5 水圧

 メグリはその日から口を利かなくなった。

 アンコは徐々に、高飛車な印象を崩していった。


 オトナがヤケ酒を呷るように、彼女は大量買いを繰り返すようになった。買うものはなんでもいい。ともかく必要以上に買って来るのだ。


 なんに役立つのかメグリの目ではわからないものが多数。

 大抵掃除もしないで海に捨てるくせに、掃除の便利グッズだったり。重複した化粧品だったり。調理道具。もしもの時の工具、災害用のあれこれ。


 いわゆる安物買いの銭失いだった。

 学費や塾の費用に困るほどの大量買いは、買い物依存症と言って差し支えなかった。


 そのうち、不用品で深海の部屋が溢れた。

 レパートリーが尽きてくる頃、食料品を買い溜めし始めた。食べ切れず腐らせて捨てていた。


 メグリは、アンコの行動すべてを傍観していた。

 メグリ自身はアンコが買って来る物のなかから勝手に食べた。そうする他なかった。

 まだ、この深海にぽつりと孤立した家に監禁されていたのだから。


 食品が腐る臭いにほとほと困ったアンコは、やがて清潔さにこだわりだした。潔癖が目立ってきたのだ。


 購入した物はすべて消毒して、軒並み冷凍庫に放り込んだ。『収穫』した男の人まで冷凍庫に入れようとしたのでそれはさすがにメグリがとめた。

 アンコは執拗に手洗いを繰り返し、室内にチリ一つ落ちてはならないという強迫観念に囚われた。


 大量購入のほうは、消毒が面倒という理由でやんだが、食べ物だけは常に補充されていないとメンタルが不安定になった。


 買い物依存症から潔癖症にシフトしたわけだが、実はそれも一週間ほどで終わった。

 メグリが消毒にまったく協力しなかったため、諦めたらしかった。


 その代わり、夜が眠れなくなったようだ。メグリの隣で何度も寝返りを打ち、朝まで一睡もしない日もあったらしい。


 その状態になって一か月、鎮静剤を常用するようになった。そうすれば、眠れる。彼女の不眠は解消された、かに見えた。


 アンコは薬の副作用か、過食気味になった。過食して薬を飲んで、寝る。

 常に眠気と同時に吐き気に襲われる。眠たくて横になるが、胃の中の食べ物がせりあがってきて眠れない。

 夜中に何度もえずき、トイレに這っていった。


 布団の上で横座りをし、頭を前後に揺れ動かすアンコ。

 吐き気と眠気と、吐き気と眠気と、吐き気と眠気と……。

 見えない誰かに会釈をし続けているようで不気味だった。


 その異様な気配を感じながらメグリは無視していた。




 一週間が経った頃、不意に思い立って、メグリは夜中アンコの様子を見に行った。

 彼女は、トイレの便器を前に俯いていた。


 メグリが背後に立ったことに気づいたらしい、話し出した。


「……あのね、吐きたいけど、こわい。吐きだことかできたり、肌が荒れたり、ガリガリになったりするんでしょ? それこわい。でも、太りたくない、やだ。でもこわい。吐くのこわいよぉ。太るのもやだぁ」


「……浮き袋吐くかもしんないね」


 メグリが脅かすと、アンコは無邪気に訊いた。


「やっば、タミちゃん、ウチを愛しちゃったの?」


 メグリが無反応でいると、アンコは薄く微笑んだ。


「圧って必要っしょ。水圧とか気圧とか、あとは期待とか責任とか。無重力だと生きてけない」


「……うん」


「ウチさぁ、たぶん、ヒトよりたくさん圧がいるんだよね。たくさんたくさん期待されたい。

 そしたら、大勢のヒトと親密にならなきゃでしょ? でもそんなこと続けてたら『軽い女』になっちゃった」


 哀れみも愛に数えるなら、彼女の「愛しちゃったの?」という問いを否定できないかもしれなかった。


 そうまでして、強迫観念に襲われ続けてまで、完全な深海魚にも完全な人間にもなりたがらない。

 よりどころを頑なに持ちたがらない少女の弱さに同情してしまった。


「私、国光さんを愛してる、みたいだね」


 自分の口から零れ出た言葉が、妙な信憑性を持っていた。

 普通なら上滑りしてしまいそうなクサい言葉が、メグリの心底に根を張った。


 アンコは「そう」と興味がないように答えてから、もう一度「そう」と今度は喜色を含ませて振り向いた。


 翌日、アンコは「浮き袋できたついでに胃もたれー」と報告してきた。





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