キュウリ男と編集さん

キュウリ男と編集さん 1

「なあ、小此木おこのぎ。余計なおせっかいかもしれんが、それだけで腹にたまるのか?」


 隣で飯を食っていた椹木さわらぎが、胡散臭うさんくさげな顔をした。


「まったく」

「じゃあ、なんで食ってるんだよ」

「うまいからに決まってる」


 そう返事をして、持っていた半分を口に押し込む。


「それ、本当にうまいのか?」

「ああ」

「前から感じていたが、お前のキュウリ好きって異常なレベルだよな」

「食べるか?」


 ランチボックスを差し出した。椹木はそれをのぞき込むと首を横にふる。


「いらん。ぶあついハムでもはさんであったら考えるが、それ、キュウリだけじゃないか」

「キュウリだけじゃないぞ。バターもだ。マーガリンじゃないぞ? 正真正銘しょうしんしょうめいのバターだ」

「なにが正真正銘しょうしんしょうめいバターだ、だよ。いらんいらん。俺はここのオバチャンが作ってくれたカツ丼を食う。陸自の俺達にとっては肉が正義だ」

「それは残念だ。新しい世界が開けるのに」

「勝手に開けてろ」


 実のところ、作り方を聞いた時、このサンドイッチのうまさは信じていなかった。今時の女子が考える、今時のこじゃれたスナック程度のものだと考えていたのだ。


―― 意外にうまいよな…… ――


 キュウリのサンドイッチ。


 教えてくれたのは、父親が書いている回顧録の編集担当だった。もともとキュウリは好きだったが、サンドイッチのキュウリはたいていが脇役だ。こんなふうにメインになっているのは珍しい。


「ワインビネガーが決め手なんだろうな」


 大ざっぱな作り方を聞いただけだったが、試しに作ってみたら意外とうまかった。最初に作ろうとした時には米酢しかなかった。だからそれで代用してみようかとも考えたのだが、素直にビネガーを買いにいって良かった。


「キュウリを見つめるな、気持ち悪い」


 椹木がさらに胡散臭うさんくさげげな口調で話しかけてくる。


「……わかった」

「なんだよ」

「そんなに食いたいなら素直に言えば良いんだよ。ほら、遠慮なく食え」


 あまりにしつこいので、カツ丼の上に乗せてやった。


「おまっ、カツ丼の上に乗せるな!」

「味が気になるんだろ? 食ってみろよ。本当にうまいぞ?」

「レンジャーから帰ってきたばかりのお前に言われても信用できん」

「それはレンジャーに対する冒涜ぼうとくか? お前だって徽章きしょう持ちだろうが」

「持っているから信用できないって言ってるんだ。まったく! 肉の上に乗せやがって!」

「まあ食えよ。真面目にうまいから。唯一の欠点は、腹にたまらないことだな」


 椹木はブツブツいいながらパンをつまむ。そして恐る恐る口に運んだ。


「……」

「どうなんだよ」

「……まあ、まずくはない」


 当たり前だ。俺は嘘をつかない。


「正直に言えよ」

「……うまい」

「だろ?」

「腹にたまらないのが欠点だという意見には賛成だ」

「だよな」


 椹木も二口ふたくちで食べ終わった。


「それで誰に作り方を教わったって?」

「父親が執筆している本の、担当をしている編集さん」

「へえ。頭取ってのはヒマなのか? 仕事の合間に本を書くなんて、そうそう出来るもんじゃないだろ」

「まあ頭取だからこそ、時間の融通ゆうずうがきくのかもな」


 父親が某大手都市銀行の頭取になって数年。ここ最近、体調がすぐれないと言って病院で検査をしたのは数か月前、俺がレンジャー課程で山の中をはいずり回っている時だった。検査の結果は、それなりに進行したガンとのことだった。それを聞いた父親は、なにを思ったのか回顧録を書くと言い出し、極秘入院をしている現在、それをチマチマと執筆中なのだ。


「どんな人だ?」

「ん?」

「だから編集さんだよ」

「あー、女の人だった。年はそうだなあ、まだ若いな。もしかしたら、入社してそんなに経ってないかもしれない」


 会った時の相手の顔を思い浮かべる。間違いなく若かった。


「それ大丈夫なのかよ。若い編集が、頭取が書く本の担当なんてできるのか?」

陸自うちにだって、若いのに優秀なのはいるだろ?」

「そりゃそうだけどな」

「今のところ、オヤジは機嫌よく書いてるから問題ないと思う。オフクロとも気が合うみたいだし。そういうことって大事だろ?」


 とは言え、想像していたより若かったので、単なるお使いなのか?と思ったのも事実だ。だが両親の話によると、その人が正式な担当の編集ということだった。


「これ、パンがなくてもいけるんだよな。無限キュウリに近い」

「ほんと、お前のキュウリ好きは異常だ。もしかしてお前、前世は虫だったんじゃ?」

「なるほど。そうかもしれん」

「否定しないのかよ!」


 そんなわけで、父親の編集さんに教えてもらったキュウリサンドはうまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る