気分屋

 ある青年は気分屋だった。

 名前を野月翔という。

 彼は真面目な性格とは言えず、周りに流されるタチだった。まぁ、言ってしまえば最近の若者であり街を歩けば彼のような人間はごまんといる。


 そんな彼は大学生。

 都内で一人暮らしをしている。

 親からの仕送りはほぼ無く、精々が米やパスタと言った食料品だった。

 生きる為には金がいる。苦学生の彼はファミレスのバイトで生計を立てていた。


 今日も講義を終えてすぐバイト先へと向かった。「おはようございます。」と小さな声で挨拶をして制服に着替えホールへ向かう。


 客席はがらんとしており、スーツを着た男が一人黙々とミックスグリルを食べていた。

 スーツの男と目が合う。

 男はコップをテーブルの端に置いた。

 野月は、水のお代わりを要求しているのだと直ぐに気付いた。けれど男のその不躾な態度に素直に給仕しようとは思えず見て見ぬふりをした。

 スーツの男は痺れを切らしテーブルに備え付けられているベルを鳴らす。


「はい、どうかしましたか?」

 野月はぶっきらぼうな態度で言った。

「水、水だよ。お前見てただろ。ウェイターなら察して早く持って来いよ。」スーツの男は野月を睨みながら早く水を寄越せと凄んでくる。


 そんなに水を飲まないと死ぬのか?と心の中で笑いながら野月は「かしこまりましたー。ただいまお持ちしますー。」語尾を伸ばす様な発音で相手を挑発する様にしてその場を去った。


 スーツの男はそれを聞いて後ろ姿の野月を睨みをしたがそれ以上何か言ってくる事はなかった。


 ……はぁ、気分が乗らない。可愛いお客さんにならいくらでも愛想のいい接客をするのだが、おじさんとなるそうはいかない。

 いや、今回のスーツの男に限らずカップル客にも彼氏側には適当に接客をし露骨な態度を露わにしていた。

 結局自分はバイトなのだ、いくら仕事といえど責任を負わされる事はない。それなりに、それっぽく仕事をしていればいい。それが野月にとっての仕事に対する価値観だった。


 カラン……カラン。

 客が来店した音がする。

「いらっしゃいませ。」

 野月はお辞儀をしてお客様の顔を見る。

「!」

 見れば二十代前半の女性2人だった。近くに短大があるからそこの学生だろう。顔も可愛くスタイルもいい。


「えっと…2人なんですけど。」

 片方が2人を強調する様にピースサインで2を表す。この世にこんな可愛い生き物がいるだろうか?

 野月は直ぐ様、彼女らを席に案内し普段はしないオススメ商品を自ら勧め、さりげなくデザートメニューを中央に置いた。


「それじゃあ、コレとコレで。」

 女子大生が指差すメニューをハンディーに打ち込んだ。「ご一緒にデザートやお飲み物はいかがですか?」女子大生は言われるがまま「折角だから……」と少し悩んで、パフェを注文した。


 野月を睨む目がある。さっきのあの男だ。男は野月が自分と女子大生とであまりの対応の差に驚いていた。が、何か口にすることはなく、しばらくして飲みかけの水を全て飲み干すと店を後にした。


 それから数日……あるいは数週間……いや、数ヶ月経ってのことだ。


 その日も野月はバイトだった。しかし、この日の講義終わりにスマホを見ると友人からの遊びの誘いがあった。「◯◯女子大の子3人と遊びに行くけど、お前も来るよな?」

 野月は女の子3人が来ることを知ると笑みを隠すことが出来なかった。バイトなんてどうでもいい。所詮自分の代わりなんていくらでもいるんだ、責任を問われることもない。

 それに何より今日は元々、気分が乗らなかった。

 適当に理由をつけてバイトを休もう。


 そう決めて野月は、バイト先の店長に適当な理由をつけてその日は休んだ。


 大学を後にして急いで集合場所へと向かう。信号が青になるのが待ち遠しい。車通りが少ないその道は信号待ちするのが馬鹿らしかった。いつも彼はその道を信号無視して渡っている。


 だからこの日も野月は右足を一歩前へと出した。


 そのときだ、車が勢いよくやってきた。

 イヤホンをしているせいで音が聞こえない。

 気づいた時には車とぶつかり全身に重い衝撃がかかる。


 どのくらい飛んだだろうか。

 地面に倒れ込む野月を通行人が「大丈夫ですか?」と呼びかける。他にも何事かとたくさんの人が野次馬根性剥き出しに野月を囲う様にやって来た。



 大丈夫なわけあるか……声に出そうにも全身に力が入らない。

 どんどんと視界が小さくなっていく。

 身体が酷く痛み、呼吸もまともに出来ない。

 このままだと間違いなく死んでしまう。

 誰か助けて……そこで野次馬してる奴、スマホで俺の写真なんか撮るな……早く救急車を呼べ。


 ぷつんと電源が切れるブラウン管テレビの様に野月は意識を失った。



 どのくらい時間が経ったのか分からない。

 誰かの話声で野月は目を覚ました。

「先生、それで昨日はどうだったんですか?」

 女性の声だ。

「あぁ、昨日は実につまらん会食だったよ。それより来週の同期とのゴルフが楽しみでね」

 先生と呼ばれる男の声は低く、どこか聞いたことのあるものだった。


 誰の声だ?

 そうだ、この声はいつだったかに給仕しろと強く言ってきた客ではないか?

 脳内で人物の検索を行っていると、野月は全身の痛みに襲われた。

 あまりの痛さに呻き声を上げる。が、それはかなわなかった。

 彼の喉にはあらゆる管が挿管されなんの音も発せなかった。


 そして、看護師だろう女性は言う。

「先生、この方のオペはどうなさるのですか?」

 野月は痛みで、また意識が薄れていく中、自分がこの後どうなるのか必死で男の答えを聞いた。


「今日は」。

 男は低い声でそう言ってゴルフの素振りをしてみせた。

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