。向こう岸、です」


「本当アルか? 本当に残ってるアルか?」


 向こう岸を指差す佐敷瞳子の両肩を掴んで、興奮したようにリーラが質問を繰り返す。


「は…はい、確かに…残ってます」


 その返答を聞いて、リーラはおもむろに丸眼鏡を外すと、「くー」と声を漏らしながら目元を手拭いで押さえた。


 その瞬間、佐敷瞳子の視界の上方に黄色いタグがピンと跳ねる。


 誘われるように顔を上げると、巨大な鳥の影が上空からコチラを見下ろしていた。

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