第22話



頭を、片手で掴まれた。



「―っ!!?」



私は声にならない悲鳴をあげた。頭は真っ白になり、パニックに陥る。身体の震えが…涙が止まらない。



「…そんなに怯えんな。」



アルベルト様らしからぬ優しい声が聞こえた。恐る恐る目を開ければ、穏やかなサファイアの瞳と目が合う。



「やっとこっち見たな。」



彼は嬉しそうに私の頭をくしゃくしゃと撫でてくる。その姿はまるで愛犬を可愛がる飼い主のようだ。

私は展開についていけず、ポカンと彼を見つめた。



「安心しろ、俺はアルベルトじゃない。」



―オレハ、アルベルトジャナイ?



彼の言葉を心の中で復唱する。

つまり……どういうことだ?

混乱している頭では上手く思考回路が働かない。私の頭はショート寸前だ。そんな私の様子を彼は頬杖をつき、ニヤニヤと笑いながら私の頭を撫で回し続ける。そのせいで、綺麗にセットしていた髪型はぐしゃぐしゃに乱れてしまった。だが、自分のことでいっぱいになっている私はそれに気付かない。



「見た目は大分ちげーけど、そうやって考え込んでいるところとか300年前と一緒だなァ?ははっ、俺の知っているエリザだ。」



―…この人は何を言っているの?



彼の発する言葉を私は何一つ理解できなかった。アルベルト様じゃないと言うくせに、何故300年前の私を知っているの?



「昔のプラチナブロンドの髪も良かっけど、今の栗色の髪も良いな。フワフワしてて美味そうだ。」

「う、うま…?」

「やっぱ、エリザにはエメラルドの目だよなー。俺、その色好きだったし、変わってなくて良かったわ。こうして見ると猫みてーだな、お前。」

「…ねこ?」



ペラペラとまるでマシンガンのように話し続ける彼に私は終始戸惑っている。


彼の話し方は、アルベルト様と全く違う。アルベルト様はこんな…下町の少年のような口調で話さない。恐怖に支配されていた私は今まで気付けなかった。



「昔と同じといえば…社交界でも思ったけど、やっぱ胸でけーな。」



そう言って彼は頭を撫でていた手で私の胸を突然、鷲掴みにしてきた。



「!?」

「ははっ、すげーや。おい、見ろよ。俺の手に収まんないぜ?300年前よりもでかくなってないか?」



彼の骨ばった手で揉まれている私の胸はぐにぐにと形をかえていく。

その有り得ない光景に、脳が現実で起きていることなんだと認識するまで時間がかかった。



―この人は、何をしているの…?



そして、やっと危険信号を察知した私の脳は身体に命令を下した。私は命令に従うまま、思いっきり彼の頬に平手打ちをお見舞いした。

パチンッ!!と鋭い音が部屋に響く。



「…ぁ」



赤くなる彼の頬。

あぁ、やってしまった。私は、帝国の皇太子殿下を叩いてしまったのだ。全身から血の気が引くのを感じた。青ざめている私を余所に彼は屈託の無い笑顔を見せてきた。



「ははっ。女に叩かれたのは初めてだ!あぁ、それでいい。お前に触ろうとしてくる不埒者にはそうやって叩いてやれ。なっ!」



自分はその不埒者に入らないのだろうか。

実に嬉しそうに叩かれた頬を押さえる彼を見て私は、まるで未確認生物のようだと思った。未知との遭遇ともいえるだろう。

今まで生きてきて、こんなにも破天荒な人を見たことがない。



「…貴方は一体…誰なんですか?」



私の問いに彼はニヤリとほくそ笑む。



「んだよ、分かんねーのか?俺は…」



―コンコン



彼の言葉を遮るようにして扉のノック音が部屋に響いた。



「殿下、そろそろお時間でございます。」



扉の向こうから壮年の男性の声が聞こえる。話し方からして彼のお付の者なのかもしれない。当の本人は分かりやすく顔を歪めていた。



「もうそんな時間か…。あーヤダヤダ。ジジィ共と食事なんて飯が不味くなるだけだっつーの。」



そうぼやきながら彼は立ち上がった。私もそれにつられて顔を上げるとサファイアの瞳と目が合った。



「ってことで俺様はちょー忙しいご身分だから、今日はここまで。」

「そんな…!」

「ははっ!そんな悲痛な顔しちゃって…俺と離れるのが寂しいのか?」



ニヤついた顔で私を見下ろす殿下に微かな嫌悪感を抱く。この人は…人をおちょくることが好きなんだわ。私が苦手とする人種だ。



「違います。私は貴方が誰なのか知りたいだけです。」

「秒で否定すんなよ。流石にヘコむわ。」



ニヤついている顔はどこもへこんでいる様子はない。



「明日の放課後、ここに来い。」

「え?」

「俺の事、知りたいんだろ?教えてやるよ。ちなみにここは魔法保持者の校舎にある俺の部屋だ。場所は…あー、優秀な弟クンにでも聞いて会いに来いよ。」



説明するのが面倒になったのだろう。義弟に丸投げしてきた彼にはただただ呆れるしかない。

扉の向こうからお付きの者の控えめの声が聞こえてきた。



「殿下…そろそろ…。」

「わーってるよ。じゃあな、エリザ。」



そう言う彼のサファイアの瞳は、青く煌めいた。


―――その瞬間、世界が再び変わる。


目の前にいたテオドール殿下が消え、義弟のユリウスが現れた。



「―っ!?」



突然、自身の顔に義弟の顔がくっつきそうな程近くに現れたので、私は驚き後ろに仰け反ったが後ろに何も支えがないことに気付いた。

あ、倒れる。と思ったがすぐさま義弟の手が背中に回り、後ろに倒れるのを防いでくれた。義弟の肩に両手を置き安堵の息を漏らした。



「姉上、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫よ。ありが…」



お礼を言いながら、はたと気づいた。自分が義弟の膝に跨っている体勢だということに…。どうやらここは殿下と一緒に居た校舎ではなく、先程まで乗っていた馬車の中のようだ。つまり、義弟が突然現れたのではなく私が元の場所へと戻ってきたということになる。

…何故か、椅子に座る義弟の上に…。

慌てて降りようとするも、がっちりと義弟の腕がまわっていて身動きが取れない。

それでももがいていると突然、身体に異変を感じた。



「うっ」

「姉上!?大丈夫ですかっ。」



何かが込み上げてくる感覚に思わず口を手で抑える。



「き、気持ち悪い…」

「…え」

「吐きそう…」

「レナード!馬車を止めてくださいっ!」

「えぇ!?はいっ!」



私の頭にニヤついた殿下の顔が過ぎる。あの男…私に毒でも盛ったのだろうか。あの野蛮で下品で…ガラの悪い男…。アルベルト様に似ても似つかない…。最悪だ。


吐き気をもよおした私は、義弟の甲斐甲斐しい介護を受けるのであった。




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