第15話 花 その2~十三番目の不思議
花 その2
ここはどこだろう。わたしは辺りを見回した。どこかの教室のようだが、とても懐かしい感じがする。
本棚に入れられた絵本、画用紙と折り紙で作られた天井飾り。棚には積み木や、ままごとセット、ぬいぐるみなどがしまわれている。
ああ、そうだ。ここはわたしがかつて通っていた保育園だ。今はもう閉園してしまった園舎だ。
わたしは部屋の空気を胸いっぱいに吸う。懐かしい匂いが心を満たした。それと同時にたくさんの記憶が呼び起こされた。
わたしは担任だったみうらという男の先生を思い出す。若くて、かっこよくて、やさしくて、おもしろくて、おっとりしていて・・・。髪の毛が長く、色白で、体の線も細かったから、まるで女の人みたいな先生だった。
わたしはみうら先生が大好きだった。子どもたちからも、お母さんたちからも人気の先生だった。
わたしはみうら先生によく手紙を書いた。みうら先生も忙しい中、返事を書いてくれた。
みうら先生の字はとても小さく、ひらがなで書いてあっても読むのが大変だった。
でも、わたしはそれがうれしくて、今でもその手紙を大事に取っておいている。
そんなみうら先生も、私たちの卒園(つまり閉園)に合わせて都会の保育園へ行ってしまった。
――げんきかなあ、せんせい。
ふと、見ると、部屋の隅っこで小さな女の子が泣いていた。わたしは恐る恐るその子に近づく。
その子は真っ二つに破れた便箋を持っていた。そこでわたしは理解した。
この子は――わたしだ。
そうだ、この時わたしはみうら先生からもらった手紙を、いじめっ子だったしょうへい君に破かれたのだ。わたしはとても悲しくて、一人で静かに泣いたっけ。
すると、そんなわたしのところに誰かが近づいてくる。私はそれが誰なのかすぐにわかった。
――しゅうちゃんだ。
しゅうちゃんは泣いているわたしのとなりにそっと座ると、泣いているわたしの顔を「だいじょうぶ?」と心配そうに覗き込んだ。その手にはセロテープを持っている。
何も言えず、ただしくしくと泣き続ける私の横で、しゅうちゃんは黙って手紙を直してくれた。
その一生懸命に手紙を直すしゅうちゃんの姿を見ていたら、いつの間にかわたしの涙は止まっていた。
その後、他の子から話を聞いて、みうら先生が来てくれた。泣きそうな顔のしょうへい君を連れて。しょうへい君は目に涙を浮かべながら、私に「ごめんね」と言った。
みうら先生はめったに怒らなかったが、怒るととても怖かった。わたしは怒られたことはなかったけど。
みうら先生はセロテープだらけの手紙を見ると、微笑みながら「ありがとう」と言ってしゅうちゃんの頭を撫でた。
そして、みうら先生はまた手紙を書き直して持ってきてくれた。私は破れた手紙と、書き直された手紙の両方を、今でも大事に取っておいている。
思えばあの時から、しゅうちゃんは私のそばにいてくれてたなあ。
どこからか、みうら先生の声が聞こえる。
「大事なことは、お口で言わないと伝わらないよ」
――そこでわたしは目を覚ました。
キャンプファイヤー
花が目を開けると、視界が柔らかいオレンジ色の光に染まっていた。真っ暗な校舎、真っ暗な体育館にいることに慣れてしまっていた花にとって、それはとても眩しく、暖かく感じられた。
なんだろう、もう朝かな。
「あ、起きた」
花の隣で秋が呟いた。花は自分の状況が飲み込めず、ぼんやりとした表情で秋の顔を見る。
「おはよう。何だかあったかいね」
秋はそんな花の顔を見てほっとしたように笑った。
そこで、やっと花はその光の正体を確認してみた。どうやらここは校庭のようだ。
校庭の真ん中には巨大なやぐらがあり、その中で大きな炎が激しく燃え盛っている。
「これって、キャンプファイヤー?」
「そう。俺が目を覚ました時は、ちょうどこいつらが火をつけるとこだったよ」
そう言って秋が周りに目をやるので、花もそれに倣った。そして、初めて自分たちの周りにたくさんの首のないサッカー部員たちがいることに気づいた。
花は身構えたが、部員たちは何か仕掛けてくるような様子もなく、ただ楽しそうに火を囲んで騒いでいた。
「サッカー部の人たちだよね?なにしてるんだろ」
「こいつらは合宿中だったみたいだよ。で、今日は打ち上げだって」
「・・・・だれに聞いたの?」
「あの人」
秋はキャンプファイヤーの片隅にあるベンチを指差した。そこには顧問らしき先生が、はしゃぐ部員たちを優しい目で見守っている姿があった。なぜかその先生の顔は傷だらけで、ガーゼや包帯が痛々しく巻きつけられていた。
「・・・・なんで、あんな大けがしてるの?お化けなのに」
「直たちにやられたらしいよ。あの人は轟っていう先生らしい」
秋は轟を見ながら笑いを堪えるように答えた。
「わたしたち今から、校長先生を探すんだよね?」
「そうなるね。これから黒板に聞きに行かないと」
「・・・・その前にここですこし休憩だね」
それから二人はしばらくの間、黙って炎とサッカー部たちを見つめる。
おもむろに花が口を開いた。
「――なんだかこれって去年行った林間学校みたいだね」
「そうだね。でも俺たち山に住んでるから、林間学校って言われてもありがたみがなかったなあ」
「まあねえ」
「でも、楽しかったよね」
「うん。みんなでバスに乗るだけでわくわくしたよ」
「直がバス酔いして真っ青な顔してたっけ」
秋は、ビニール袋を持って「まだいける・・・・まだ・・・・」と呟いていた直の顔を思い出す。
「ウォークラリーの時のしゅうちゃんとなおくん、本気だったよね」
「そりゃあ、やるからには他のグループに負けたくないだろ」
ウォークラリーでは先生から配られた地図とクイズの書かれた用紙を持って、グループ毎にそれを解きながら歩いていく。そしていくつかの決められたポイントを一番早く通過したグループが優勝なのだ。
「わたしたち、優勝はできなかったけど、それでもたのしかったよね」
「ああいうのは本気でやった奴だけが楽しめるんだよ。あと氷砂糖がやけにおいしかった。普段はまず食べないし」
「そうそう。川で泳いだり、みんなでごはん作ったり、体育館でレクリエーションしたり。普段しないことがたくさんあったよね」
その中でも、キャンプファイヤーが印象的だった。巨大な炎を囲んで、みんなでフォークダンスを踊ったは、古臭くて小恥ずかしく感じられたけど、学校のみんなと夜に何かをするなんて、特別以外の何ものでもなかった。
「男の子達は女装して踊ってたよね」
「あれは、最悪だったな」
「でもしゅうちゃんの浴衣姿、かわいかったなあ」
「やめてくれ」
秋は小石を炎に投げ込んだ。薪のはぜる音が心地よく響く。
花は地面を靴の先でなぞった。
「・・・・あのあと、宿泊棟に戻ってから、しゅうちゃんといっぱいおしゃべりしたよね」
「うん」
生徒が寝る大部屋の前には廊下を挟んでささやかな図書スペースがあった。秋と花は消灯時間の直前まで、そこで他愛のない話をしたのだ。
お風呂上がりでパジャマ姿の花は、いつもとは違う大人びた雰囲気をまとっていた。湿った髪の毛、紅潮した頬、ふわりと香る女の子の匂いは、秋を落ち着かせなくさせた。
「あんな夜中に花と話すことなんて、今までなかったもんなあ」
「どきどきした?」
花は秋の顔を覗き込んだ。炎の灯りに照らされた花の顔はとてもきれいだった。
「・・・・別に、普通」
秋は恥ずかしくなって目を背けた。
「ふぅん」
花は体操座りで体を前後に揺らす。
「・・・・しゅうちゃんの初恋の相手ってだれ?」
ふいに花がそんなことを言った。
「へ?」
秋は間の抜けた返事をしてしまった。話題が急に変わったことについていけなかったのだ。
「そんなの、いないけど」
「うそだ。わたしは知ってるぞ」
花は顔の下半分を自分の膝に埋めながら、秋の目をじっと見つめた。
「・・・・桜子ちゃんでしょ?」
「え・・・・」
秋は突然のことに、焦りと驚きを隠すことができなかった。それ以上、何も言えずにいると、花が上目遣いでその様子を観察していた。
「やっぱり、図星だ」
秋の反応をみて花は確信したように微笑んだ。
「なんで、知ってるの?誰にも言ったことないのに」
秋は観念したように言った。
「そりゃあ、しゅうちゃんとは、ながーい付き合いですから」
花はわざとらしく胸を張った。
「俺だって花の初恋の人はわかるよ。みうら先生でしょ?」
「ぴんぽーん」
「いい先生だったよね。今でも年賀状がくるよ。俺もああなりたいもんだ」
秋は遠い目をしながら呟いた。
サッカー部員がみんなで肩を組みながら、左右に体を揺らしている。
部員の一人が、火かき棒を使って丁寧に薪を崩した。
向こうでは轟と、メガネを掛けたおじさんらしき人が笑いながら何か話している。
「――わたしね、転校するんだ」
やぐらの炎が一際大きく燃え上がった。
「え?」
秋は一瞬、言葉に詰まる。咄嗟に言葉が出てこない。まるで頭を思い切り殴りつけらたような衝撃をうけた。耳の奥がわんわんと唸っている。
「街に引っ越すことになったの。二学期から。しゅうちゃんのお母さんはこのこと知ってるんだけど、内緒にしてもらってた。わたしが直接、しゅうちゃんに言いたくて」
花は秋と目を合わさないように、炎を見つめながら話す。その横顔はとても淋しそうだったけれど、どこか清々しさがあるようにも見えた。
「ごめんね、伝えるのがおそくて。ほんとはもっと前からわかってたんだけど・・・・なかなか言えなくて」
「・・・・そうなんだ」
秋はそれだけ言うと、しばらくはただ無言で炎を見つめた。
「なんか、ショックだな。なんていうか・・・・うまいこと返せないや」
「うん」
「でも、ケータイとか、手紙とかあるから大丈夫、かな」
「うん」
「あ。それじゃあ、会話ノートも買わなくていいのか」
「・・・・うん」
二人はまた黙り込む。
いつの間にか周りでは部員たちがリフティング勝負をしていた。
その様子を、轟と、眼鏡をかけたおじさんが微笑ましく見物している。
「・・・・わたし、しゅうちゃんにラブレター書いたことあるんだよ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。小学校一年生のころだけど」
「くれたらよかったのに」
「恥ずかしかったんだもん。でもまだその手紙、とっておいてあるんだよ」
花は恥ずかしそうだけど、どこか得意気に言った。
「だから・・・・ケータイもいいけど、手紙も書いて欲しいな」
「――わかった」
秋はまだこの気持ちを立て直すことができずにいた。それでも、それを態度にして出すことはかっこ悪くてできなかった。
そういえば、あの林間学校の日からだった。俺が花を「幼馴染」から、「女の子」として意識するようになったのは。
「文通っていうのも、粋ですな」
秋は呟いた。
「そうですな」
花も呟く。
向こうで部員たちが盛り上がっているのが見えた。どうやらリフティング勝負が終わったようだ。
「花は、その――」
秋は何かを言いかけたが、その前に花がそれを制した。
「しゅうちゃん、あれって・・・」
花は轟と談笑しているおじさんを指差した。
秋はそこで初めて、暗くてよくわからないそのシルエットの人物に目を凝らしてみた。
眼鏡をかけて、恰幅が良さそうな人だ。優しそうな雰囲気もある。でも、やけに違和感がある。なんだろう。
「なんか、動きがぎこちない人だな。硬そうというか・・・・」
そこで秋は、はっと気づいた。
あれは・・・・。
「――校長先生?」
二人の視線に気づくと、校長先生はにこにこしながら、挨拶をするようにこちらに向けて片手を挙げた。
侵入2
「――ここなのよ」
このか姫が旧校舎の校門前に立った。桃子はそこから少し離れた場所で、旧校舎の全体を見ながら立ち尽くしていた。
「どうしたの、桃子?」
「私は・・・・入りたくないわ」
桃子は生まれてから今まで、なるべくそういった類のモノには極力関わらないようにしてきたのだ。関わるとろくなことにならない。それは今までで散々経験してきたことだ。正直、もうごめんこうむりたい。
しかも校門の外からでも、校内の異質で異様な雰囲気が、胡桃の全身にひしひしと伝わってくる。
――それなのに、何でわざわざ。
「その気持ちはわかるの。貴女は今までたくさん辛い目に遭ってきたのだから」
このか姫は慰めるように言った。
「でも、ここで参加しないと、貴女はきっと後悔するのよ」
「・・・・なぜ?」
「それは一緒に来ればきっとわかるの」
静かな夜の中に、ぽつりと存在する旧校舎は、とても淋しげに見えた。しかし、それを差し置いて、圧倒的な不気味さがそこにはある。
こんなところに入るなんて、どうかしている。
――でも、この中に、桜子や秋がいるのだ。
桃子はあきらめるようにゆっくりと校門へ近づいていく。
「素敵な決断なのよ、桃子」
「いいから、さっさと行って、さっさと帰りましょう」
このか姫は桃子の言葉に苦笑すると、校門に手をかざした。すると校門に巻き付いていた鉄の鎖が解け、自動ドアのようにゆっくりと開いた。
「ここから先は、閉ざされた世界。門から入っても門に続いているとは限らない。旧校舎のどこに繋がっているのかはわからないから、気をつけて」
そう言ってこのか姫が先に入った。桃子は彼女の言葉の意味がわからなかったが、流れと勢いでその後に続いた。
直後、このか姫の姿が目の前からふっと消えた。
あれ、と思う前に、桃子の足は空を踏む。
地面がない、と思った頃には、桃子は既に深い穴の中へと落ちていた。
十三番目の不思議
「――いやあ、なるほどなるほど。それは大変な目に遭ったようだね」
秋と花が事情をすっかり説明すると、校長先生はそう言って朗らかに笑った。笑い事じゃねえ、あんたもその一部だ。とは秋も言わなかった。代わりに尋ねる。
「それで、校長先生は十三不思議について知っているんですか?」
「うん、うん。生徒がそんなことをよく話していたなあ。私の時は七不思議だったがね。当時は音楽室の魔女って話が流行っていたよ」
それを聞いて、花が興味深そうに前のめりになる。
「えー。そんなの初めて聞く。それって、どんなはなし?」
「確か、その魔女に自分の大切なものを一つ与えれば、その代わりに魔女が願い事を一つ叶えるという話だよ」
校長はぎぎぎ、と人差し指を立てながら応えた。
「そんなのもあったんだ」
秋も少し驚いている。
「ところで、校長先生が十三番目の話を知ってるって聞いたんだけど・・・・」
秋がそう尋ねると、校長は銅の顔をぐぐぐ、と歪ませた。
「ああ、それはきっと・・・・『美術室のももちゃん』だね」
秋はももちゃんという名前で、桃子の顔がぱっと浮かんだ。
――しまった。桃子との約束をすっかり忘れてた。
「知っているというか・・・・私の教え子だったよ。その話の基になっている子は」
「詳しくおしえてよ」
花が校長の腕を指で突っつく。校長に対する恐怖心はまるで無さそうで、それどころか親戚のおじさんみたいな感覚で校長と接している。校長もそんな花に対して嬉しそうに微笑む。
「ももちゃんというのはあだ名でね。本当はとてもハイカラで綺麗な名前なんだが、本人がそれを恥ずかしがってね。時代だなあ。だからいつしかみんなは彼女のことをそう呼ぶようになったんだよ」
校長は昔を懐かしむように目を細めた。
「とても長くて綺麗な髪の毛をしていてね、それは美しい子だった。生まれつき体が弱くて、よく学校を休んでいた。体育はいつも見学。よく貧血を起こして倒れたりしていたよ。そのせいか、よく美術室に残って本を読んでいた。当時はまだ図書室がなかったからね」
いつの間にかキャンプファイヤーの火は小さくなっていた。
髪の長い子・・・。ということはさっき体育館で俺たちを襲った髪の毛は・・・。
「ある日、ももちゃんの親から連絡があった。まだ娘が帰ってきていないと。よく親御さんが車でももちゃんを迎えに来ていたんだが、その日はたまたま違ったようでね。連絡を受けた宿直の先生がすぐに校舎内を探すと、美術室でももちゃんが倒れていたんだ」
花がこくりと喉を鳴らした。いつしか、周りのサッカー部員までもが校長の話を聞いていた。
「彼女は意識不明の状態で病院に運ばれた。そして・・・・そのまま目覚めることなく半年後に亡くなってしまったよ」
なるほど、これは七不思議にしやすい子だ、と秋は思った。学校の怪談などでよく聞きそうな話じゃないか。
「彼女の両親はひどく悲しんでね。娘の思い出が残って辛いからと、外国に移り住んでしまったんだ」
校長はメガネをずらして、ハンカチを目に当てた。その目から出ているのは何なのだろう、と秋は小さく首をひねった。
「・・・・それからしばらくしてからかな。ももちゃんを美術室で見たという噂が立つようになったのは」
「そんな話なら今でも残ってそうなもんだけどなあ」
「いやいや、それが不謹慎だからと先生たちですぐに対応したからね。彼女の学年の子達が卒業していったら自然とその噂もなくなっていったよ」
秋と花は顔を見合わせる。
「それなら、目指すは美術室か」
「そうだね」
そして、花が校長の顔を覗き込んで言う。
「校長もついてきてよ。その子、校長の話なら聞いてくれるかも」
「いいでしょう。ぜひ」
校長は快く承諾してくれた。
「あ、その前に図書室に行っていい?多分、友達がいるから」
「もちろん」
三人が立ち上がると、サッカー部の面々が親指を立てて「がんばれ」と応援の意を示した。
「ありがとう」
秋たちもそれに応えるように親指を突き出した。
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