第4話 ~ The other half of Me ~

遥か昔、人間の恋人同士は一つの完全な球体の様に、完璧な組み合わせの一対であった。

人間があまりにも完璧な愛だった故に、幾度となく結婚と離婚を繰り返した神であるゼウスは、その嫉妬心から全ての恋人同士を二つに切り裂き、それぞれを世界へと散らばせた。

以来、人は、もう片方の完全なる相手を求めて探し彷徨い続けている。




 プラトンの「人間球体説」によれば、人は自分の理想的な相手像を運命の相手として生まれ持って心に刻まれており、この世界の何処かにいる運命の相手、自分の半球体を探し求めているらしい。


 「彼女は、まさに僕の半球体だと思う」


 街路樹に新緑の葉が映え、ジャケット一枚で過ごせる気候になった頃、来月結婚を決めた友人の石川将人は、眺めの良いテラス席で沈む夕陽を見つめながら、無数の水滴がしたたるグラスジョッキのビールを一口飲むと、そんな話を自分に語った。


 「将人の言う、その半球体ってなに?」

 将人はビールを一気に飲み干すと、一呼吸し、唐突に質問に対して質問をしてきた。

 「結婚する相手に求めるものって、どんな条件?」

 「なんだろう?気が合う相性とか、趣味が一緒とか、笑いのツボが同じとか?そういうのじゃないかな。趣味が一緒だったら、長い結婚生活を共に楽しめるとか」

 「まあ、普通はそう考えるよね」そういうと、将人は追加注文したビールを再び飲み始めた。

 「それ以外に何かあるってこと?」腑に落ちず、将人に聞き返す。

 「それも全部ひっくるめて、運命の相手」

 将人は、並々と注いであったビールをグラス半分くらいまで飲むと、手に持ったグラスの泡立つビールを眺めながら、そう答えた。

 「結婚しようと思うから、それが必然的に運命の相手ってことになるんじゃないの?」自分もグラスに残っていたビールを一気に飲み干すと、そう言って二杯目のビールを注文した。

 将人がニヤリと笑い「出逢ったのさ、自分の片割れ。半球体の彼女に」

 そう言うと持っていたグラスを再び口元に運び、ビールをグイッと美味そうに飲んで、グラスをテーブルに戻すと、将人は話を続けた。

 「彼女に初めて会った時、電撃が走ったんだ。彼女を見た瞬間、すべての周りの景色がふっとんだよ。自分の細胞レベルで、遺伝子として彼女を必要としているのが身体から知らせてきたんだ」

 彼は、その出会った彼女に一目惚れだったらしい。ただ、その出会った時の彼女には、想っていた人がいたらしいが、それでも将人は諦めずに果敢に彼女にアタックし、そして彼女を振り向かせたということだ。

 なんとも事業家の彼らしい、やり方だなって思った。何かしらの目標や、手に入れたいと一度決めたら諦めずに、どんなに時間をかけようと彼は目標を達成しようと努力する。


 「だから、決めたんだ。彼女以外、結婚相手は考えられないよ」


 そう言うと、将人は手に持ったグラスを夕陽にかざした。

夕陽が差し込むビールは黄金色に輝き、グラスについた水滴がキラキラと光りを放つ。そして、将人は何も言わずに黙ってそのビールを一気に体内に入れて飲み干した。



 あれから直ぐに、将人は意中の人と結婚をした。結婚式で彼は“次はお前が決めろよ”と言っていた。自分の恋人、つまり洋子との結婚を言っているのだろう。


 “自分は洋子と、これからどうしたいんだろう・・・・”

 

 雲一つない青く澄み切った空の下で、金色に彩る銀杏の街路樹が、どこまでも真っすぐに並んでいる。その通りに面した数々のショップのウィンドウには、鮮やかな銀杏の葉が映り込んでいる。

 その鮮やかに銀杏の葉が写りこんでいるジュエリーショップのウィンドウの前で立ち止まった。そして、ウィンドウの中で一番手前に飾られているダイヤの指輪を眺めながら、友人がビールを飲みながら語っていた「人間球体説」の話を思い出していた。


 “彼女は僕の半球体なのだろうか?”


 記憶の中にある彼女を思い出してみる。先ずは、洋子の顔を思い出してみる、すると彼女の顔が浮かび上がるが、ぼんやりとして鮮明ではない。“声、洋子の声って、どんな声だっただろうか?”聞きなれている恋人の声が思い出せない。運命の相手は、心に刻まれているのであれば、彼女のことは、いつでも鮮明に思い出すことができるのではないだろうか。でも、今思い出そうとしても、彼女の顔の細部や声は、霧がかかった様にぼんやとりしていて、思い出すことが出来ない。


 “彼女は、一体どんな人だっただろうか?”


 洋子は、自分よりもはっきりと意見を主張するので、それが火種で何度も喧嘩をしたことがあった。食べ物の好みも少し違う。自分は甘い物が好きだが、彼女はあまり好んで食べる方ではない。自分は読書を好むが、彼女が本を読むところをあまり見たことがない。


 “自分とは、異なるところが多いかも?”


 もしかして、彼女は、自分の半球体ではないのか?そんな言葉が頭をよぎった。

 そんなことを考えながらジュエリーショップのウィンドウの中の指輪を眺めていると、幾つか並んでいる指輪の中で、一際キラキラと輝きを放つダイヤの指輪が目に留まった。


 この後の約束の予定時刻まで、まだ余裕があるのを腕時計で確認すると、ジュエリーショップを後にして通り沿いのカフェへ行くことにした。

 カフェに到着すると早々店内のカウンターで注文を済ませ、先ほどの街路樹が見える窓際席に座り、イヤフォンを耳に入れ、お気に入りの一曲を選んだ。


 “そういえば・・・・”


 彼女と一緒にドライブへ行く時に流す音楽は、自分好みのお気に入りの曲ばかりを車内で聞き流しているのにも関わらず、彼女はいつも嫌な顔一つせず助手席に座っていたことを思い出した。

 “そうだ、彼女は、いつも自分の好みに合わせてくれている”

 音楽だけじゃない。自分が遊びに行きたいところ、その時の気分で食べに行きたいレストラン、彼女は誰よりも自分の好みを理解してくれている。そんな彼女に、「自分の好きなリクエスト出してもいいんだよ」と言うが、彼女は「健一の好きなことは、私の好きなことでもあるから。だからいいの」と言って一緒に楽しんでくれた。

 “そっか、だから、彼女といると自分は自然体でいられる”

 そんなことを考えながら、ぼんやりとカフェから見える外の景色を眺めていた。


 鮮やかな黄色の街路樹と青く澄み切った空のコントラストがとても綺麗で、そんな風景を見ていたら、ふと彼女と色々なところへ行ったことを思い出した。


 “そういえば・・・・”


 インドア派の彼女は、外へ出かけるのがあまり好きじゃない。そんな彼女だから、どちらかというとアウトドア派の自分に半ば強引に引っ張られる様に色々なところへ連れて行かれた。そして、彼女と一緒に感動する綺麗な景色を沢山見て来た。いつも嫌な顔せず文句も言わずに、ついて来てくれる彼女が側にいた。自分が楽しければ、私も楽しいよって、よく言ってくれた。彼女は、いつも自分の楽しみを優先してくれている。


 「ご注文の品は、こちらでしょうか?」注文していたスイーツを店員が運んできてくれた。

 「はい、そうです」と答えると、店員はテーブルにスーツの皿と伝票を置いて厨房の方へ戻って行った。運ばれてきたスーツを見て、思い出したことがあった。


 “そういえば・・・・”


 カフェでスイーツを選ぶとき、どちらのスイーツも食べたいけど、それぞれボリュームありすぎて二つも食べることが出来ずに迷っていた時、彼女が自分の気に入ったスイーツ二つをオーダーしシェアすることを提案してくれた。甘い物をあまり好んで食べない彼女は、それでもスイーツを笑顔で一緒に美味しいね、って言いながら笑顔で食べてくれたな。


 “そういえば・・・・”


 仕事で躓いていた時、彼女は自分の話をよく聞いてくれた。そして、その躓いていた原因となる問題解決を的確に助言してくれて、幾度も気持ちが救われた。そんな時の彼女は、凛とした瞳で真っすぐこちらを見つめ、柔らかく包み込んでくれる温かみのあるトーンの声で、いつも自分の味方でいてくれていた。


 そんな色々な彼女の事を思い出しているとあっという間に時間が過ぎていく。ふと腕時計の時刻を確かめると、もう間もなくで約束の待ち合わせ時刻だった。ここからだと少しばかり待ち合わせ場所まで歩かなければならない。

 “急いでここを立ち去り、直ぐにでも約束の待ち合わせ場所に向かわなければ”

 できれば、待ち合わせ時刻よりも早く着いていたい。

 会計を済ませ、慌ててカフェを後にした。


 待ち合わさせ場所には、約束の時刻よりも少しばかり早く着いた。

 彼女のことを再び思い出す。

 もし、これから一緒に時を過ごす人を選ぶなら、彼女以外は考えられない。

 初めてのデートで待ち合わせした時、彼女が笑顔でやって来たことを思い出した。その時の彼女は、とても輝いていて綺麗だった。

 何か辛いことがあっても、彼女が側にいてくれたら乗り越えられる。

 

 ”これからの時を一緒に刻む相手は、彼女しかない。彼女は、まさしく僕の半球体だ。



 夕暮れの時刻、行き交う人が多い待ち合わせ場所で、遠く向こうから歩いて来るその人が、彼女だということが自分には直ぐにわかる。近づいて来る彼女を待ちながら、ジャケットの右ポケットに入れた小さな四角い箱を握りしめ、彼女に告げる言葉を何回も頭の中で繰り返した。


 “僕と結婚してください”


 完全な球体にしてくれる探し続けた運命の相手が、今、目の前にやってくる。

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