エデンに堕つ
やひろ
相田宗介編
相田宗介編 #001
降下中のエレベータは、カラカラとワイヤが擦れ合う小さな音を立てながら、わずかに振動している。何もしないには手持ち無沙汰だが、何かをするにはその時間はあまりにも短い。相田宗介(あいだそうすけ)は、深く息を吸い込み、胸のうちの澱を少し循環させた。
まだ息を吐き切らないうちに一階に到着し、薄暗い石造りのロビーに出た。午後十時を回っている会社ビルのロビーは、いつも立っている警備員もいなくて、その暗さもあいまって、倍ぐらいの広さの伽藍堂に見える。
歩きながら、ポケットからiPhoneを取り出し、機内モードを解除する。一秒だけ間があったのち、アンテナのマークの隣に棒が数本立ち、画面は大樹のマークの『エデン』のメッセージポップアップで満たされた。浮かびあがってきたそのひとつひとつを右にスライドして、消していく。緊急のものはなさそうだったので、電車でゆっくり読むことにした。
自動ドアをくぐって、歩道に出ると、雨が少しぱらついているのがわかった。宗介はカバンを開けて、折りたたみ傘を取り出す。
そのとき、左手で握りしめたiPhoneが振動した。
〈キミの部屋の前で、待ってるよぉぉぉぉぉ〉
そのメッセージの横には、『優』のアイコン。
ちょうどひと月前、別れてから一度もメッセージが来ることがなかった、桜田優(さくらだゆう)からだった。
宗介は放心したように画面を見つめていたが、それはほんの五秒ほどの短い時間で、すぐに折り畳み傘を持ち直した。ワンタッチで、ボタンひとつ押すだけで、それは魔法みたいに開く。
宗介は何事もなかったように、夜道を歩き出した。歩いて五分もしないうちに人形町の駅に着き、石の階段をくだる。雨で濡れた通路はすべりやすい。
改札を抜け、地下鉄日比谷線の味気ないホームで北千住行きの電車を待っているとき、あ、そうか、服を取りにきただけか、と気付いた。幸いにも、タイミングよく電車が来たおかげで、深く考えこまずに済んだ。
北に向かって走る日比谷線の車内は、ちょうど座席が埋まるぐらいの人しかいない。宗介はドアのガラスに背中を押し付けると、あらためてiPhoneの画面と向き合った。
優のメッセージが自分に送られてきたメッセージの中では一番最後だが、それでも、一時間前に送信されたものだ。宗介は、画面をせわしなくスクロールして、自分へのメッセージをひととおり確認した。
この大量の情報は、自分に向けられたメッセージではあるものの、重要なものはほとんどない。例えば自分が反応したウェブサイトや、他人へのメッセージに対する、単なる反応だ。確かに自分に宛てられたものではあるのだが、メッセージというよりはもっと漠然とした、有機的で、無機質な、他愛のない、脊髄反射的な、ただの反応だ。電脳化された社会では、こうした「反応に対する反応」が「情報」と呼ばれるものの大半を占めていて、放っておくとそれは連鎖的に増えて行く。連鎖が連鎖を呼び、実質的には、ほとんど無限大だ。どこかで線を引いておかないと、際限のない「情報の海」に飲み込まれてしまう。
優が自分に送ってきたメッセージは、パーソナルメッセージで送られてきていて、文面にはほとんど何の意味も含まれていなかったにも関わらず、それは宗介にとって決定的に重要な情報だった。
ため息をつき、リプライする気力が湧かず、とりあえず電源をOFFにしようとすると、またそれはブルッと震え、
〈見てんなら返事しろぉぉぉぉぉ(怒)〉
という新しいメッセージを伝えてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます