モンクにジョブチェンジした公爵令嬢は徒手格闘で婚約破棄皇子一党をフルボッコにする

三島千廣

第1章

LV01「公爵令嬢アシュレイ」

「余はここにアシュレイ・ウォーカーとの婚約を破棄することを宣言する」

「は……?」


 ブルトン帝国の公爵令嬢であるアシュレイは、帝国の第三皇子ノワルキの発した言葉の意味が理解できずに、いささか間の抜けた返事をした。


 場所は帝都の中央に位置するノワルキ皇子の離宮である。

 その日はノワルキ皇子二十歳の誕生祝賀会が行われていた。


 帝国建築の贅を尽くした離宮の会場には帝国の誇る諸侯たちが軒並み揃っていた。


「聞こえなかったのかアシュレイ。余はおまえとの婚約を破棄する。そう言ったのだ」


 突然告げられたノワルキの言葉に、一瞬場は鎮まった。

 さもありなん。


 帝国の有力諸侯であるウォーカー公爵の長女アシュレイは眉目秀麗かつ非の打ちどころのない美女だ。


 さらに付け加えるとノンバルサル修道院で一流の儀礼と作法を修めた淑女でもある。

 そして平民たちが独自に決める帝国美女十選にも常にランク入りしていた。


 美女である。

 文句の付け所のない美女だった。

 当年十七歳。

 若さと華やかさが充実する年齢である。


 もっとも重要なのが実父であるウォーカー公爵の帝国における力と権威であった。

 領地の広さと付随する兵力に格式。


 ウォーカー公爵はたとえ皇帝であっても軽んじることができない純然たる力を持っている。


 つまるところ――。

 釣り合わないのだ。

 皇子のほうが。


 王位継承権第三位であるノワルキは、アシュレイの父ウォーカー公爵の実力からすれば「物足りない」娘婿であった。


 人格的にもノワルキはお世辞にも上等とはいえなかった。


 いわば、両者の関係はアシュレイの一度婚約を結んだ相手には従うという頑なまでに、国教である宗派の教えに則った善意と敬虔さで成り立っていたのだ。


 だが、この日パーティーに呼ばれていた賓客たちはノワルキの暴言に異を唱えることができなかった。


 宣言と同時にノワルキの子飼いである騎士たちが離宮の出入り口を完全装備でふさいでしまったからだ。


 ノワルキの短慮さは宮廷でもよく知られている。

 下手にアシュレイをかばうような発言をすればどのようなばっちりを食うかわからない。


 パーティーにこれほどまでの兵を籠めるとは聞いたことがなかった。


 それだけに、この男はなにをするかわからない狂気がある。


 招待客たちはノワルキの発言の意図を掴めず一様に押し黙った。


「この距離でよもや聞こえていないなどとはいわぬだろうがな。会場に居並ぶ貴卿らにも申し伝えておく。今日より、余の婚約者はそこなるアシュレイではなく、ここにおるナタリヤとする。以後、彼女に余の未来の妻として敬意を払うように」


 ノワルキはそれだけいうと整った鼻をツンと天高く上げて「どうだ」とばかりに周囲の客たちを睥睨した。


(この人はなにをいっているのでしょうか)


 アシュレイはノワルキがビロードのマントで包むようにして掻き抱くほっそりとした少女に視線を移した。

 なるほど。ノワルキの横に立つナタリヤという女はとびきりの美少女である。


 背の高いアシュレイと違って小柄で儚げだ。

 いかにも上流階級のおぼっちゃまが好みそうなお人形のようなかわいらしさがあった。

 彼女に比べればアシュレイは大柄だといえなくもない。


 ノワルキと拳ひとつ分しか違わないアシュレイはともに歩くときヒールの靴を履くなと耳にタコができるくらいにいわれたので覚えている。この憐れな婚約者は偉丈夫ぞろいの皇族としては控えめの身長であったからだ。


 自分の体格に自信がないノワルキは、反面、それを覆い隠すかのように、周囲の人間に対して高圧的に振舞った。


 それを許したのは、彼が皇族であったことも確かだが、現ブルトン皇帝が還暦を過ぎて生まれた子であったことが大きかった。


 猫っかわいがりされたために傲岸不遜な性格に成長したノワルキに対して、堂々と意見のできる人間は宮廷でも数えるほどしかいなかった。


「と、いうことだ、アシュレイ。残念だったな。余の寵愛を一身に受けるのはおまえではなくここのナタリヤだ」


 ノワルキが特徴的な眉をピクピク蠢かせながらドヤ顔で口元を歪めた。

 皇族とは到底思えない下卑た表情だ。


 だがアシュレイは教会の教えにより夫に仕え、奉仕するように教育されていただけあって、内心ではノワルキから完全に心が離れつつあったのだが、面には出さなかった。


「お言葉ですが殿下。私たちの婚約は家同士のものでございます。陛下と我が父の同意もなく破棄できるようなことではございません」


 平静を保ちながら意見する。

 言っておくのだ。

 言っておかねばならない。


 アシュレイには公爵令嬢として家の権威を保つ必要があった。

 愛情がどうこうという話ではなく、家と家との話なのだ。

 よほどの欠陥があっても互いに婚約破棄を行えぬ事情が厳然とある。


 この愚かな皇子は理解しているのだろうか――。

 怒りが収まれば不思議さがあった。


「ああん? いまさら余に媚びても遅いぞ。アシュレイ。おまえが行儀見習いで我が屋敷に滞在していたナタリヤをことあるごとに折檻していた事実。余はしかと報告を受けている。そのように狭量かつ、心根が邪悪な人間が余の正妻にふさわしいはずもなかろうが。陛下には事後報告で充分。なにせ、これは余の正義に基づいた判断であるからな」


(どうしよう。殴りたい)


 アシュレイはかろうじて無表情を保った。


「だが、まあ、心根を入れ替えるというのならば側室として置いてやっても構わんぞ」


 ニヤリとノワルキがアシュレイの身体を上から下まで舐め回すように視姦した。


 アシュレイは正式な婚姻が済むまではノワルキに指一本触れることは許さなかった。


 下手に出れば遊ばれて終わるということは往々にしてあるのだ。


 アシュレイに対するあからさまな侮蔑に近くの大臣たちが顔色を変えるのがわかった。


「ううん? どうしたアシュレイ。余の寛大なる配慮が気に入らないのか。まさかそんなことはないだろうな」


 平民上がりのナタリヤの下に着くなどとは公爵令嬢であるアシュレイの自尊心が許さない。


 かといって未来の夫を面罵することもかなわないのだ。


「失礼いたします」


 その場でアシュレイができることはノワルキの脇に垂れ下がる忌々しい女狐を睨みつけ、ドレスを翻して退室することだけであった。


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