水神様の祟り

これはどういうことだ? 泥酔状態から酔いが一気に覚めた。科学的、生理学的にそういうことがあり得るんだな。一気に正気になった。  


水神様に立小便をかけてしまった自分がいた。僕は何をしてるんだ?


平成17年2月20日か21日の深夜、長崎に暮らしていた私は泥酔し、いつものように歩いて家に帰っていた。急にもよおして、どこか立小便をするところはないか探したら、商店街の路地裏にちょうどいい按配のビルの隙間が見つかった。我慢できずにジャーッとやって、咥えていたタバコを押し付けて消した。ひと落ち着きして、下をよく見てみると、薄汚れた土や雑草にまみれた水神様があった。水神様におしっこをかけて、焼きを入れてしまっていた。


背筋がぞっとした。世界で最高に罰当たりなことをした男がここにいる。 どうしよう。とりあえず、近くのコンビニに駆け込んで、タオルたくさん、水2リットルを二本買った。二月の極寒の状況など関係なかった。ひたすら水で洗い、タオルで拭いた。再び同じコンビニで水を買い足してひたすら洗った。長い間手入れされていなかったのであろう水神様は、周辺も含めてピカピカにはなった。その日は仕方なく、そのまま帰った。


とんでもないことをしてしまったと、その日はなかなか寝付けなかった。 寝付けなかったとは言え、寝てしまっていたようだ。朝起きても落ち着かない。世界で一番罰当たりなことをしてしまった男は一晩寝たぐらいでやったことは消えない。一番罰当たりな部分だけ、切り離して自分が綺麗な人間になることもできない。とんでもないことをしてしまった。結構社寺仏閣は好きで、敬意をもって接していた方だと思う。なのによりによってその僕が罰当たり極まりないことをしてしまった。 その日からタバコはすっぱりやめた。


仕事が手につかない。罰当たりなことをしてしまった。呆然とした状態。誰にも助けが求められない。そのまま数日が過ぎた。毎日水神様のところに行って、じゃぶじゃぶ洗った。何か自分や身内に悪いことが起きないか、びくびくしていた。


「様子がおかしいぞ。どうした?」


聞いてきたのは課長。当時にしてもめずらしい親分肌の課長だ。誰にも助けを求められなかったけど、聞かれたんだから、いいだろう。


「いや、実は・・・・・」


課長は、笑うどころか、真面目に話を聞いてくれた。そして言った。


「なんだ、そんなことか。」


課長は続けた。


「これからしばらく、毎日、水神様に塩を盛れ。わざとじゃないんだろ。水神様も許してくれる。いい。俺が責任とる。」


毎日、水神様の清掃と、塩を盛ることを続けた。他人の目はあるが、そんなこと罰当たりなことをしてしまったんだからしょうがない。課長はどう責任取るか不明だったが、そういう根拠はなくても心強いことを言ってもらえて少々心が安らいだ。


ある日、毎日水神様を表す商店街の人が声を掛けてきた。


「あの、なにか、ここの神様に由来がある方なんですか?」

「まあ、そんなとこです。」


由来はまあ、あると言えばあるな、ということで濁した。


二週間毎日水神様を洗い、塩を盛って、その後は一か月後、そのあと毎月二十日に水神様を洗って、塩を盛る生活を続けた。心の底には、まだ、きっと許されてない、僕か身内にいつ悪いことが起きてもおかしくない、と思っていた。


三月に課長が退職し、次の課長と引継ぎをしていた。課長、次の課長に

「あいつは水神様におしっこかけて、心の傷を負っている。」

と引き継いだらしく、ただ、深刻さは伝えきれなかったらしく、次の課長、引継ぎが終わって早速、僕のところにニタニタ笑いながら来て、


「おまえ、ちんちん腫れるぞ!」


と。それも、きっと僕が受けるべき仕打ちなんだと受け止めた。


一級建築士試験は当時、学科に受かれば、二年有効で、二回製図の試験を受けられていた。僕は前の年、学科に受かったが、製図で失敗して、今年がいわゆる「角番」だった。もう落ちられないと思い、五十万円かけて予備校に通い。一月からは週に数枚、七月からは毎日、五時間半かけて製図を一日一枚描き、備えていた。


そして迎えた製図試験。毎年一年に一問、意地悪問題が出て、意地悪の意図を汲めた人は受かり、意図を汲めなかった人はまた来年製図か、学科からやり直し、という過酷な試験。コンディションを最高に高めて臨んだつもりだった。新築の問題が多い中、意表をついて増築の問題だった。意表を突かれてズタボロ。五時間半の試験時間で完成まで持ち込んだが、出来はとても悪かった。


試験が終わった後、一、二日は描いた図面を覚えているもので、検証のために復元図面を描くのだが、復元してみると、トイレのドアを書き忘れていたことに気付いた。どうしても、手がトイレのドアを描いた記憶がない。開かずのトイレの図面を試験で描いてしまった。


「これだ・・・!ついに来た。」


水神様の祟り。水神様におしっこかけたから、おしっこする施設でしっぺ返しが来た・・・・!来年また学科からやり直しだ。ああ、なんてことだ。一生懸命頑張ったのに。落ち込みは最大になった。


十一月、一級建築士試験の製図の合格基準点を決める、国土交通省で開く中央建築士審査会の数日前、構造計算偽装問題が突如発覚。一級建築士がマンションの構造計算を偽装したという日本を大混乱に陥れた問題。これで建築士に対する世間の目は厳しくなり、合格基準点は引き上げられるはずだ。ああ、もっと合格が遠のいた。もう、確実にダメだ。落ち込みは最大だと思っていたのに、さらに最大になった。


十二月、合格発表。もう合格者名簿を見る気もしなかった。しかし、試験仲間が、僕の名前が載っている紙を見せてくれた。え?合格?信じられない!


増築の問題で、意図を汲めなかった人が多かったようで、なんとランクⅣ(失格)が四割。学科の合格ライン一割を突破した人たちの、四割が失格。試験問題意表突きすぎじゃないの?ただ、その失格のあおりを受けて、トイレのドアを描き忘れた私が、合格ラインに浮上。試験問題はおかしいんじゃないのと思う反面、受かれば僕的には十分。でも、水神様の祟りじゃなかったのかな。


あの日から一年間は毎月二十日に、その後毎年二月二十日に、水神様を洗い、塩を盛った。月日が経って、そこにはコンビニエンスストアができ、日々の手入れもされるようになった。 それでも、二月二十日には赴いて、洗い、塩を盛った。


十年目の節目。これで一旦の区切りにしよう。対馬に勤務していたが、二月二十日に何か月も前から休みを取って、その日に長崎に行くよう段取りをしていた。その日に他の出張が入ったが、こっちは十年来の予定だ。パッとでの出張など、担当に任せて、こっちを優先した。


タバコは一切吸っていない。吸いたくもならない。なぜなら神に誓ってやめているから。


十数年間、祟りはなかったのか、小さな祟りは実はあったのか、まだ祟りを受けていない状態なのか。十五年たった今でもいまだに近くを通るときは黙礼を欠かさない。畏怖と敬意は忘れていない。


少なくともこのことをネタにするのだけは避けていた。ただ、令和二年、大病して、回復して、なんだか、気持ちが変わって、皆に伝えたくなって、ネタにするわけではないが、ひとり十数年悩み苦しんでいたことを、ここに告白する。

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