空間転移
恒星マリボの引力圏外に出ると、しばらくは星のない宙域に出る。
この辺りは恒星間の距離がかなり離れていて、光の速度で飛ぶとしても、近くても数年先の距離にしか星がない。
もっとも、下手に恒星が近くにないおかげで、空間転移航法は使用しやすくなっている。
「最短で行かないのですか?」
デュークは、リンダのよこした航路計算の座標を見て眉根をよせる。
「最短だと、航路は誰が計算しても似たり寄ったりだわ。どのみち、一発で飛べる距離ではないのだから、少し外れたコースを通っていくわ」
「了解」
デュークは頷きながら、空間転移航行の準備に入る。
空間転移中は細かな操作は必要ないが、入る前と空間から出る時には、入念なチェックが必要だ。
──さすが、社長だ。
計算によって導かれた航路を確認しながら、デュークは舌を巻く。
荒っぽいことを好んでいるかのようなリンダだが、実際の仕事は堅実で、無駄がない。
宇宙軍のエリートだったのは間違いなく、選ぶ航路はいつも理にかなっている。
リンダが一度目の空間転移先に選んだ宙域は、連邦宇宙軍がよく巡回しているコースだ。
たとえトレースされたとしても、そこで仕掛けてくる宇宙海賊はいないだろう。
「問題はその後なのよね」
空間転移システムは、一回使うごとに、およそ二十時間開けることになっている。
機械的なトラブルを防ぐ意味が大きいが、連続で使用すると、空間の歪みが酷くなり座標が狂ったり、異空間から出られなくなったりするなどの事故がおこりやすい。
「空間転移は全部で三回必要だけど、連邦宇宙軍の巡回はそのあと二回の宙域ではほとんど行われていないわ」
「しかしさすがに、そこを狙って追いかけるのは、いくら宇宙海賊でも無理なんじゃないですかねえ」
ダラスは計器をチェックしつつ、リンダに応える。
「狙って追いかけるのは無理だとは私も思う」
「エレメン星系そのものが、辺境ですから。待ち伏せの方が効率がいいですよね」
デュークも同意する。
「ただ、ラマタキオン狙いではない海賊は、いるかもしれないとは思うの」
もともと辺境の宙域には海賊が出やすい。
「しかし、そういう奴らが、うちの船みたいなのを襲いますかね?」
猫丸号は商船ではない。そこそこの戦闘力もあるし、金目の物を持っている可能性は低い。普通に考えたら、海賊船が狙ってくる可能性は低い。
「普通ならそうね。でも、奴らだって、ネットワークはあるから」
リンダは慎重になっているようだ。
「たとえそうでも、奴らはあまり共闘したりしないように思うのですが」
「情報を売り買いすることくらいはするかもしれないわ」
なるほど、と、デュークは思う。
猫丸号が『ラマタキオン』を運んでいることまで伝える必要はない。猫丸号についての情報を『買う』と言えば、その動向を気にする奴らはいるだろう。
「つまり、俺たちがどう動いたか、宇宙海賊のネットワークでバレるってことですか?」
「そうね」
リンダはため息をついた。
「情報が流れるだけならいいけど、深読みして、よくわからないけど襲ってみようなんて気になる輩もゼロじゃない」
「よくわからないのに襲われてはたまりませんな」
ダラスが苦笑する。
「悪党なんてそんなものよ。用心はしておいたほうがいいかもしれないわ。デューク、そろそろ転移座標になるわ。サンダースさん、こちらブリッジ。空間転移航行に入りますので、できれば着席してください。照明は三分後に落とします」
リンダが艦内放送をする。
空間転移航行に突入する前後は、かなり空間が不安定になる。身体の平衡感覚などに異常をもたらすのだ。
「了解。座標点まで、三十秒、二十九、二十八」
デュークはサングラスをかけ、計器を睨みつけながら、時を刻む。
「重力反応なし、宙域はオールクリアよ」
「五、四、三、二、一、空間転移点に突入」
ガツンと大きな振動のあと、身体を何かで引っ張られるような感覚が襲う。
異なる空間に適応するためのプロセスであるが、あまり心地の良いものではない。
人によっては、嘔吐をもよおしたりすることもある。
メインパイロットがサングラスをかけるのは、出入りする瞬間に網膜を焼くような発光現象がおこるからだ。照明を消すのも、そのためだ。
もっとも異空間自体は漆黒の闇で、星の光さえない。
異空間にいる時間はおよそ三十分ほど。つまり、異空間航行の旅というのは、三十分の異空間転移にプラスして、慣性飛行二十時間を繰り返すのだ。
ちなみに、異空間通過中に他の船と遭遇する確率はゼロではないが、ほぼないとされている。
むしろ事故は、異空間に突入する前後、もしくは離脱する前後に起こることが多い。
「デューク、休憩してきていいわ。しばらく見ておくから」
「はい」
デュークは大きく伸びをして、食堂へと向かう。
航行中の休憩は交代制だ。宇宙船をメインで動かしているのはデュークだが、リンダもダラスも操縦ができないわけではない。
特にリンダは宇宙軍にいただけあって、相当な腕前だ。
食堂と言っても、ここで全員で食事をすることはほぼない。
オートモードで航海中なら全員休むことも可能だが、リンダはブリッジから人がいなくなることを嫌う。AIによる危機回避プログラムを信頼していないわけではないが、軍時代に叩き込まれた習慣からというのが大きい。
「おや、サンダースさん」
食堂に先客がいた。
イリア・サンダースが狭い食堂のテーブルで、コーヒーを飲んでいる。服装は、出立前に見たものと同じだった。
「スペースジャケットはお嫌いで?」
コーヒーサーバーを手にしながら、デュークは訊ねた。
「別に嫌いというわけではないですけど」
イリアは面倒くさそうに答える。
「あれ、重たいんですよね」
「軽くはないですね」
デュークは一応頷く。ほんのわずかな間であれば宇宙服のかわりになるジャケットだ。当然、普通の服より重くて、動きにくい。
「あれが役に立つような状況になったら、おしまいじゃないですかね?」
「なるほど」
客船などで、客がスペースジャケットを着ることはまずない。船室には備え付けのジャケットが置かれているけれど、緊急時のみ着用となっている。
客船の場合『緊急時』などは滅多にないし、あったとしたら、かなりの大事で個人の力で打開できることはないだろう。
「便利屋って職業をやってますと、ジャケットを着ていたからこそ、おしまいにならずに済んだってことが多々ありましてね」
デュークはコーヒーの湯気を顎に当てながら、イリアの顔を観察する。
惑星開発の専門家なのは間違いないらしいが、やはり大企業の社長の娘だけあって『箱入り』なのだろう。海賊に追われるような航海はしたことないのかもしれない。
意味が分からないという顔をしている。
「御社の秘密保持が完璧で、誰にも狙われることなくエレメン星系に到着できるとしたら、確かに不要ではありますけど」
「情報が洩れていると、言いたいのですか?」
「漏れていないのなら、こちらとしてはありがたいです」
ただエレメン星系に行くだけの仕事で、大金をもらえるのなら、それにこしたことはないのだ。
「貴方、少し失礼よね」
イリアはムッとしたようにデュークを睨む。
デュークは無言で頭を下げると、棚からチョコバーを二本取り出して、イリアに放り投げた。
「あと十五分で、異空間を出ます。早めに部屋に戻ってくださいね」
デュークはチョコバーをかじりながら、コーヒーを飲む。
「なんで、チョコバー?」
イリアがきょとんとした顔で、チョコバーを見つめている。
「社長曰く、甘いものは世界を救うんだそうです」
デュークはコーヒーを飲み干して、ちらりと時計を見た。異空間から出るまであとわずかだ。
「スペースジャケットは着ていただいた方がいいですよ」
「……考えておきます」
イリアが渋々と頷くのを見つつ、デュークは再びブリッジに向かった。
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