犬も喰わぬというヤツで

ヒュンっ!

   パシィィーーン!!

「うわあぁぁ〜っ!」


ホテルの一室で鋭く空気を切り裂く音と、悲鳴が響き渡ったのは、酔っぱらって倒れたイーサンをノーランマークの部屋へと運び込んだすぐ後だった。



「止めろ!ラム!落ち着け!」


部屋では今まさに、猛獣の調教真っ最中。

ラムランサンの手には彼の得意な一本鞭が握られ、逃げ惑うノーランマークの足元や縋る壁を二発三発と舐めるような鞭が唸りを上げていた。


「これはどう言う事なのだ?!なんで留守番をしているはずのお前がここに居る!」


わざと外された一発がカーテンを裂く。


「待て!話を聞けラム!」


次は高価そうな壺がノーランマークのすぐ脇で砕け散った。


「ヒっ!だから落ち着いてオレの話を聞いてくれっ!」


顔は青ざめても流石泥棒のノーランマーク。逃げ足だけは早かった。

だが一瞬の隙をついて今度は正確に放たれた鞭がノーランマークの足首を攫って引き倒したのだ。

ノーランマークは情けなくもラムランサンの足元へと転がった。


ああ…初めてラムランサンに出会った時もこんな風だった。


ホテルの彼の部屋に忍び込み、同じように鞭に打たれて足元に転がされた時の事がノーランマークの脳裏を掠めたのだ。

こんな危機的状況にも関わらず、ノーランマークは懐かしさに思わず笑いが込み上げた。


「…ふふっ」

「何でそこで笑うのだ!私を馬鹿にしてるのか?!」


自分はこんなに腹を立てているのに笑われて、仁王立ちのラムランサンは不機嫌を露わに腕組みをしてノーランマークを見下ろした。


「いいや違う違う!懐かしいと思ったんだよ。よくよくお前とオレとはトムとジェリーのようだと思ってさ。オレが逃げてお前が捕まえる。こう言うのも運命の相手ってヤツなのかなと思って嬉しくなっただけさ」


青筋を立てていたラムランサンの表情が一瞬怯んだその隙に、ノーランマークは鞭を引っ張りラムランサンを己の元へと引き寄せた。


「ごめん。オレが悪かったよラム。お利口さんに留守番しようと思ってたんだぜ?でも直ぐにお前が恋しくなっちゃったんだよ」


ラムンサンを恋しくはあったが半分は真っ赤な嘘だ。

別に追って来たわけではない。


「嘘をつけ!だって行く先は私とロンバード以外知る者はいない筈…っ、」


語気が弱くなったと見るやノーランマークは最後に鞭を己の方へと強く引っぱた。

体制を崩したラムランサンはうっかり床に座るノーランマークの腕の中へと転がって来た。


「オレを誰だと思ってるんだ?そのくらいの情報知るなんて朝飯前だ」

「く…っ、は、放せっ…!」


こんな風に懐柔して来るノーランマークは狡いヤツだと思う。

そう思いながら、甘さを含むその囁きやその体温。安心感のあるノーランマークの匂いに絆される。


「だ、だからと言って許したわけではないぞ!だいたいあの女どもはいったい何なんだ!」

「…女ども?」


そう言えばイーサンを運ぶ途中、プライベートジェットに乗せてくれたダイアナにウィンクをされ、イヤリングをスリ盗った女からは、すれ違いざま「貴方って優しいのね」などと囁かれたのだった。

そこでノーランマークはピンと来た。


「あーあ、なるほど。それでヤキモチを妬いたのか」

「だ…っ!誰がヤキモチなど妬くものか!放せバカ!」


図星をつかれたラムランサンはどっと耳まで赤く染まり、さっきの殺気も勢いも何処へやら、ノーランマークの腕から逃れようともがいていた。

こうなると俄然楽しくなってしまうのがノーランマークの性癖と言っても差し支えはないだろう。

暴れる獲物は手の内の中とばかりに仕留めにかかる。


「放すものか!せっかく砂漠を越えてこうして会えたんじゃないか。ロマンチックだと思わないか?

ははっ!それにしても君、魅惑的な衣装を着てるんだね。

月の砂漠の王子様みたいだ。

鞭で遊ぶよりもっと楽しいことをしないか?ラム」


そう囁きながらノーランマークはラムランサンの手から鞭を取り上げすかさずその可愛い唇に口付けた。

しっとりと熱いノーランマークの唇に押し包まれると自然と舌が惹かれ合い、気持ちと一緒に縺れて絡んで吸われて痺れる。

恍惚という名の甘い誘惑に、ラムンサンはとうとう捕まった。





「ロンバードさん、隣静かになりましたね」

「そのようですねえ」


隣の続き部屋ではロンバードが酔い覚ましの熱いカモミールティーをクッションに沈むイーサンに振る舞っている所だった。

まだ赤い顔のイーサンが、熱そうに紅茶を啜る。


「止めに行かなくて良かったんですか?」

「まあ、あれはあの方達にはリクレーションのようなものですから」


ノーランマークがラムランサンに鞭でしばかれるのは今に始まった事ではない。

ロンバードは至って冷静だった。


「それより具合はどうですか?イーサン。

貴方はお酒が強くないのですからもっと自重しなくてはいけません」

「はぁい」


反省しているやらしていないやら、カップを手にしながら間抜けだ返答をイーサンは返した。

「それより」といそいそとロンバードは丸いクッキー缶を出してイーサンに見せた。


「貴方の好きなウォーカーのショートブレッドがありますよ?いかがですか?」

「本当?わぁい、頂きます!」


隣の部屋とは大違い。

此方はまるで縁側のじいさんと孫のような至ってのんびりした空間だった。




その隣の部屋はと言うと、床には壊れた壺や千切れたカーテン、それに混じって脱ぎ散らかされた服がクシャクシャになって散乱していた。

奥のベッドでは二人重なるように寝そべりながら、愉しい運動会の後のまったりとした時間を貪っていた。


「ねえ、ノーランマーク。本当は何の目的でヤバイなんかに来たのだ」


ラムランサンはノーランマークの広い裸の胸板に顎を乗せ、その胸を指先で悪戯しながら上目遣いに尋ねた。


「お前こそ、何でヤバイなんだ?誰に呼ばれた」

「私の仕事を手伝うなら教えてやると言った筈だ。

ここまで来て流石に嫌だとは言わないだろう?」


ラムンサンは強請るような眼つきでノーランマークを見つめた。


「さあ、どうしようかな?」


わざと勿体ぶるノーランマークはシーツに散らばる長いラムンサンの黒髪を弄びながらじっとその瞳の奥を覗き込む。

強気な漆黒の瞳の中に紫色の小さな焔が揺らめくようだ。

ノーランマークはこの物言いたげな瞳に滅法弱いのだ。


「チッ!分かった、分かったよ。手伝うから教えろ。

…だけど…」

「だけど…なんだ?」

「それはもう一戦交えた後で…、だ」


ノーランマークは悪戯な笑みを浮かべながら、二人は今日、何度目かの熱い口付けを交わしていた。


今宵のヤバイの月は天上高くあり、その姿はまだ消える兆しは見せない。











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