LV28「森を抜けて」

 ほのくらい世界へと徐々に光が差し込んでゆく。蔵人は浅いまどろみと覚醒の半ばで泳ぎながらゆっくりと意識を揺り起こした。


 眠っているといっても意識は常に張りつめており、害意を持った生物が近づけば即座に対応できる程度は難しくなかった。これは長らくダンジョンで活動した蔵人ならではの特技である。


 アシュレイは交代時に起きてこなかった。無理もない。長剣を抱えたまま視線を向けると、顔を横に向けたまま安心しきった様子である。夜半にアシュレイはかなりうなされていたが、わずかの間に深く落ちたのか、いまのいままでは安らかだった。


「は――すみません」


 蔵人が湯を沸かしだすと小鼻をひくひくさせていたアシュレイが慌てて起きた。


「すぐ、起きるつもりだったのですが。ええ、そんな、もう朝なのですか?」

「まあ、そう慌てなさんな。一杯飲んで落ち着け」


 白湯を手渡すとアシュレイはひと息に飲もうとして目を白黒させた。


「なぜ、起こさなかったのですか」

「あんなふうにかわいらしく寝てたら起こせねぇよな」

「な」


 みるみるうちにアシュレイの真っ白だった頬が赤く色づいてゆく。


 だが、自分のミスのせいで相棒である蔵人が休めなかったことを悔いているのか、効果的な反論はできなかったのかむうと唸ると口をつぐんだ。


「俺は二、三日寝なくてもどうってことねーよ。鍛え方が違うからな」

「到着時間が決められているわけでもありません。いまから少しでも休んでください」

「いや――」


 別に大丈夫だと言おうとしたが、見た目よりもはるかに強情な彼女のことだ。蔵人は特段強い疲労を感じてはいなかったが、彼女の気が済むようにさせるほうがよいと判断してその場でごろりと横になる。


「それじゃあまだ日が昇るまで少しあるから寝かせてもらうぜ」

「たっぷり休んでください」

「そうもいかねーよ」


 苦笑しながら蔵人は目を閉じた。ふわりと上から毛布がかけられる。かしこまって膝を折って座るアシュレイはそっぽを向きながらも頭を覆うウィンプルからはみ出した髪を指先でひたすら弄んでいた。毛布から甘いような女性特有のにおいがふわりと漂ってくる。得した気分になって蔵人は眠りに落ちて行った。





 

 眠ったのはたかだか三時間程度であったが蔵人の体力は完全に回復していた。目覚めもよい。頭の中は冷たい清水で洗ったように爽快だった。手足を動かしてみる。筋肉に疲労は微塵もなかった。頑健であり、なにより若さがある。前に進もうなにかをしてやろうという気力で身体中がむずむずする。


「さあ、ゆこう」


 森のところどころで濃い色合いの果物が生っていた。鼻腔を蠢かすと甘い匂いが胃袋をほどよく刺激する。

 躊躇なくもいでかじった。ジュワッとした果汁が口腔一杯に広がった。マンゴーをさらに甘くしたような感じだ。


「あ。それ、食べられるのですか?」

「うん、たいそう美味いぞ」


 隣り合ったキャロットオレンジの果実もついでにもいで食らう。こちらはほどよくさわやかな酸味があって、梨の味を濃くしたような感じだ。


「うーん、デリシャス」


 特に問題はなさそうだ。蔵人はシャクシャクと音を立てて果実を咀嚼した。さわやかな柑橘系の匂いがあっという間にあたりに立ち込める。


「うまい、うまい」


 黙って見ていたアシュレイが恐る恐る手を伸ばし果実をもいでそっとかじる。

 甘さに感動したのかアシュレイは仮面の下の両眼を大きく見開いた。


「甘くてとてもおいしいです。クランドは果実にも詳しいのですね。ところで、これはなんという名前の果物でしょうか」

「知らん」

「え」


 蔵人は飢えたネズミのように正体不明の果実の胴をシャクリとかじりながら言った。


「あ、えと、その」

「知らん」


 アシュレイの目が形容しがたい色合いに淀んだ。


「あ、あなたは名前もわからないようなものを私に――」


「食えとはひとっこともいっとらんが。なあ、アシュレイちゃん。あそこを見ろ。あの高いトコに生ってる実だよ。鳥がついばんだあとがあるだろ。俺さまは動物が食えるなら毒はないと判断したのだ。細かいことは気にするなって。へいきへいき。きっとだいじょーぶだよ。知らんけど」


「その知らんけどって語尾につけるのはやめてください。不安になるじゃないですか」

「でも美味かっただろ」

「そうですけど」

「じゃあ、いいじゃんか」

「ちっともよくありません」


 思ったような凶悪なモンスターも出ないのでふたりは半ば和気あいあいとした気分で、いまいる場所が迷宮の一部であることを忘れそうになっていた。


「いや、忘れちゃいねーけどな」


 アシュレイを従えて森を往く。


 それほど時間をかけずに森を抜けることに成功した。

 これほどの規模の森ならば会敵がもう数度ほどあってしかるべきと考えていたが、思いのほかイベントも起きずにあっさりと通過できたことに蔵人はむしろ不信感を抱いた。


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