LV13「絶望を胸に」
帝都を落ち延びて三十日後。
郊外の隠れ家に身を潜めていたアシュレイは実家の領地が帝都の軍に攻め寄せられ、父母をはじめとした一族が捕斬されたことを知った。
――ここまでやるか。
「お嬢さま、無念でございます。旦那さまは最後まで一族を上げて皇軍と戦いましたが、武運拙くご最期を遂げられました」
ロムニーはしわがれ声でそういうと、その場に両膝を突き「めえぇ」と鳴いたがアシュレイは呆然としたまま手にした新聞に視線を落としていた。
別にアシュレイはロムニーの鳴き方に異議主張があったわけではない。スタンダードに一族へと降りかかった非業の死を悼み、切り裂かれた心の傷に動けなくなっただけだった。
「妹や弟たちは……」
「御舎弟のマックスさま、ブライアンさま。ともに旦那さまに従ってお討ち死になされました」
ロムニーの言葉に声も出せない。
三歳下のマックスと五歳下のブライアンの幼い顔が浮かびアシュレイは知らず、唇が破れるほど噛み締めていた。
「奥さまやジェニファーさまが囚われたとは聞いてはおりません。けれど、おそらくは旦那さまとともに……」
アシュレイは手にした新聞を静かに文机の上に置くと、無意識の内に自分の髪に指を絡ませながら部屋の中をウロウロと歩き回った。
これは彼女の幼いころからの癖であり、公爵令嬢にふさわしくはない癖なので早い段階で矯正を余儀なくされたが本当の意味で追い詰められた今となって再びその身に現れたのだった。
噛み切った唇から流れる血によって紅を差したように口元を彩った。
憤怒と悲しみとで頭の中が焼け切れそうになっている。この場に家臣たちがいなければアシュレイは恥も外聞もなく叫んでいただろう。
冷たいほどに整った容貌からは窺い知れぬほどアシュレイは激情家である。他人には冷たく距離を取るように思えるが、一旦親しむと過剰なまでに情をかけるきらいがあった。
――耐えなければ。
アシュレイはピタッと足を止めるとコートを侍女たちに命じて持ってこさせ、速やかに出かける支度に取りかかる。
「お嬢さま、一体どこへゆかれると。外は危険でございますぞ」
「これよりブレイズヒル修道院に参ります。院長さまにお会いして、ウォーカー家の今後の方策を相談いたさねばなりません」
アシュレイは長く修道院で過ごしており、高価な生地を使った紫紺の僧服に袖を通すと鮮烈な美しさが際立った。
色白で鼻梁が高く意志の強い瞳が輝きを帯びている。
ロムニーは即座に理解したがアシュレイの怒りの限界はそこまできていたのだ。
隠れ家のすぐ近くにあるブレイズヒル修道院はアシュレイの実家であるウォーカー家とゆかりのある古い修道院であり、いわれのない討伐を帝国から受けて身を潜めて以来、常に頼みとしてきた。
ブレイズヒルの修道院長は僧服に着替えたアシュレイを快く招き入れると、若いシスターたちに茶を淹れさせてくつろぐようにしわがれた手をそっと重ねてきた。
この七十を超すであろう尼僧の修道院長をアシュレイは祖母のように慕っており、ふたりには余人に理解しえぬほどの深い絆があった。
「アシュレイさま。たいそうお辛いでしょうに。お心お察しいたします」
「院長さま、お気遣いありがとうございます。けれど、今日は慰めの言葉をもらいにきたわけではありません。代々続いたブルトンの名門ウォーカー家もとうとう私ひとりになってしまいました。この先に進む考えを残った家人たちのためにも示さねばならないのです。恥ずかしながら、お知恵を拝借にこうして参った次第でございます」
「おいたわしや、お嬢さま。ウォーカー家に反逆の心があったなどとは帝国の臣民は誰ひとりとして信じておりません。すべては、あの皇子のせいでございます」
「……それは、私に至らぬところがあったからでございましょう」
「謙遜と忍耐は美徳であると常々説いてきましたが、お嬢さま。こたびのことは常時とは違います。私が占ったところ、あなたの婚約者でいらしたノワルキ皇子には邪悪なるものが憑依しております」
「それは……?」
「率直なところを風聞ではなく、幼いころからノワルキ皇子に仕えてきたアシュレイさまにお聞きしたいのです。ここ最近、皇子に代わったところはありませんでしたか?」
「そういえば。つい、先月の半ばほどに、皇子は騎士学校の同輩を誘って勇者の塔を参拝にゆくと申しておりました」
「お嬢さま、それはもちろんノワルキ皇子が敬虔な心から出た言葉ではないとわかっていましたのですね」
「……申し訳ございません。勇者の塔には、帝国を滅ぼしかけた混沌の魔女が封じられていると知ってはおりましたが。けれど、あの場所は厳重な封印が――まさか?」
「そのまさかでございます。私が知るところ、皇子は無理やりに警備の騎士を脅して混沌の魔女像を辱めたと、確かな筋から調べがつきました」
修道院長が確かというのだから間違いはないのだろう。それにこういった状況で嘘を吐くような人間ではないことをアシュレイが一番知っていた。
「お嬢さま、今回の一件でノワルキ皇子のそばに不審な女の陰にお心当たりがありませぬか」
ある。
ありすぎた。
「ええ、確かに修道院長のお言葉どおり、皇子はナタリヤという娘を新たな婚約者に据えて私との婚約を破棄なさいました」
「こういってはなんですが、もはや人間界であなたさまをお救いできる者はおりませぬ」
「――」
ストレート火の玉ド直球の修道院長の言葉にアシュレイは胸を痛めた。
修道院長の言葉がぐるぐると頭の中をうず巻く。
「絶望してはなりません」
――あなたが追い込んでるのでは。
だが、アシュレイは長幼の序を重んじるよう育てられたので不満を面にも口にも出さず、ぐっとこらえた。
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