機械仕掛けのアフターライフ
virtual reality略して、VR。
仮想現実と呼ばれるそれは現代で大きな進化を遂げた。最初期のVRはゴーグルを付けて映像を流すものだった。その映像に合わせて扇風機で風を吹かせたり霧吹きで水をかけることで五感を刺激し、さも映像の世界が現実だと錯覚させる。
現代から見ればなんとも古典的でどこか滑稽であった。
技術の進歩と共にVRもまた進化していった。
現代では首筋にプラグを接続し、人間の五感に直接情報を流し込む様になったのだ。
ある時期、世界規模で感染症が流行し人々は外出自粛を余儀なくされた。そこで白羽の矢が立ったのがVRだった。
家にいながらにして友人や恋人、大切な人に会える。
オンラインゲームから派生していき一気にVRの需要は高まった。
需要が高まればその分、改善点もまた多く上がっていった。
「ゴーグルからの映像だけじゃなく実際に触っている感覚が欲しい。」だったり「食べた際には食感と味の感覚を再現してほしい。」と様々な声が寄せられ最終的に首筋の神経に直接プラグを差し込み五感を刺激するものへと進化を遂げたのだった。
この神経に直接感覚を流し込む技術は、先程滑稽だと笑った古典的な装置の派生である。
と、言うのも人間は脳で物事を処理している。
例えば味覚だが、舌で感じ取ったものを脳へ電気信号で送りその刺激を脳は甘いであったり、しょっぱいであると認識する。
よく夏祭りの屋台で見るかき氷のシロップはどれも同じ味だと言う話を聞いたことはないだろうか?
シロップの色と香りを人間が認識している味にすることで勝手にそれをその味だと勘違いして脳が処理するのだ。一度実際に目を閉じて鼻をつまんで食べ比べてみるといい。きっと自分が食べている味がどれなのか分からないはずだ。
人間が現実だと認識する世界は脳が処理した電気信号にしか過ぎないのだ。そして話は戻り現代のVRは直接、脳へと電気信号を送ることでリアルな感覚を得ることに成功した。
昔の人は小説やアニメなんかでVRゲームの世界に入ってしまうなんて妄想を膨らませていたが、あながちそれも間違いではなかった。
オンライン上の仮想現実の普及。
世界規模で起きた感染症の影響で人々は外に出ることがほとんど無くなりコミュニティーの大部分をVRで行うようになった。
今までなら遠く会えなかった人とも、時間さえ合えばものの数秒で会うことができる。わざわざ飛行機に乗って海外に行く必要だってない。
そしてこのVR技術は医療の面で革新的な変化をもたらした。障害者がこの技術を使うことで健常者と変わらぬ生活を得たのだ。脳へ直接データを送るため目が見えなかったり耳が聞こえなかった人々にその感覚を与えた。
そして最も大きな功績は、死の超越である。
脳へ直接データを流し込む。
ということは脳だけ有ればいいのだ。寿命や病気で身体が無くなっても脳が残っていれば、脳を摘出したのち特殊な装置に入れて電極を刺す。そこにデータを流し込めば生きていた頃と変わらない感覚を味わうことができるのだ。
その技術を人々は機械仕掛けのアフターライフと呼んだ。
メインコンピューターにヘブンと呼ばれるサーバーを設置し、そこに生前と同じ自らの肉体アバターを作成することで死後も仮想現実を生きることができるのだ。
世界規模の感染症はとうとう収束することはなかった。けれど人類はある解決策を見出した。
そう、機械仕掛けのアフターライフで生活することだった。仮想現実に感染症の類はない。そしてその世界では永遠を約束されている。人々はこぞって脳の摘出手術を行い、機械仕掛けのアフターライフへ群がった。その様は、さながら芥川の描いた蜘蛛の糸のようだった。
五感の全てを完全に再現しているため、生前と全く変わらない生活を送ることができる。
いや、
データの世界に生きているため、コードの打ち込みや書き換えを行えば自分の望む物がなんでも手に入った。それにコードの書き換えをせずとも、「林檎が欲しい」であったり「〇〇に行きたい」と呼びかければ手元にそれは届き、行きたい所へも瞬時に行けた。
衣食住整ったそこは聖書曰く天国だった。
ただ機械仕掛けのアフターライフにも欠陥があった。いや、欠陥というより完璧すぎた皮肉とでも言うべきか。
一つは望む物全てが手に入るということ。
一見してそれは素晴らしい夢のようなことであったが、ある一定の満足を得るとそれ以降やることがなくなってしまったのだ。永遠に生きられる故、時間は無限にある。目標を定めたところで期日は幾らでもあったため意味を成さなかった。
そして五感をそのまま再現しているということは、痛覚等もそれに準ずるということである。先に体に刺激を与えて錯覚を生む話をしたが、人間の思い込むという力は想像以上に強いものだった。
昔オランダである実験が行われた。
ブアメード実験
そしてブアメードに聞こえる声で研究者は実験の内容を話し出す。
「人間はどれほどの量の血液を失えば死んでしまうのか?」
そう言ってブアメードの手首に痛みが走る。その刹那ブアメードの手首から生暖かい液体がダラダラと溢れる感触が伝う。無音の室内にポタポタと液体が落ちる音だけがリズムを刻む。
「人間は三分の一の血液を失うと死んでしまうんだ」研究者はブアメードの耳元で言う。
助手はブアメードの出血量を1時間ごとに報告した。
「500ml…1000ml…1500ml…」
それから程なくして規定の量に達したときブアメードは死んだ。死因は精神性のショック死だった。出血死ではない。
それは何故か?
この実験の真の目的は思い込みのバイアスを研究するものだった。ブアメードは実際には血を一滴も流していなかった。手首に感じた痛みはナイフの背で掻いたもので、生暖かい液体は人肌程度のお湯を手首に当てていただけ。
けれど、ブアメードは事前に「人間が出血を続けると死ぬ」と言う情報を聞き、自身の身にそれが降りかかっていると錯覚した。
錯覚で人は死ぬ。
血を一滴も流していないにも関わらず思い込みで人は死ぬことがあると立証された。
人は強い指示や思い込みだけで人体に悪影響が起こることがある。
これを「ノーシーボ効果」と呼ぶ。
ブアメード実験以外にも、患者に「貴方は癌です。余命は〜」と伝えるとその患者は見る見るうちに痩せ細り医師の見立てより早く死んでしまった。
そして、驚いたことに患者は癌ではなかったのだ。けれど、自らの思い込みにより人体に悪影響が及んだ。テレビで見る催眠術の効果もこれに由来する。
このように人間の思い込みと言う力はとても強く、テレビで見る催眠術の効果もこれに由来する。
そして機械仕掛けのアフターライフで、ある事件が起きた。
些細ないざこざで、ある男が相手を刺したのだ。刺された方は痛みにもがいた後、活動を停止した。
すなわち機械仕掛けのアフターライフ内で死んだ。
脳が死を錯覚したのだ。
機械仕掛けのアフターライフは仮想現実であるため、現実世界の法が適用されることはない。
それもそうだ、天国なのだから人間の作った縛りに囚われる必要はない。いわゆる治外法権である。
それからというもの機械仕掛けのアフターライフではやりたい放題だった。日々の鬱憤を晴らすのに暴行や殺人が横行し、機械仕掛けのアフターライフ内に死があることを知った鬱患者は自殺を図り、たちまち阿鼻叫喚の巷と化した。
人間が最も望んでいたはずの自由と永遠。
その二つが人間を狂わせた。
どんなに進化した科学技術も結局使い手が進化しなければ意味を見出さない。
機械仕掛けのアフターライフは
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