LV23「覚めない夢」
賢者ロペスの修行は百日に及んだ。
ロペスの教えが優れていることもあったが、アシュレイ自身の生まれ持った才能が完全に開花するには充分過ぎる日数だった。
基本における拳打から関節技に至るまでを習得したアシュレイは、最後にロペスから攻撃力を飛躍的に向上させる技を習った。
「ま、念とも法力とも理力ともいうが、要するに生物ならば誰しもが持ち合わせているエネルギーのことじゃよ」
ロペスはそう言うとゆるりとした動きで右腕を伸ばすと、ほとんど力を入れない様子であったにもかかわらず、見上げるような大岩を人差し指一本で破壊した。
「おまえさんは修道女ならば法力という言葉がなじみ深いじゃろうが、単純に言えば人間の持つ生命力であるオーラを具現化したものじゃ。これを打撃に込めるか込めないかで破壊力はケタ違いに変わってくる。とにもかくにも、これから悪鬼羅刹を従える混沌の魔女と戦うにはこの力が必要じゃろう。
アシュレイ、そなたも無意識の内にこのオーラを使っていたようじゃが、体系的に修めた者との差は歴然じゃ。極めれば、鋼の刃を小枝のようにへし折り、岩石のような怪物の身体を内から破壊し得る。それだけの力を秘めておる。それだけに、使いどころを間違えると危険じゃ。力は正義のために使うべき。だが、正義がなにかとはこの儂もこの歳になってもまるで理解できん。それらは永遠に問い続ける課題じゃと思うておる」
そのように語るロペスの顔は苦い物を無理やり呑み込んだように、確かな痛みが刻まれていた。
「夢、ですか」
頭の奥にかかった澱を無理やり引き剥がすようにしてアシュレイは目覚めた。肌を刺す山の冷気に一瞬で意識がクリアになってゆく。
寒さをそれほど感じなかったのは、毛皮の上で横になっていたアシュレイの上からさらに分厚い毛布がかけられていたからだ。
昨晩の記憶はあいまいだが、アシュレイはまざまざと師であるロペスの最期を思い出していた。
アシュレイに技を教え匿ってくれていたロペスは混沌の魔女が自ら率いる討伐体の襲撃を一手に引き受けて壮絶な最期を遂げていた。
「く……」
ここ数週間見なかった思い出が頭の奥を鋭く突き刺した。アシュレイは強く唇を噛み締めながら脳天の奥を錐で揉まれるような幻痛に顔を歪めた。
(いまは、過去を思い出しても詮無きこと。とにかく、迷宮を攻略して季節の魔女たちの加護を得なければなりません)
「おーい、おはよんアシュレイちゃん。朝めし食ったら山下りようぜ」
「あっ……おはようございます」
「おいおい、もしかして俺のこと忘れてたとか言わねぇだろうな」
そうである。目の前で歯ブラシを使っている男、蔵人をアシュレイは完全に失念していた。
蔵人はブタの毛を貼りつけたブラシでシャコシャコと歯を磨きながら、すでに身支度は整っているようであった。
「すみません。寝坊を。こんなことはいつもないのですが」
「ああ、いーからいーから。ほら、そこに湯が湧かしてあるからゆっくり身支度すればいいさ。慌てない慌てない。ほら、アウトドアの神髄ってのは不自由を愉しむってことだから」
「はぁ……」
ときどき、この目の前にいる青年のいうことは意味がわからないが、女性に対して気遣いができるという一点をアシュレイは評価していた。
この青年に自分は心を許しているのだろうかと自問するが確かな答えは出ない。大陸からきたというのは、しばらく過ごしてみたのだが、本当だろう。
ブルトン語は異様なくらいに流暢であるが、挙措挙動や聴き慣れない言語表現は確実に島の出身者でないことくらいはわかった。
と、いうよりもである。目の前の蔵人のという男からはアシュレイがいままで出会った人間のどれにも属さない独特のものがあった。
それを言葉では上手く言い表せないが、とにかく素地からして違うのだ。
冒険者としてほかの男性とパーティーを組んだ経験はあるが、このように同行した女性に対して細かに気遣う者はいなかった。
かといって、貴族に仕え慣れたという下層民の気配もない。ウォーカー家の令嬢であったアシュレイは下男や下女を生まれたときから呼吸をするように使役してきたが、そういった自分を一段下に置く感じもないのだ。
むしろ言葉遣いは野卑である。だが、野卑の中にも知性のきらめきのようなものがあった。言い回しや語句は、書物を手に取る習慣がなければ向上しない。帝国の識字率は二十パーセント以下である。都市部では自分の名前を書ける人間は珍しくないが、込み入った内容の本一冊を読み通すとなると、これはにはやはり学問の素地が必要だった。
自分と同じように没落した貴族の御曹司ではないか、という疑念がある。食事を共にとってみればそれは顕著だった。
だいたいが島の男は爵位を持つ者でも、テーブルマナーなどはまず期待できない。蔵人は男としてはよく喋る部類であるがアシュレイが見ていて一度も顔を顰めるような挙動はなかった。
食事の仕方を見れば育ちがわかる。
蔵人は下層民にある食に対する欲求が過度ではない。食えなければ、どうということもない鷹揚な態度だ。これは生まれつき食い物に困ったことのない家庭の出であることを示していた。
(謎が多い方ではありますが。そのうち真実はわかるでしょう)
身支度を終えるとスッキリした気分でアシュレイは出発することができた。
「どうやら昨夜のアレは残ってないみてーだな」
「アレ、とは?」
「いや、なんでもない。そんじゃあ第一の迷宮があるロローシュの村まで出発だ」
疲れを微塵も見せない蔵人の背を追うようにアシュレイは山を下った。
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