第50話



モニカside



アルベルトが倒れた原因は毒ではなく、私が入れたカモミールティーの味のせいだと…!?そんな馬鹿な。だって、お嬢様はいつも綺麗に飲み干してくれていたのだ。だから倒れるほど、酷くはない…はず。


あ、そうか。アルベルトは毎日上等な紅茶ばかり飲んでいたから、舌が肥えすぎてしまったんだ。うん、きっとそうだ。うん、死ね。


いや、重要なのはそこではない。

皇宮医の話から推測するに、アルベルトは私がカモミールティーに毒を入れていないと、遅れて気付いたはずだ。にも関わらず、彼は無実の私を牢屋に入れたまま放置した。


自分の婚約者を断頭台で処刑した上に、最愛の妻でさえ火刑台で自ら火やぶりにした男だ。

しがない侍女一人が飲まず食わずの牢屋の中で、どうなろうとも構わないのだろう。



「…死ね。」



皇宮医に聞こえないように、静かにとそう呟いた。



「さ、今日は早めに休みなさい。私もそろそろ失礼するよ。」



皇宮医は扉へと向かっていく。

その時、明るかった白い天井や壁が、いつの間にか茜色に染っていたことに気付いた。どうやら、随分と時間が経っていたようだ。


ドアノブに手をかけた皇宮医はこちらを振り返った。



「いいかい、モニカ。しばらく君はベッド上で絶対安静だ。」

「何度同じことを言うんですか。分かってますよ。」

「何度だって言うさ。君は危なっかしい患者だからね。」



―んだと、こら。



ムッとするも、何とかそれを表に出さずに、にっこりと笑った。



「大丈夫ですよ。大人しく寝てます。」



皇宮医は私の笑顔に何か言いたげな様子を見せたが、軽く溜息をつきながら「…その言葉を信じるよ。」と言って、部屋から出ていった。

皇宮医の足音がどんどん小さくなる。

そして、その足音が完全に聞こえなくなったのを確認した私は、そっとベッドから降り立った。



―誰がハゲの言うことなんか聞くかよ。



軽く腕や首の関節を鳴らし、自身の身体の可動域を確認した。

少しふらつくが、ちゃんと思い通りに動いてくれる。これぐらいなら、きっと大丈夫。先程思うように動かなかったのは、多分、冷静さが欠けていたから。気持ちが先走りし過ぎていたのだ。


次に、スカートの中に隠しているナイフを布越から触れる。うん、ちゃんとここにある。幸いにも、皇宮医には見つかることはなかったようだ。きっと運が私に味方しているんだろう。



私にはもう時間が無い。

皇宮医の言う通り、私の頭から徐々に聖女の記憶が失われつつある。絶世の美少女と謳われていた、憎き聖女の顔すら思い出せないほどに、アルベルトの魔法の侵食が進んでいるのだ。


この復讐心が消えてしまう前に、早くアルベルトを殺さなければ。

チャンスはきっと今日で最後。このチャンスを逃せば、全てが無かったことになってしまう。


焦る気持ちを抑えつつ、そっと医務室の扉を開け、長い廊下に出た。窓から差し込む西日によって赤色に染まった廊下は、しんと静まり返っている。その静けさが妙に心臓をざわつかせた。


私は静かに深呼吸をしてから、廊下を歩き始めた。



※※※※※※



―…おかしい。



私は誰に会うことも無く、アルベルトの部屋の前まで来てしまった。


素直に誰にも会わなくてラッキーとは思えない。本来なら見張りの奴らがアルベルトの部屋を囲っているからだ。それなのに、なぜ今日は誰も居ない?


不思議なことに、見張りの奴らだけでなく、ここ一帯に人間の気配が一切しないのだ。まるで広い皇宮に自分一人だけ取り残されたような気分に陥った。


…まさか、私がアルベルトを殺そうとしているのがバレたのだろうか。


有り得なくは無い話だ。

私はスカートの中にナイフを隠し持っている。もし、それに先程の皇宮医が気付いていたら?きっと怪しく思うだろう。それを指摘しなかったのは、私を泳がせるため。もしかしたら、アルベルトの部屋で見張りの奴らは網を張って、私を待ち構えているのかもしれない。


いやいや、落ち着け。それは少し考えすぎではないだろうか。だが、無いとは言いきれない。じゃあ、どうする?保険をかけて引き返すか?



「…ハハ、。」



思わず自虐的な笑いがこぼれた。なんだ、モニカ、とうとう怖気ついたのか?ここまで来たのに?

よく考えろ。引き返して戻った道には、何も無いのだ。言葉通り、全てを忘れてしまった空っぽの世界しか。


だったら、答えなんて初めから1つしかないじゃないか。


私はアルベルトの部屋のドアノブに手をかける。


お嬢様、貴女の存在が消えてしまった世界なんて、なんの意味も無い。

だから、私は必ずこの手でアルベルトを殺す。

貴女が必死に生きてきたことを無意味なものにしない為に。


私はのドアノブを回した。



――その時、



「おい!見つかったか!?」

「―っ!?」



突然の男の声に、私は声にならない悲鳴をあげた。

見つかってしまった!?

絶望に顔を黒くするが、廊下に人の姿は見られない。



「いや、見つからん。こんなにも探しているんだ。皇宮には居ないかもしれない。」



声が廊下からではなく、外から聞こえてくるのに気が付いた。

私はそろりそろりと窓に近づき、聞き耳を立てながら様子を伺う。男たちは何やら焦った様子で当たりをキョロキョロ見回していた。



「では、範囲を広げよう。」

「もうやっている!さっき町の班からは連絡が入ったが、あちらも駄目だったそうだ。」

「そうか…。あとは、国境付近だったり…近くの森か?いや、さすがに森には居らっしゃらないか…」

「分かった。南の国境付近には俺の班が向かおう。」



彼らは必死に何を探しているのだろうか。ただの人探しにしては、範囲が大規模すぎる。彼らの妙に血走った眼に神経質な話しかた、どうもただ事じゃないことだけは感じ取れた。



「では、私は北に。お前は?」

「俺は町外れにある森を探してみるよ。」

「分かった。いいか、お前ら。アルベルト様が居なくなってしまったら、この帝国は終わりだ。死ぬ気で探せっ!!!」



―アルベルト!?



聞き間違えではない。あの忌々しい名を、私が聞き間違えるはずがない。

呼吸が止まる。世界が止まる。

フツフツと湧き上がる怒りで気が狂いそうだ。あぁ、アイツはどこまで人を馬鹿にすれば気が済むのだろう。



アルベルトが姿を消した。











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