LV48「贖いの塔」

 ――いまごろは真っ当な治療を受けて休めているだろうか。


 アシュレイは両腕を金属の腕輪の枷で封じられた状態で天井から吊り下げられていた。場所は人外の外道たちがいう贖いの塔の最上階にある一室のどこかだ。悲劇の令嬢は修道服を剥かれて、下着姿のまま、全身にじっとりと汗を浮き上がらせ苦悶に喘いでいた。


 なるほど。単純にこの状態は苦しいのだ。アシュレイの両腕は特殊な呪文が刻み込まれた腕輪の枷で封じられている。なおかつ、天井に据えつけられた巻き上げ機で高く吊るされ、かろうじて冷たい床の上でつま先立ちになんとかなれるという格好なのだ。


 この姿勢は短時間ならばともかく、長時間となると相当に苦しい。肉体的な責めと恥辱に苛まれながらもアシュレイはただひたすら別れたばかりの男のことを想っていた。


 あの場では執事であるロムニーを救うため、ほかに手立てはなかった。父母の安否をちらつかされれば、それが十中八九嘘であるはずとわかっていても無視はできなかった。


 だが、アシュレイはすべてを諦めたわけではない。この塔に監禁され、どのような拷問を受けたとしても、必ず敵の監視がゆるむときはくるはずだ。


 ――命がある限り希望は捨てない。


 アシュレイは首筋から垂れる自分の汗を感じながら、それでも公爵家の娘の最後の意地で苦痛の呻き声ひとつ上げずにこの態勢のまま沈黙を保っていた。


 この塔に押し込められ吊るされてから、かなりの時間が経過している。拷問室であるこの部屋には、真っ赤な炎を立てる炉がカッカッと燃えており、下着姿であっても相当に暑い。


 喉に異様な渇きを覚えながらもアシュレイは整った唇を引き結び、ただ耐えた。


 耐えることが自分にできるただひとつの矜持であると信じていた。


 精神を集中していると、扉の外から靴音が近づいてきた。アシュレイは足音の微妙な違いからやってきた人物が誰なのかをおおよそ理解した。


「ずいぶんと楽しんでいるようですね。アシュレイお嬢さま」


 ズルズルと裾を引き摺るようなドレスで現れたのは、ダークエルフの少年を引き連れたナタリヤこと混沌の魔女であった。


 嘲るような笑みを浮かべながら混沌の魔女は胸元の前で扇を開いた。


「もう気はすんだのでしょう。私をここからおろしなさい」


「あらあら。さすがは元公爵令嬢。この状態でも自分の立場がおわかりになっていないとみえますね。出番ですよ、ジェイク」


 混沌の魔女がパチリと指を打ち鳴らすと、背後からのっそりとした動きで上半身裸の小男が現れた。見事な禿頭で、左目に黒の年季が入った眼帯をしていた。


「お、お呼びでございますか。ナタリヤさま」

「このアシュレイお嬢さまがあなたにかわいがって欲しいと言っているの」


 ナタリヤは屈みながらジェイクにひそひそと耳打ちをした。ジェイクはなにがおかしいのか、瞳を爛々と輝かせて甲高い声でキーキーと猿のように笑う。


 ジェイクは舌をだらんと投げ出しながら、薄い唇をもごもご動かして不明瞭な言葉で混沌の魔女の指示に応じていた。


 混沌の魔女はぺろりと自分の上唇を舐めるとアシュレイに対してこれから興味深いイベントが起こるような期待感を込めた目で見た。


 ジェイクがゴツゴツとした節くれだった指を伸ばしながら迫ってくる。アシュレイは生理的嫌悪感から、表情をさらに険しくした。


「近寄るな無礼者。私を誰だと思っているのです。ウォーカー家の名にて命じます。疾くこのいましめを解き、ここからおろしなさい」


 アシュレイの気迫が籠った一喝にジェイクは怯えを見せて後退ったが、混沌の魔女はさもおかしそうにくすくす笑いをこぼしながら冷たい視線を投げかけてきた。


「なにを――するつもりなのです」


「これからあなたが受ける仕置きは、小娘が男性に対して権威を嵩に威張り散らしたり、横柄な態度で接しないようにするための、私なりの教育なのです。女性というものは殿方に傅き、従順かつ正当な支配を受けて身のほどを知らなければならないのですよ。そのためには、あなたが常に見下していた、そう、このジェイクのような下層階級の男の手によって自分がいかに無力であるかを再認識しなければならないのです。私の配慮をあなたは喜んで受けるというのがこの世界の理なのです」


「黙りなさい。私をこのおぞましい場所から解放して、両親とロムニーに会わせなさい。さもなくば、必ずや神の怒りがあなたの身体を髄まで焼き尽くすことでしょう。そうなってからはすべてが遅いのです」


「すべてが遅い? 本当に愚かなお嬢さんだとこと。これならば私が策を弄さずとも、ノワルキ皇子の寵愛はあなたから離れていたでしょうね。そもそもあなたはこの私に対してなにかを要求できるという立場ではないのです」


 混沌の魔女はそれだけ言うと、形のよい顎を上げてジェイクに命じた。


 ジェイクはいそいそと壁際に向かうと、この拷問室の天井に据えつけてある巻き上げ機の差動装置であるハンドルを軋んだ音を響かせながら、ギコギコと回し出した。


 途端にアシュレイの身体は腕の枷に巻かれたロープによって天井に高く吊り下げられ、足先が床より一メートルほどの場所まで上がった。


「ふぅん。こうしてみるとアシュレイ。あなたはずいぶんとよい身体をしていますのね。その豊かな腰つきに、大きな胸。修道服の上からでも殿方を狂わせるには充分ですのに。惜しむらくは、もったいぶって皇子にそれらの女の武器を与えなかった。もっとも私からすればあのような若造を手玉に取るのはどうということもないのですけれどね」

「ふざけたことを……!」


 だが、アシュレイの勢いはそこまでだった。ジェイクは拷問室の陳列台から、恐ろしく太いトゲが隆起した巨大な長い鞭を手にして戻ってきたのだ。


 そして、もうひとつはギザギザの刃が無数についたノコギリのようなナイフである。どちらも囚われの身であるアシュレイを痛めつける道具であることに間違いなかった。


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